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ライドガール

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「いいだろ、人のことはどうだって。ダールグ兄貴は自分の仕事をしてろよ」
「おまえの友達だと思って、親切で言ってあげてるんだよ。〈天馬競〉に女が出たってただの無駄じゃないか。完走できたらお慰み、けがをしないうちにやめておくほうがいいよ」
「完走なら、こいつはもうしてるぜ」
「なんてことだ、経験があるのかい! カズート、馬好きな友達を絶望の海に突き落としたくないのなら、幸運がまだついてくれているいまのうちに、やめさせておかないといけないよ。そんなことはおまえにはよくわかっていると思ったけどね」
 するとカズートは口をぐっと引き結んだ。眉間が狭まり、細められた目がきつくなった。
「――ダールグ若さま。準備ができました」
 年配の牧童がひかえめに声をかけてきた。
 わかったというように牧童に指を立ててみせ、ダールグは薄く笑った。
「まあ、こうして来てしまったんだから、見ていけばいいさ。どうぞごゆっくり。おまえも今年の参考にするといいよ、カズート」
 そう言い残して、彼は待っている牧童たちのほうへと歩いていった。
 仲のいい兄弟には到底思えなかった。リウはカズートの横顔をうかがった。
「……もしかして、無理させちゃってた?」
「気にしなくていい。あんなことを言っちゃいるが、実際は兄貴の持ち馬ってわけじゃない。兄貴はただ、あの馬の管理を一昨年からまかされてるだけだ」
「でも、ごめん……天馬を見たいなんて、変なこと言っちゃって」
「だから気にしなくていい。――ほら、来たぞ」
 芦毛の銀天馬が連れてこられた。勝ち得た称号にふさわしく、毛色は渋い銀灰色となっている。肉付きのいい勇壮な馬体は、たくましさそのものといった様子だった。
 牝馬の尻尾が手際よくくくられ、当て馬が入れられ、そして種付が始まった。
 牧童たちの声と馬の荒い呼吸が飛び交う激しい行為を、リウはぼんやり眺めた。
 その隣で、カズートはそわそわとあちこちを見やったり、指で柵を叩いたりしていた。
「あー、そろそろ行くか?」
「そうだね、もう終わりそうだし」
 リウはぼんやりしたまま答えた。
「当て馬にくすぐられて女の子はすっかりその気だし、男の子も種付け上手みたいだもんね。あ、ほら、終わった。ほんと上手。毛も銀色で、男の子っていうより素敵なおじさまって感じかな。女の扱いなんて慣れきってるっていうか」
「……あのな。なにか言う前にもう少し自分の年と性別を考えろ」
「牧の娘になに言ってんの。種付くらい」
 リウは柵から離れ、ため息をついた。
「反応悪いな。お気に召さなかったのか?」
「まさか、そんなこと」
 リウは振り返り、牧童たちを従えるようにして奥の牧へと帰っていく銀天馬を見送った。
「やっぱりすごいね、天馬って。〈天馬競〉を走ってたころは体もしぼってあって、もっと精悍な感じだったんだろうし」
 手を組んで伸びをする。そのまま見上げた空が青い。
「あんな馬と競らなきゃいけないんだなって思ったら、さすがに気が遠くなってさ」
 リウはじっと空を見る。吸いこまれそうな青、そして風に流れる雲の白。そのあいだに本物の天馬の姿を見ることができたら、銀天馬の面影をぬぐえるかもしれない。このままバルメルトウのところへ戻ったらなにを考えてしまうのか、リウは自分で自分が怖くなる。
「まだ夕暮れまで余裕はあるな。うちでひと息入れてくか?」
 カズートの声がした。リウは親指で家のほうを示す彼の姿を見たように思った。
「ん……そうだね、じゃちょっとだけ」
 瞼の裏に焼きついてしまった銀天馬の姿を少しでも薄らがせたくて、リウはありがたく招待を受けることにした。

 通された白木壁の家の居間は、ここと隣の続き間だけでリウの家ほどもありそうだった。
 リウはおそるおそる華奢な猫足のソファに座った。
 カズートはむかいの寝椅子に無造作に腰を下ろし、メイドの少女になにやら言いつけた。
 壁の飾り棚には〈天馬競〉を完走した者に与えられるリボンが飾られている。そのすべてに金糸銀糸が見える。
 しかし、リウの目はすぐに、続き間に置かれたもっと大きな飾り棚に吸い寄せられた。ここからでは中は見えないが見当はつく。
「ああ、あれな」
 カズートが身軽に立ち上がる。アーチの下を通って続き間に行くと、リウを手招いた。
 リウは呼ばれた犬のような素直さで従った。
「わ、やっぱり!」
 もはやリボンなどという言葉では物足りなかった。中央に宝石が飾られた金銀の布は〈大天馬競〉完走の勲章だった。
「どうせならこっちだろ」
 カズートが示した別の飾り棚には、両手で持てそうなくらいの、馬の青銅像が並べて置いてある。像の首には色あざやかな細い布がかかっている。色は四種類、銀、青、赤、白。
「うわあ……これって〈大天馬競〉の」
「ああ」
 興奮でかえってぼんやりしながら、それでもリウは頭の一部で冷静に計算する。
 〈天馬競〉のリボンの数より〈大天馬競〉のリボンは少なく、この像はさらに少ない。イシャーマ牧のような大牧ですら、楽々と勝利にたどりつけているわけではないのだ。そのことは、それぞれの勝利の証の数がはっきりと物語っている。
 しかし、そうした事実は少しも気を安らがせてくれない。それに比べて、と思考はついそこにたどり着く。馬はバルメルトウ一頭だけ、組む相手もいない自分が勝利をつかむなど、本当にできるのだろうか。――
 昔なじみを視界の端に感じながら、リウは飾り棚を見つめたまま口をひらく。
「わたし、〈天馬競〉で勝ちたいんだ。自分でも無謀だってわかってる。でも、それでも勝たなきゃいけないんだ。どうすれば少しでも勝ちに近づけるか、打つ手はあるかな?」
 短い、けれども深い沈黙のあと、やっとカズートの声がした。
「おまえは、組を作るだけの馬も人もそろえてない。勝つための一番最初の条件もまだ満たしてない。打つ手もなにも、それ以前だ」
 視線はそのままに、リウは唇を噛んだ。覚悟はしていても、はっきりずばりと言われることは、やはり心にこたえた。胸のあたりがすうっと冷え、逆に頭は熱くなる。
「……やっぱり、そこからか」
「ああ。まずは馬、それからちゃんとした三人を集めないとな」
「人も?」
「〈天馬競〉の始まりは、騎士たちへの試練だ。馬と人とが一体となって乗り越え、自らの能力を証す挑戦だった。いまだって、ただ馬につかまってれば勝てるってものじゃない。自分の馬をよく知った、勝つ気のある乗手が要る。おまえ、心当たりがあるのか?」
 リウは胸もとにこぶしをあてて、さらに強く握り込んだ。
「……〈大天馬競〉は、秋だから」
 かつてとは違い、現在の〈天馬競〉は各地の町が主催しており、月二回ほどある。理屈では〈大天馬競〉まであと一〇回は出走できる――リウはあえて楽観的に考える。
「だから、これからでもちゃんとした組を作れたら」
「ってちょっと待て。おまえ、ただ〈天馬競〉で勝ちたいだけじゃないのかよ?」 
「……ん、そのつもりだったよ。だけどいまは〈大天馬競〉に出たい」
 リウはさびついた扉のようにのろのろとカズートに顔をむけた。
作品名:ライドガール 作家名:ひがら