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ライドガール

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「……ごめん。本当のこと言うと、お祝いする気分になれなくて」
「やっぱりあのことを気にしてるのかい?」
「……」
「気にする必要なんてないんだよ、リウ。きみは到着後すぐに自分のしたこと、その男のしたことを報告したし、係員と他の乗手も中継地で男がきみにつっかかっていたことを証言している。きみのしたことは正当防衛だ」
 リウは黙って唇を噛みしめた。
「さっき、その男が広場に着いたよ」
「えっ」
「到着を僕も見ていたんだ。相当にひどい乗り方をしたんだろう、鞍を下りていたよ。頭を振って逆らう馬を引っ張ってきた。自分は不当な暴力を受けたんだとわめきたてながらね。僕も抗議しようとしたんだが、それより早く誰かが野次を飛ばしたんだ」
「なんて?」
「要は女にやられた大まぬけってことだろ、ってね。その場にいたみんな、係員まで吹き出したよ。それで自分の情けなさがやっとわかったんだろうね、すごすご立ち去ったよ」
「……そう」
「僕たちの二位は正式に認められたんだ」
 リウはうなずいた。だが、誰にどう言ってもらおうと、自分がしたことは自分が一番よくわかっている。男と馬が無事に戻ってきたことで少し気持ちは楽にはなったが、少なくとも今日は、リウは自分の二位を喜ぶ気にはなれなかった。
「……ん、でも、ごめん」
「わかった。だけど、ここはもう引き上げたほうがいいな。きみは疲れている。僕たちはあともう一回、勝たないといけないんだよ。休んで体調を整えるのも義務のうちだ」
「ん、そうする。でもあとちょっとだけ、ここにいさせて」
「本当に大丈夫かい、リウ?」
 リウは無理に笑顔を作った。
「大丈夫」
 ふたりの視線が合ったまま、一瞬の間があった。
「――」
 シャルスがさらに近づいて体をかがめかけたのと、リウがはじかれたように立ち上がったのは、ちょうど同時だった。
 先ほどよりもっと短い間を埋めるため、リウはすかさずにこりとした。
「ね、大丈夫だって」
 視界の下のほうで、さりげなくシャルスの手が引き下がった。彼も微笑んだ。
「ほどほどで部屋に戻るんだよ、リウ」
 シャルスは立ち去った。
 リウは半ば無意識に胸をおさえ、胸の中がからっぽになるほど大きな息をついた。
 後ろでバルメルトウがぶるっと鼻を鳴らす。
「もう、のんきに笑ってないでよ! ……びっくりしたんだから」
 リウは唇をとがらせ、体ごと馬に向きなおると、差しのばされたバルメルトウの首に抱きついた。そしてそのまましばらくそうしていた。
 今度はぱたぱたと小走りの足音が厩舎の外から聞こえた。
「――リウさん、いらっしゃいますか?」
 心細そうな少女の声がリウを呼び、厩舎の入口にひょこりとローナの顔がのぞいた。
「ああよかった、リウさん!」
「ローナ! 来てたの?」
 走り寄ってきたローナはあいさつもせずに泣き出しそうな顔になり、心配で心配でたまらないというように両手を揉み合わせた。
「どうしたらいいんでしょう! あたし、もうリウさんしか思いつけなかったんです!」
「え? ねえローナ、落ち着いて。ランダットさんになにかあったの?」
「今日は父ちゃんじゃないんです! あの、カズート若さまが」
 不意に聞いてしまった名前がちくりと胸を刺した。リウは懸命にその小さな疼きを否定しながら、ローナの話をうながした。
「カズートが、どうかした?」
「あの、あたしに馬をくれて!」
「え?」
「馬なんですよ、馬! 木馬とか屋台のおもちゃとかじゃなくて、本物の! だけどあたしただのメイドだし、牧にもうちにもそんな馬なんて置けないし、だからってまさかいただいた馬を売っちゃうわけにもいかないし、もうどうしたらいいかわかんなくって!」
「馬? どうして?」
「わかんないです! さっき若さまが宿に戻ってきたと思ったら、いきなりやるって言って。冗談かと思ったんですけど、ほんとに宿の厩舎に見慣れない馬がいるんです! 一緒に来てる牧の人に言っても、よかったなとかいい馬だぞとかって笑ってるだけで!」
 まだその目に涙がないのが不思議なくらいだった。
「あの馬、どうしたらいいんでしょう、リウさん……」
 リウは腹が立ってきた。シャルスとの約束がある以上、そしてひどいことを言ってしまった以上、カズートに会うわけにはいかない。それでもこの勝手ぶりはどうかと思った。
 まずはローナを落ち着かせてやらなければならない。
「とりあえず、どんな馬なのか見せてもらおうか? わたしでよければ、だけど」
「はは、はい! ありがとうございます!」
 ローナが案内した宿は、宿屋の多いフラシコでもひときわ目立つ大宿だった。これならカズートと顔を合わせることもないだろうと、リウは広い中庭を横切り、厩舎へ入った。
「この馬なんです……」
 壁に反射する夕暮れの残光に照らされた馬房には、あの体調を崩していた灰色の牝馬がいた。こちらに尻尾を向けていらいらと馬房の中で体を揺らしているものの、体はきちんと拭いて毛布をかけてある。あの男が自分の馬にそんな手をかけてやっていたとは、リウには信じがたかった。
「この子、ローナが拭いてあげたの?」
「まさか! 牧の人の話だと、若さまがいきなりこの馬を連れてきて、自分で世話をしてたって。すぐ戻るからって、またその後どこかに行っちゃったみたいですけど」
 おいで、とリウは低い声で灰色の馬を呼んでみた。牝馬らしい華奢な頭が振り返った。だが、なにかがおかしい。リウは目をこらした。
 違和感の原因はすぐにわかった。馬の鼻先をすっぽり覆う口かごがかけられている。
 おいで、とリウはもう一度呼んでみた。
 馬はゆっくり脚を運んで体の向きを変え、リウが差し出した手のひらの匂いを口かご越しに念入りに嗅いだ後、ちょんと触れた。
「おまえも今日、がんばったんだもんね」
 リウがそうっとなでてやると、馬はわずかに動き、ぶるっと鼻を鳴らした。
「ほんと、どうしよう……」
 ローナが困り切った声でつぶやいた。
「あたしがここに来たのは、若さまにあらかじめお部屋を準備しておくようにって言われたからなんです。たしかに、お掃除とかも宿の人にまかせないで、ちゃんとしときましたけど、だからってこんなご褒美をもらうようなことじゃ……ああ、フラシコ行きなんて断わっとけばよかったです。父ちゃんも出るって聞いて、だったらなんて思っちゃって……」
「でもとってもいい馬だよ、この子。わたしたちと三走で走ったんだから」
 けれどもローナは、そうですか、としょんぼりした上目づかいになっただけだった。この持て余すしかない贈り物をどうしたらいいのか、それだけで頭がいっぱいなのだろう。
「――ローナ。もしよかったら、この子、うちの牧で預かっておこうか? 一頭くらい増えたって、手間はそう変わるものでもないし」
「えっ! ほ、ほんとですか!」
「ん、いいよ。うちだって一応は牧なんだし、それにランダットさんにはお世話になってるから。わたし、お金がなくってお礼を十分払えないから、せめてその代わり」
「そんな、お礼だなんて! ああ、だけどほんとに、ほんとにありがとうございます!」
 ぱあっと明るくなったローナの表情に、リウもつられて微笑んだ。
作品名:ライドガール 作家名:ひがら