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ライドガール

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 いつでも他愛ない話ができる、彼の友達でいたかった。そのために、牧を営み馬を扱う、彼と同じ立場でいたかった。願ったのはたったそれだけのことだった。
 それなのに――リウは厩舎に逃げ込むと、からっぽの馬房の前で膝を抱えた。
 こんなときリウの肩先をちょんちょんとつついて、どうしたのと聞いてくれるバルメルトウももういない。
 リウはひとりだった。
 当たり前、と膝に埋めた顔に歪んだ笑みを浮かべる。ちっぽけな牧を維持するのに精いっぱいで、なんとかしようと身の程知らずの挑戦をし、余裕のないままカズートを傷つけ、あげくたった一度の落馬で馬にも乗れなくなった。
「最初から、わたしには無理なことだったんだ……」
 胸がしめつけられて苦しかった。けがの痛みよりも心の痛みのほうがひどかった。
 膝に顔を押しつけて、リウは小さく息をつく。胸が痛くてそれ以上の息が出てこない。
「これで、おしまい……」
 〈天馬競〉をあきらめて廃業するなら、やらねばならないことがある。まずは牧の馬たちの行き先を決めてやらなければならない。ローナから預かった馬も頼む必要がある。
 リウは荷馬車を用意し、ノア牧へむかった。道どおりに常歩で進む馬に引かれた荷馬車での道中は、バルメルトウで駆けたそれまでよりも、ずっと長い時間がかかった。
「……だけどこれが、わたしにはお似合いなんだ……」
 リウはつぶやき、目をつぶった。

     †

 ノア牧にシャルスの姿は見あたらなかった。
 荷馬車を下りたリウは牧草地まで歩き、牧童を見つけてシャルスの居場所を聞いた。
「や、知りません」
「出かけたの? でもそれにしたって」
「そうじゃねえです。若旦那ならうちの牧にいまさあ」
「じゃあ知ってるよね。どこ?」
「それが……」
 牧童は言いづらそうに顔をしかめた。
「なにかあったの?」
「いえ……」
「言って。シャルスには言わないから」
「……へえ。おれがこんなこと言ってたなんて、若旦那には言わねえでくだせえよ」
 リウは約束した。
「今朝どっかからの使いが来てから、若旦那の機嫌が悪くって。うっかりつかまって怒られちまう前にと、朝飯の後はさっさとこっちに出てきちまいまして。急ぎの用でねえなら、お嬢さんもいまは若旦那に会わねえほうがいいですよ」
「じゃあうちの馬は? バルメルトウ。黒い牡馬」
「へえ、たいした暴れ馬で」
「……どこ?」
「若旦那、そのことでもかりかりしてたみてえでね。調教場に連れ出せって、運悪くつかまった奴に言いつけてました。馬も馬で、黒い悪魔みたいな野郎だからね。おととい昨日と、もうおれたち三人が三人とも、こっぴどく蹴られるところでしたぜ」
「……ごめん、それはわたしのせいなんだ。みんなけがはなかった?」
「へえ、大丈夫でさ。気にすることはねえですよ、ランダルム牧のお嬢さん。馬には脚ってもんがついてるだけのことでさ。またあいつの脚は特別長えしね」
 牧童はにっと笑ってくれた。
 それでもリウの気分は晴れなかった。
 調教場まで馬を貸そうと言ってくれた牧童の申し出を断わって、リウは歩いて向かった。
 北部タールーズ地方も初夏を迎えている。空には雲ひとつなく、目に染みそうな青がどこまでも広がる。こんな日に緑の牧の中を歩くのは、気持ちがいいことに違いなかった。
「そうだよね」
 リウはうなずいた。足もとからたちのぼる草の匂いは近く、頬をなぶっていく風はおだやかで柔らかい。こうして自分の足で歩くのも悪くない――もはやそうすることしかできなくなってしまったとしても。
 歌を口ずさみながらゆっくり歩いていったリウの耳に、やがてふたりの男の会話が聞こえた。ただの会話ではない。語気荒く怒鳴り合っている。リウは驚いて走り出した。
 上り道が下り坂に変わった道の先に、馬と人がいた。馬は激しく頭を振って逆らい、その手綱を取る人影が振り回されそうになっている。全身黒の馬体はバルメルトウに違いなかったが、こんなにも乱暴なことをする馬ではなかった。
 そのことにリウの胸はずきりと痛む。いますぐ走り寄ってなだめてやらなければいけないのに、足がすくんで動かない。
 だが、気がかりなことは他にもあった。
 バルメルトウから遅れて歩きながら、やはりふたりの男が言い争っている。太陽を受けて輝く褐色の髪と、同じ光を受けながらますます濃く暗く見える黒い髪。
 シャルスと、そしてカズートだった。
 もう言葉そのものまで聞こえる。
「――だから、無理なんだ!」
 珍しくシャルスが声を荒げている。
「お節介はもうやめてくれないか、迷惑だ! こうして言うことを聞くのも、これが最後だと思ってもらいたい!」
 カズートが言い返す。
「そんなに自分の意見に自信があるのか! 自分が間違ってるかもしれないとは思わないのかよ!」
「いいかげんにしてくれ! ……大体、このことはどこから聞きつけたんだ。人を使ってこそこそ探り回っているのかい、それとも、イシャーマの御曹司にはみんながご注進してくれるのかな?」
「そんな言い方はやめろ! 医者の家に家政婦がひとりいれば、誰がどんなけがをしたかなんて、広まるのは十分だろ」
「それは失礼、うわさなんて聞こえない耳を持っているのかと思っていたものだから」
「……どういう意味だ」
「それならもう少しいろいろ慎重になれただろうに、ということだよ」
 カズートが言い返すより早く、シャルスはさらに言葉をかぶせた。
「わかったのならこれを最後に引き下がってくれ、わからないなら帰ってゆっくり考えてくれ! 迷惑なんだとはっきり言っただろう、僕も、それにリウ自身もだ!」
 なんだろう、なんの話だろう、そんな疑問がぐるぐるとリウの頭の中で回っている。すぐ目の前に答はあるのに、わざわざ目をつぶって手探りしているかのようだ。彼がどんな言葉を返すかそれだけが気になって、リウはカズートの横顔をうかがった。
 黒い頭がわずかに揺れる。カズートが答えようとしている。
 リウはますます体を強ばらせて、そのときに備える。
「――あいつが本当に、自分からやめるって言ったのか?」
 低い声がつむいだ言葉は、否定でも肯定でもなく、質問だった。
 すぐに、今度はシャルスの頭が動いた。
「言わせることもないだろう。すでにいっぱいいっぱいになっている子に、どうしてそこまでやらせる必要があるんだ。周りから止めてやるのが思いやりじゃないか」
「だから、それが信じられないんだ。おれが知ってるあいつだったら、そんなことをされたら怒るはずだ」
「……だったら聞こうか、きみはリウのなにを知っているんだ? リウは元気で、まっすぐで、いつだって明るく笑う子だ。だけどそれはリウの優しさなんだ。こちらに笑ってみせる顔の下で泣いていることだってあると、きみはわかってやれないのか?」
 そうだろうな、とシャルスはカズートに返事を言わせずに続けた。
「わかってやれるような男だったら、あんなふうにうわさになるほどランダルム牧に出入りしたあげく、南部へ行きっぱなしで音沙汰なしなんてことはしなかっただろうね。わからずにそうしたならきみは無神経な男だし、わかっていてのことなら不実で無責任な男だ」
 その声は別人のように冷たかった。
作品名:ライドガール 作家名:ひがら