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ライドガール

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 近づいたシャルスの顔が、今度はわずかに紅潮している。
「前も言ったじゃないか。必要以上に自分を責めるのはよくないって」
「シャルス……」
「きみは落馬の恐怖に打ち勝って、立派に〈大天馬競〉への権利を勝ち取ったんだ。僕はそんなきみを誇りに思う。きみは誰もが無理だと思っていたことを、ちゃんとここまでやってのけたんだ」
「ありがとう、でも」
「うちに、馬を売ってほしいと言ってくる人たちがいるんだ」
 不意にシャルスは微笑んだ。
「ひとりは金持ちの商人で、エギルを自分の乗馬にしたいと、かなりの額を言ってきた。あいつは見栄えがいいからね。僕はこの話に乗ってもいいと思っている」
「エギルを売るの!?」
「そりゃあ、僕もできればあいつはうちの牧に置いておきたいよ。エギルとは〈天馬競〉で一緒に戦った仲だ。マーセブルッツで、あの低くした頭で馬混みを割ったあいつの走りは、きみにも見せてやりたかった」
 シャルスの微笑はふわりと広がって、リウを柔らかに包みこむようだった。
「だけど、いまの僕にはなにもかもはできない。まずはもっと牧を整える。そのために、エギルがもたらしてくれる金はとても役立ってくれるはずだ。〈大天馬競〉で評判を落とすくらいなら、いっそ出走しないほうがいい。そのほうがまだいい印象が残ってくれる」
「シャルス……」
「僕は少しずつこの牧を育てていくつもりだ。僕の勝利は、なにも今年の終わりにしか見つけられないわけじゃない。一生を懸けたその先にこそ、本当の勝利があるんだ」
 ここにもだ――リウはまじまじとシャルスを見つめる。ここにも自分の大切なものを持ち、それを守ろうとしている者がいる。
 ランダットにとってたったひとつの大切なものは血のつながらない娘のローナで、〈天馬競〉は金を稼ぐただの手段だった。
 そしてシャルスにとっての〈天馬競〉も、自分の牧を育てるための手段でしかない。ただの手段だからこそ、とらわれることなく、こうしてやめるという決断ができる。
 彼らにとって大切なものは〈天馬競〉ではなく、それ以外のものなのだから。
 じゃあわたしは――ぼんやり考えようとしたリウは、両肩をつかむ手に加わった力に、注意を呼び戻された。
「協力してくれないか、リウ」
「えっ」
 シャルスの真剣な表情に、どきんと心臓が跳ね上がる。
「一緒に牧を育てていかないか」
 シャルスの申し出には言葉以上の意味がある。リウは直感的にそのことを理解した。頬が熱くなる。だが、妙にふわふわとした心の奥にはまた他の感情があることを、リウは自分でわかっていた。
 ――わたしは。
 恥ずかしさをこらえてシャルスを見つめ、答えようと息を入れたとき。
 ふっとシャルスの手が離れた。
「返事は、いまでなくていいよ。とりあえずいろいろ後片付けをすませて、それからで」
 リウは黙って鍔広帽を拾い上げ、髪をたくしこんでかぶった。視線はあげないまま、聞くまでもないと思いつつ確認する。
「……〈大天馬競〉には、ランダルム組は出ないんだね」
「リウ、これはやれるかもしれないことじゃない。やれないこと、やっちゃいけないことなんだ。〈大天馬競〉に出たいのなら、バルメルトウで来年また狙えばいい。だけどいまは、せっかくのエギルの値段を下げちゃいけない」
 冷静な、だからこそ反論の余地もない意見だった。リウは心の中で自分の愚かな質問を笑い、帽子の鍔に顔を隠しながらゆっくりうなずいた。
「わかった。――」
 ランダットが出ない以上、シャルスももう〈大天馬競〉に出る意志はない。そのことをリウは知った。

     †

 わたしにとっての〈天馬競〉ってなんだろう――バルメルトウの背で揺られながら、リウはぼんやり考える。
 ただの手段だったのか、それとも目的そのものだったのか。
 夏の盛りを過ぎて、どこまでも続く丘陵の緑は次第に色を変えてきている。匂い立つような生気の色から、このはるか高い空へそのまま溶けてしまいそうな透きとおった色へ。
 近づいている秋を、そしてその後の長い冬を、リウは予感した。
「バルム……」
 その首にリウは手を置く。厚い黒い毛の下に、研ぎすまされた馬体の躍動が感じられる。
「おまえは絶対、天馬だよ。わたしにはわかる。おまえは一〇年に一頭の馬だって」
 リウはそのまま手をすべらせる。
「だって、おまえは勝ったんだから。わたしを背中に乗せて、それでも勝ったんだから」
 バルメルトウの立った耳が注意深くくるりと回る様に微笑をこぼして、リウはなおも愛馬を褒めた。
「ランダルムの名は忘れられても、バルメルトウ、おまえの名前は絶対に忘れられることはないよ。おまえはこれからも勝つ。勝って、天馬になるんだから」
 リウは軽く合図を送る。
 すかさずバルメルトウは駆け出す。鞍の下のしなやかな背、伸びのある歩調。バルメルトウの走りは、これまでリウが乗ってきたどんな馬も比べものにならないほど快い。
 まるで、空を飛んでるみたい――リウはそっと目をつぶる。
 そうしていても不安は少しも感じない。バルメルトウとリウは一体となり、風そのものとなって駆けていく。
 リウがゆっくりと目を開けたとき、もうそこはイシャーマ牧だった。

 唯一知人と言っていいローナは、いまはいない。イシャーマ牧のただ中にある白木壁の家にのぞんだリウは、少し緊張しながらバルメルトウから下りた。
 少年が駆け寄ってきた。
「どちらさまですか?」
「ランダルム牧のリウ。カズートはいる?」
「カズート若さまでしたら、今日は北の牧へ出かけてらっしゃいます。お帰りはいつになるか、うかがっていません」
「そう……」
 帰ろうかな、という気持ちがじわりと胸の底に広がった。リウはぐっと息を呑み、そんな弱気をもう一度押し込めた。ここで帰ってしまえば、きっと明日またここに来ることはできなくなる。そんな気がした。
「じゃあ、帰るまで待っててもいい? このままでかまわないから」
「でしたら上の者に相談してきます」
「あ、ううん、ほんとに待たせてもらうだけでいいの。ここで立ってるから、だから」
「ですが困ります……」
「どうして?」
「僕にも仕事がありますし、だからといってお客さまを放っておくわけにも」
「ほんとにかまわないで。待たせてもらえれば十分なんだから」
「ですが」
 いきなり横から声が入った。
「なんだ、どうした?」
 上から覆いかぶせるような声には聞き覚えがある。リウは振り向いた。
 カズートには似ていない兄、ダールグが家から出てきたところだった。彼はゆっくり歩いてきながら、立てた指を振った。
「ああ、カズートの友達じゃないか。相変わらず男みたいななりだね。どう、〈天馬競〉はあきらめたの? それでうちで牧童のまねごとでもさせてもらいに来たのかい?」
 その顔に不自然に無邪気な笑みが浮かぶ。
「そうだな、ちゃんとした服に着替えれば、メイドのまねごとくらいならさせてあげられるかもしれないよ。ちょうどひとりいなくなっちゃったところだしね」
 かっと頭に血がのぼる。ダールグは無邪気な無神経を装って、リウをいたぶって楽しんでいる。それでもいまは、この男に逆らって追い出されるわけにはいかなかった。
作品名:ライドガール 作家名:ひがら