ライドガール
「おれたちは完走したんだぜ。色をつけてくれたっていいんじゃねえか」
「あんな最下位で旗棒を渡しておいて、よくそんなずうずうしいことが言えるね」
「いいじゃねえか、もう廃業するんだろ」
「……なに、それ?」
「中継地で、親切な奴が教えてくれたぜ」
「ランダルム牧ってところは、牧だなんて名ばかりで、牧童どころか持ち馬もろくにいねえ。〈天馬競〉にやっとこ出られるのが、そのひょろいのだけってな」
リウは息をついた。
「トラブ地方でも知ってる人がいるなんて。うちの牧って、案外と有名なんだ」
「そりゃそうだろうよ、ろくな馬も乗手もいねえってのに〈天馬競〉に出てくるんだもんな。普通はできねえぜ、恥ずかしくて」
「……そう、うちは牧なんて名ばかりで、廃業寸前です。だから約束以上の礼金なんて払えません、今回はご苦労さまでした」
しかしふたりは引き下がらない。
「他の町の〈天馬競〉にも出たんだろ」
「思い出作りに行ける金はあるってことだろうがよ。この完走はいい思い出になったろ」
「そんなお金なんてないよ。あったら廃業寸前になるわけないじゃない」
「うそつけ!」
「ないったらない。ここの宿代払ったら、財布には一銅貨だってないもの。うそだと思うなら、タールーズ地方のうちの牧まで来てよ。うわさのとおり牧童なんてひとりもいなくて、馬もたったの五頭きり、おまけに去年水が出て、低地は池になってるの」
皮肉な微笑がリウの唇の端をかすめる。
「わからない? だからなんとしてでも〈天馬競〉に勝つしかないんだってこと」
ふたりの男は顔を見合わせた。
「……わかったよ」
「よかった、ありがとう」
にこりとしたリウに目もくれず、男たちは馬を馬房から引き出し、出ていった。
リウはバルメルトウの鼻面をなでた。
「さあ困ったね、バルム。わたしたちも、帰るしかなくなっちゃった」
†
チェクの町を発ち、いよいよ今夜どうするか心を決めなければならなくなってきたころ。草原に伸びる白い道の先に、リウは七、八頭ほどの馬群を見つけた。
一本の引き綱につないだ馬群の周りを馬に乗った牧童が囲む光景は珍しくはないが、さらに移動馬房と呼ぶべき大型馬車まである。これ一台の値段で普通の家が建てられるほど贅沢な物だった。そんな代物が必要となるほどの高級馬を扱う牧はごく限られている。
「……まさか、イシャーマ牧?」
こんなときに、こんなところで――リウは唇を噛む。
「だけど、道はずっと同じだし……」
足は単騎のこちらが速い。普通にしていればそのうちに追いついてしまうはずで、そうでなければ逆におかしい。様子をうかがう馬泥棒の一味と疑われかねない。
「――バルム、ちょっと早いけど、今日はこのあたりで泊まろうか」
少しでも距離を稼いで、さっさと家に帰りたいところだが、リウはそう決断した。
街道を左にはずれた草原に、夜露をしのぐ助けになってくれそうな太枝を張り出した木が立っている。落ちている枯枝で焚火をして、毛織りのマントと毛布があれば、ひと晩くらいしのげるだろう。リウはバルメルトウの頭を向けて草原に乗り入れようとした。
だが、その前に駆けてくる馬の蹄の音が迫ってきた。待ってください、と声がかかる。
「女性……の方、ですよね」
牧童は、幅広帽と風防布でほとんど隠れたリウの顔をのぞきこんだ。
「若さまから、あなたを連れてくるよう言いつかっています。ご足労いただけませんか」
丁重な態度は、牧童というよりも従者と呼ぶほうがふさわしい。けれどもまったくうれしい招待ではなかった。リウは息をついた。
「若さまって、イシャーマ牧の誰? 長男次男三男は独立して若じゃなくなったにしたって、四男、五男、六男までいたはずだけど」
「カズート若さまです」
ごくつぶしの五男坊、というなつかしい揶揄はリウの口の中にとどまって、牧童の耳には届かなかった。リウは顔を覆った風防布を引き下げた。
「……そっか、帰ってきたんだ」
リウはひとつ深呼吸すると、バルメルトウの腹を軽く蹴った。
大型馬車の窓はすでに開いていた。リウは口をきっと引き結んでその窓を見つめた。
黒髪を風になぶらせ、一年前より少し痩せた顔が、一年前と同じようににやりと笑った。
「よう。どこかで見たような馬だと思ったらやっぱりおまえか。その格好も相変わらずだな、つか前よりひどくなってるぞ」
イシャーマ牧は、馬の生産が盛んな北部だけでなく国中にその名を知られた大牧で、王家にも関わりがある。その筆頭経営者がカズートの父親だった。
同じタールーズ地方の同業者ではあるが、あまりに規模が違いすぎて、リウの家とのつきあいはまったくない。しかし子供のころから遠乗り好きだった五男のカズートだけは、ちょくちょくランダルム牧までやっては水を求め、ついでに年の近いリウにからっとした憎まれ口を叩いていった。
相手は大牧の御曹司ではあったが、おとなしくする筋合いもなければ、性分でもない。リウも遠慮なく言いかえすことにしていた。
彼が急に南部へ行ってしまってこの一年は会ってなかったが、それまで一〇年もやりあってきた昔なじみである。まして先に以前のようにしかけてきたのはカズートだ。リウも以前のように言い返す。
「そっちこそ、目つきの悪さはちっとも直ってないね!」
「そんなふうに言うのはおまえくらいで、世間じゃ精悍な目もとって言うらしいぜ」
「南部人はお世辞が上手っていうもんね。で、なんの用?」
「冷たいやつだな。久しぶりに会ったんだから、ちょっと話でもと思ったんだよ。おまえのところ、近ごろどうなんだ。今日はこんなところまで商談か?」
「……ん。まあ、そんな感じかな」
一族の仕事は実際の馬の世話よりも商談というイシャーマ牧だが、五男のカズートだけは馬専門で、経営にはほとんど関わっていなかったはずだった。しかし、十八歳になってついに本来の一族の仕事についたのだろう。カズートの首にあるのは幾重にも折られた絹のスカーフで、目的は風よけや防寒などではなく装飾であることは明らかだった。
リウが知っていた以前の彼からは想像もつかない姿だったが、意外にしっくり似合っている。そんな彼からリウは目をそらせる。
「そっちこそ、商談?」
「ああ、売ってきた。去年の白天馬」
「――へえ」
一瞬喉をつまらせた自分を悟られたくなくて、リウはいつも以上に低い声を出した。
〈大天馬競〉で五位までに入った馬たちには、金・銀・青・赤・白の天馬の称号が贈られる。称号馬はその牧の誇りであり、取引されるのはもっぱらその血をひいた仔馬だが、まれに称号馬が売られるときには俗に「王冠も買えるほど」と言われる高値がつく。
「去年のイシャーマの馬は、白だったっけ」
「最低でも青は獲れたはずだって、親父はくやしがってたけどな。今年は大丈夫だろうから、もう白は要らないんだとさ」
リウは震えるか裏返るかしそうな声を無理やり押さえつけた。
「そんな大事なお使いをまかされるなんて、少しはイシャーマの人間ぽくなったんだ」
「まあ、な」
「昔なじみとしては、おめでとうくらい言っといてあげるよ。それじゃあね」