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ライドガール

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 ローナがお茶をふるまいながら語ったところによると、彼はある日ふらりとプルノズ農場に現われ、ランダットと名乗って居着いてしまったらしい。そのうち農場の娘と結ばれ、ローナが生まれた。三年前にその母が、そして今年に入って祖父が死んで、農場を続けられないと判断したローナは、つてをたどってイシャーマ牧へ働きに出たということだった。
「父ちゃんも、いるときはいろいろやってくれるんですけど、ときどきふらっとどっかへ行っちゃうから。あたしひとりで羊と畑なんて、とても無理だし」
 と、ローナは十三歳の少女にしては大人すぎるため息をついた。
 どう言葉を返せばいいのかわからなくて、リウの相づちはあいまいな音にとどまった。
 だけど、とローナは体をかがませて声をひそめる。
「父ちゃん、帰ってくるときにはお金を持ってくるんですよ」
「お金を?」
「どうしたのって聞いても、絶対教えてくれないんです。鼠、って言うだけで。あたしもう、どっかで悪いことしてるんじゃないかって心配で心配で、保安官さんの奥さんにこっそり聞いてみたんです。だけど泥棒とか強盗とか、そういう悪い人はいないって」
「そうだね、このあたりでそんな話は聞かないな」
「だから大丈夫かなとも思うんですけど」
「ん、変わってるかもしれないけど、全然悪い人には見えないよ」
「だけど、父ちゃんがちゃんと働いてお給金をもらうところなんて、想像できなくって」
 ローナはまたリウが答えにくいことを言うと、吐息をつきながら振り向いた。と、すぐに声を張り上げる。
「あああもう父ちゃん! ひとりで全部食べちゃだめ!」
 ローナはランダットの手から小さなパンケーキを積んだ皿を奪い取った。
「お、そうなの? だっておまえら、さっきから全然食べないから」
「お話してただけ! 父ちゃん、子供みたいなことやめてよ、恥ずかしいんだから!」
「蜂蜜、要る?」
「要る!」
 手から手へと移動した小さな壷は、ランダットが渡したのかローナが奪ったのか、難しいところだった。
「ほんとにごめんなさい。あの、どうぞ」
 ますます顔を赤くして、パンケーキをすすめてくるローナの姿に、リウはくすりとした。
「でも、いいな」
「はい? なんですか?」
「ん、ローナとお父さんが」
「どっどこがですか! あたし、もっと落ち着いてて大人っぽい父ちゃんがいいです!」
「だけどうちの親となんて、こんな楽しい感じにはならないよ。いまは特に、わたしのやることには反対だから」
 いただきます、とリウはパンケーキを口に運んだ。昔はリウも粉まみれになりながらパンケーキを焼いて両親にふるまったが、いまはそんなこともなくなっている。
「まあ、わたしに反対するのは、父さんや母さんだけじゃないんだけどね」
「それ、カズート若さまのことですか?」
「……なんか言ってた?」
「いえ、特には。ただ若さま、最近ますますぶすっとしてるから――あ、すみません、これ若さまには内緒にしてください!」
「もちろん……そっか。カズート、そうなんだ」
「ええ、そうなんですよ。だからリウさんと喧嘩したのかなって思って」
 喧嘩なんていいものじゃない、とリウは目を伏せた。昔なじみを一方的に傷つけてしまったという苦い思いが胸の底で疼いた。
「それに、もともとみんな心配してたんですよ。カズート若さまって馬が好きで、乗るのも上手で、昔から牧の人に人気があったんですよね? なのに南部から帰ってきたら様子が変わってて、今年まかされた馬も、管理はしてるけどあんまり興味ないみたいだって」
「……〈天馬競〉に出す馬?」
「はい。また冬には皆さん南部に行くみたいですから、ダールグ若さまのほうがやきもきしてるんです。イシャーマ牧が勝たないと、婚約したお姫さまに格好がつかないって」
「あはは。カズートもちゃんと仕事しないといけないね」
 リウは無理に愛想笑いを浮かべた。
 それをそのまま受け取ったのか、ローナは力強くうなずいた。
「そうですよ、よかったらリウさんからなにか言ってあげてください。みんな、本当に心配してるんですよ。あんなのカズート若さまじゃないみたいだって」
 リウの愛想笑いが崩れそうになった、そのとき。
 悲鳴のような甲高いいななきがあがり、ごとりと重い不吉な物音がした。
 大虻にしたたかに刺されたか、あるいは鼻先をかすめた蜂かなにかに驚いてしまったらしい。すぐに辞去するつもりで荷馬車につないだまま待たせていた馬が、大きく前脚を跳ね上げている。後ろの荷馬車までもが持ちあがり、ふたつの車輪が浮きかけている。
「危ない!」
 荷馬車の重量で体勢をくずせば、馬はあっというまに倒れる。けがをせずにはすまない。
 馬をなだめに走ろうとしたリウよりも、さらに早く。
「お」
 赤毛の頭が手すりを跳び越えた。
 走った勢いそのままに、すばやく片手でたてがみをつかんだ細身の体が、直立しかかった馬の背に飛び乗った。すかさず両の脛で馬の胴をはさんで立ち上がる。荷馬車用の長い手綱を引くと同時、おびえきってぺたりと伏せられた馬の耳に静かな声でささやきかける。
 目の前で起きた一連の出来事を、リウはただ見守ることしかできなかった。
 馬がゆっくり前脚を下ろした。ぶるっと頭を振り、荒い鼻息をつくと、いらいらと片脚で地面をひっかいた。
 ランダットは平らに戻った背に軽やかに腰を下ろし、馬の首を優しく叩いてやっている。まだパンケーキの残りを頬張ったままささやきつづける不思議な言葉は、もしかしたら馬の言葉なのかもしれない。馬はじっと耳を傾けている。
「父ちゃん――」
 ローナの目はすっかり丸くなっていた。

     †

 風が吹きわたる北部の緑の丘陵地帯は、詩人たちに草の海にも例えられる。
 そのただ中を、バルメルトウは規則正しい歩調でゆったりと駆けていく。
 ひとたび〈天馬競〉ともなれば、道ばかりを走るわけではない。〈天馬競〉で定められているのは、出発地、中継地、終着地だけだ。通常は一ファラ――一〇分の一リーグごとに目印となる競路柱が立てられているが、それに沿って走らねばならないという決まりはなく、また競路柱そのものが本来の道からはずれていることもある。
 バルメルトウを自然のままの地表に慣らすためにも、リウは普段からできるかぎり道以外の場所を通らせるようにしていた。
 一時間ほど走りつづけて、さすがにバルメルトウが汗をかきだしたころ、ノア牧の入口が見えてきた。胸の高さの門扉は閉じられている。リウは道に戻り、バルメルトウに体勢を整えさせてからもう一度駆け出させ、門扉をひと息に飛び越えた。
 そっくりで見分けのつかない犬たちのさわがしい出迎えのあと、馬に乗って牧を見回っていたらしいシャルスが姿を現わした。
「見えたよ。普通に門を開けてくればいいのに」
 と馬上のシャルスは苦笑したが、リウは表情をくずさない。
「〈天馬競〉ではなにがあるかわからないから。いざというとき、困るのはバルムだもの」
「歴戦の勇者のような心がけだね」
 シャルスの苦笑がいつもの微笑に変わった。
「牧へ行こうか。バルメルトウも歩かせてやるほうがよさそうだ」
作品名:ライドガール 作家名:ひがら