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ライドガール

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四 葡萄酒の町で




 ともにランダルム牧を出発した朝日が、天頂近くなったころ。丘の上に広がった町が見えてきた。整然と区画された葡萄畑が、つづりあわせた端布のように町を囲んでいる。葡萄酒の名産地として広くその名を知られた、フラシコの町だった。
 しかし馬上のリウが気になるのは〈天馬競〉のことだけだった。
「道しか走れないね」
 農地に馬を入れて土地を荒らすことは、どこでも厳しく禁止されている。これだけ葡萄畑だらけの地形となると、今回は本来の道を通るしかないということだ。
 シャルスも鞍の上からあたりを見わたした。
「だけど、その道は十分に広い。そう気にすることはないんじゃないかな。〈天馬競〉当日は畑仕事も制限されるから、他の馬車や馬もないだろうし」
 たしかにフラシコの周辺の道は通常よりもはるかに広い。葡萄の収穫や、出荷する葡萄酒を考えてのことなのだろう。馬はもちろん相当な大型馬車でも余裕ですれちがえそうだ。
「でも、競路が狭いのって、なんかいやだな。――どう、ランダットさん?」
 リウは振り返った。
 ノア牧の馬の中から適当そうに一頭を選んだランダットは、いまもどうでもよさそうな顔で選んだ馬の背に揺られている。
「こういう狭い競路って、経験ある?」
「んー、それなり。ま、でも、そこまでの勝負になることって滅多にないし」
「今回は?」
「なるかもなー。どの馬も、結構やる気ありそうだもん」
 馬について言うあたりが、ランダットらしかった。
「そっか。でも、人だって負けてないよ」
 通常〈天馬競〉出走者たちは、早めに開催地の町に入って自分や馬の体調を整え、ゆっくり競路の下見をする。しかし、リウたちのように金銭的な余裕がなくてぎりぎりに入るする者たちもいれば、雇い主を捜して延々とうろつく助っ人志願の者もいる。もちろん準備する町の人間もいて、結果フラシコの町に近づくに連れて混雑は増すばかりとなる。
 ごった返す人、馬、そして馬車。
 道は町の中に入っても広さを保っていたが、それでも混雑は抑えきれない。ことに小回りのきかない馬車は身動きがとれないようで、御者の罵声がそこかしこであがっている。
「やっぱり狭いのってよくなさそうだね」
 リウはぼやいた。本来草原に棲まう馬は狭い場所を好まない。リウは少しでもひらけた空間を見つけ出して、バルメルトウをそちらに誘導していった。そうしているうちに、いつのまにかシャルスやランダットと離れてしまった。
 とはいえ、行き先は決まっている。出走受付はどこでも広場で行われるものだからだ。
「広場の北ね!」
 振り向きながらリウが叫ぶと、シャルスとランダットはそれぞれ手をあげた。
 これでバルメルトウと自分だけを心配すればよくなった。リウは方角と、あれこれと物が落ちている足もとに気をつけながら、ゆるやかな坂道を進んだ。
 声がしたのはそのときだった。
「見ろよ……」
 それまでの喧噪が少しずつ静まって、あたりの人馬が動きを止めていく。だけではない。道の真ん中にいた者は、あわてた様子でよけていく。
 よほど偉い者でも来たのかと、リウもバルメルトウを端に寄らせ、肩越しにふりむいた。
「――」
 頭上からの陽光を受けて、乳色、月色、銅色、それぞれの色に輝く三頭の馬が、軽やかな足取りでやってくる。規則正しく石畳を叩く蹄の音は、明日の凱旋の予行練習のようだ。つけられた馬具はつやめき、脚を保護する布までもが装飾品であるかのように美しい。
 馬たちの乗手がどけと声を張り上げたわけではない。だが彼らの行くところ、自然と道はできる。邪魔してはいけない、そんな思いが見る者の胸にこみあげるせいだ。
「主役が来たぜ」
 誰かのつぶやきに、リウは今度こそ息を詰まらせた。
 続いて無蓋の小型馬車がやってくる。すでに天馬のような馬たちに比べれば簡素すぎる馬車だが、そこにひとり乗る絹スカーフの若者を、この場にいる誰もが知っていた。
「イシャーマの五男だぞ」
 馬車の手綱をとるカズートは、馬に乗る姿勢のままだった。自分にふりそそぐ視線を完璧に無視して馬たちのさらにその先を見据えた視線は、まったく動かなかった。
「五男は乗るんだったな。今年は御曹司ご本人が出るのかね」
「あの格好じゃあ違うだろうよ。明日の優勝の見物だろうさ……」
 リウは目をそらせ、カズートを見つめる無数の視線から抜けた。視界の隅をカズートの馬車が去っていった。

     †

 〈天馬競〉の日の早朝、出走者は町の外に集まった。
 ほの暗かった空も次第に白んで光を増していき、丘陵地を眠りから呼び覚ましていく。うっすらと朝露を葉に乗せた葡萄畑が、あざやかな緑に輝きはじめる。
 画家が自分の画布の上に切り取りたいと願うに違いない朝の景色を、だが、リウは一瞥もしなかった。リウの視界も関心も、冬毛のままのような厚い毛に覆われた脚と、不格好なまでに大きな蹄によって占められていた。
「バルム、大丈夫だね。おかしなところはないよね」
 リウはその脚をさすり、蹄を裏側まで確かめた。不穏な熱も腫れも感じられなかった。
 できるだけいつもと同じようにと思っていても、鼓動は早く、大きく、体全体に響いている。ブーツを履いた足もとも、夢の中で雲を踏んでいるかのように浮ついている。リウは息を吸って体を起こし、バルメルトウの肩に手を置いた。
「――よし。行こう、バルム」
 同じように自分の馬の傍らに立つシャルスは、念入りに馬具を確かめている。
 ランダットは、いつもとまったく同じのんきそうな顔で馬に低く話しかけている。
 フラシコまでの道中、シャルスは優雅に、そしてランダットはゆったりと、それぞれ馬を走らせていた。〈天馬競〉の乗手としての経験は浅いが、それでもリウはこれまでたくさんの乗手を見てきている。はっきりした格付けなどできないにしても、彼らは並以上の乗手であると、自信を持って断言できる。
 やれる、きっとやれる――これまでの〈天馬競〉前につぶやきつづけてきたその言葉は、緊張する自分への励ましと淡い希望としてだった。だが、今日はそれだけではなかった。
「がんばろう。わたしたち、きっとやれる」
 リウは彼らに言った。組んだ相手にこうやって声をかけるのは初めてだった。
 シャルスはうなずき、ランダットも飄々とした顔をこちらに向けた。
 リウはそんな仲間たちの姿に集中する。イシャーマ牧のあの見事すぎる馬たちを、雑踏の中に見つけてしまわないように。バルムは絶対に他のどんな馬にも負けない、そんな信念を万が一にも折られてしまわないように。
「バルムもわたしも、みんなを信じて待ってるから」
 係員が二走騎・三走騎を集める声があがり、それぞれの集合場所に旗が立った。
「シャルス、がんばって。初めはどうしても競り合いになるから、大変だけど」
「ああ、大丈夫だ。エギルの飛び出しにまかせてくれ」
「ランダットさんも気をつけて。二走の競路は荒れ地で、馬が蹄を痛めやすいんだよね?」
「こいつにも言っといた」
 ふたりににこりと笑いかけ、リウは愛馬の手綱を引いて、三走騎の旗を目指した。
「おいおい、どこのガキだ?」
 同じく旗の下に集まったうちの誰が言ったともつかない声がする。
作品名:ライドガール 作家名:ひがら