小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ライドガール

INDEX|40ページ/42ページ|

次のページ前のページ
 

 励ましにも慰めにもならない、まったく意味のない言葉は、バルメルトウというよりも、急に落ち着かなくなった自分自身に向けたものだった。
 心が揺らいだ途端に、周囲の馬も乗手全員が、バルメルトウや自分など相手にならないほどの実力者ぞろいに見えてくる。
 不安がとめどなくふくらんでいく。勝てるのか。これだけの駿馬の中、五着までに入れるのか。そんなことが本当に自分にできるのか。
 自分自身の将来も賭けてくれたシャルス、ずっとつきあってくれたランダット、そしてリウを許してくれた両親。
 リウをこの場に連れてきてくれた彼らに応えることが、こんな自分にできるのか。
「来たぞ!」
 誰かが声をあげた。
 ゆるやかな緑の丘を越えてきた乳色の馬体は、見覚えのあるイシャーマ牧の馬だ。
 乗手たちの口から、感嘆とも羨望ともつかない吐息がもれる。
 月毛の馬と乗手が進み出た。
 リウは唯一絶対のものを見つめる大勢のひとりとして、月毛の馬を見つめた。
 一度だけ同じ〈天馬競〉で走った。姿を見られたのは中継地までで、リウが二位として町に入ったとき、月毛の馬はとっくに自分の馬房に帰っていた。一位と二位、表面上の差はそれだけでも、実際には大きな差があった。どうやって埋めればいいのかわからないほどの差だった。
 今回もそうなるのだろうか。いくら手を伸ばしても空の月には決して届かないことを、また思い知らされるのだろうか。
「おい!」
 驚いたような声に、リウは首をねじむけた。
 乳色の馬の後ろ、緑の丘を越えてきた馬がもう一頭いる。
 草の波を押し割り、力強い前脚で大地をかきこむように駆けてくる黄褐色の馬。
「ユーリシス!」
 疾走準備というよりもその姿をよりよく見るために、リウはバルメルトウに飛び乗った。
 いまは空の太陽にも似た輝きを放つ巨体が躍動している。前を行く乳色の馬に追いすがっているのではない。追い上げ、襲いかかろうとする走りだ。馬と同じ姿をした、しかしなにか別の猛々しい獣のようにユーリシスは走っている。
 そうさせているのは、その背の乗手だった。大胆に力強く自らの体と馬を御し、まさに人馬一体の獣となっていた。ぐいぐいと馬の首を押しやって、馬とともに走ってくる。
 帽子のないむきだしの頭は、それまでの〈天馬競〉で見てきた赤ではなく、バルメルトウのたてがみにそっくりな漆黒で――
「――カズート」
 夢だとすら、リウは思えなかった。
 目の前の光景がただ信じられなかった。
 乳色の馬は逃げている。馬体から汗を散らし、必死に逃げている。
 黄褐色の獣がそれを追っている。蹄ひとつ分でもその差を詰めようと、こちらも全力を振り絞って追っている。
 追うものと追われるもの、みるみる縮まる二頭の距離に、周囲からどよめきがあがった。
 その声がやけに遠い。リウは声をあげることも忘れ、呆然と見つめることしかできない。
 カズートがユーリシスに乗っている。鞍上の激しい動きに襟もとが乱れ、風防布の端はほどけかけて、自らが作り出した風にたなびいている。
 乳色の馬が逃げ込むように中継地に入ってきた。今回は乗手に余裕はない。無言のまま月毛の乗手に旗棒を差し伸べ、渡す。
 一瞬の差でユーリシスも飛びこんできた。
 突き出された旗棒を、リウは反射的につかみ取った。
「リウ、行け!」
 息を弾ませ、露わになった額に汗をにじませながらにやりと笑ったカズートの顔に、はっとわれに返る。
 と同時、彼に押されでもしたかのように、バルメルトウが走り出した。
 どうしてカズートが――リウは振り返りたがる自分を懸命に押しとどめた。それでも内なる声がささやきつづける。夢、まぼろし、なにかの見間違い。振り返ってごらん、カズートなんているわけがないんだから。ばかじゃないの。
 でも、とリウは震え出しそうな手でぎゅっと手綱を握りしめる。
「こうして、走ってる!」
 バルメルトウはその間も駆けている。すぐ目の前の月毛の馬をとらえ、追い抜き、打ち負かすために。
 やっぱりわたしはばかだ、とリウは鞍上でひとり笑う。
 振り返る必要などない。やってきたカズートはまぼろしでも見間違いでもない。
 バルメルトウの乗り心地がこうも変わっていない時点で気づけたはずのことだった。どれほど技巧が優れていても、ランダットには絶対に無理なことだったのだから。
 リウの乗馬の手本は、常にカズートだった。
 まだ背丈が変わらなかったころはもちろん、体格も筋力もまるで違ってしまっても、リウはカズートの騎乗姿を脳裏に浮かべてはなぞってきた。
 その彼が調教していてくれた。だからバルメルトウは変わっていない。カズートの乗り方は、そのままリウの乗り方なのだから。
 苦笑は次第に変わって、リウはいつのまにか笑顔になっていた。それでいて涙がにじんで視界がぼやけた。
 ここに来られたのは、奇跡の積み重ねがあったからだと思っていた。
 だが、最後にもうひとつ、とっておきの奇跡が起きた。
 カズートが来てくれた。以前のとおり、リウの心に焼きついたそのままの姿で戻ってきてくれた。
 だからいま、こうして風が体を吹き抜けていく。
 今度はリウ自身が奇跡を起こすために。
 リウは頭を振ってにじんだ涙を振り払った。
「バルム、聞いて」
 ぴんと立った愛馬の耳にささやきかける。
「あの子はおまえに気づいてる。少しでも引き離したくて、一生懸命に逃げてる。だからまだ。あの子が逃げ疲れたそのとき、おまえの脚で一気に行こう」
 くるっとバルメルトウの耳が回った。
 前を行く馬に注意を残しつつ、リウは地面の様子に集中する。手綱と脚とで合図を送るまでもない。鞍上でリウが感じることをバルメルトウは同時に感じ、リウがしようとすることを同時にする。リウが見つけた走りやすい地表へと、バルメルトウは自然に動く。大地を蹴る脚は、疲れるどころか一歩ごとにますます軽さと力強さを増していく。
 バルメルトウの蹄の轟きは、月毛の馬も乗手にも伝わっているに違いない。尾は神経質に小さく振られている。耳も落ち着きなく動いている。乗手は懸命になだめているが、月毛の馬は背後に迫った追手を意識し、しかもいらついている。
 おまえはとてもいい馬だから――リウは心の中で呼びかける。だからこんなふうに追いかけられたことなんて、これまでないよね。走っても走っても引きはがせなくて、いつまでもいつまでもついてこられる、そんなしつこい相手になんて会ったことなんてないよね。
「バルム、がんばって。まだだよ、まだ」
 全力を出さないようにほんの少しだけ遊ばせた手綱に、バルメルトウは聞き分けよく従っている。リウを信じ、その合図を辛抱強く待っている。自分に最高の走りをさせるための判断を、リウにゆだねてくれている。
 月毛の馬をまかされた乗手は、当たり前だが上手い。イシャーマ牧一番の馬に乗るのだから、イシャーマ牧一番の乗手に決まっている。それだけに、馬は気分よく走ることしか知らずにきたはずだ。このように不愉快な状況での走りには慣れていない。尾の動きはますます高ぶり、耳も頻繁に動いている。
「あの子は、我慢させられたことがないんだから。わたしみたいなへたくそに乗られた、おまえと違って」
作品名:ライドガール 作家名:ひがら