Please tell me.
「……そうですか」
塾長は相槌を打つとすぐに目を瞑り押し黙った。
それもそうだろう、塾生に対して恋愛感情を持ってしまった講師がいるのだから。いくら人手が足りずとも、そんなバイトを雇い続けるわけにもいかないだろう。生徒のためにも、塾のためにも。きっとそんなことを考えているのだろうと、僕は塾長の顔を見ることも出来ず俯いていた。
その間、事務室内は沈黙に包まれている。そして数分程度経ったころだろうか、塾長は重い口を開き
「しばらく預からせてください」
そう呟いた。
あれから結局塾長は僕が辞める件についてはなんの反応も示さない。
このままずるずると無かったことにでもするつもりだろうか。そうだとしても、僕が望月のことを好きだという事実は無くならないのに。
そんな何事にも気乗りしない休日、もちろん大学は夏休みなのだから僕にとっては毎日がある意味休日だけど、今日は塾のバイトも休みなので本当に何もない。
僕は買い物でもしようと駅前を歩いていた。
「暑いなあ」
照りつける日差し、それを受け温度を高めるアスファルト。誰もが茹だるような暑さの中、歩き続けあるいは休憩し、まだまだ夏は終わっていないことを感じているようだ。
「あ……」
駅前にある平凡な時計の側、そこには私服に身を包んだ望月と、彼女と親しそうに喋る少年がいた。
視力は良い方なので見間違えではないだろう。
彼女の傍に立つ少年は整った顔たちの爽やかな少年といった感じだった。その顔にはこれまた爽やかな笑顔があった。
敵いそうにもないな、と僕は早くも敗北を感じていた。いや、遅すぎるのかもしれない。
そして彼女も終始笑顔で彼と言葉を交わしている。
恋人だろうか。
高校二年生ともなれば、恋人がいても別に問題もないだろうし、ましてや今は夏休み。一緒に遊びに行くことは当たり前と言ってもいいだろう。
当然のことだが、そう思った時、僕の心は穏やかではなかった。そりゃそうだ、片想い中の相手が、自分より格上と思える人物と親しげにしているのだ。
悲しいとも妬ましいとも違う、何か諦めのようなものと焦りがごちゃごちゃに渦巻いていくのを感じた。
あの休日から数日、今日も僕は望月を担当している。塾長も辞めさせる気がないならせめて、彼女を僕の担当から外してくれればいいのに。なまじ、塾生からの講師評価システムなんてあるから望月の担当から外されないらしい。講師としては、高評価をもらえることは喜ぶべきことだが、それでも僕にとって彼女からの評価は酷なものにしかなりえない。
「はあ……」
「どうしたのコバセン?」
生徒が僕の溜息に反応する。ダメだ、生徒に講師のプライベートなことを気遣わせては。
「いや、ごめんなんでもないよ。ちょっと最近疲れててね」
本来は疲れてるなんてことすら言うべきではないのに、生徒のちょっとした優しさに甘えてしまう自分がいた。
「あ、ここ間違ってる」
「え?マジ?」
さて、そろそろ望月のところに行くべきなのだろうけど。今日はどうしても彼女に近付くのが躊躇われる。先日の駅前での光景が尾を引いてるようだ。
「――と、こうなるんだよ。じゃあ、続けて。僕は他の子見てくるから」
無理矢理自分を奮い立たせて席を立つ。やや離れたところで黙々と問題を解いてる望月。
彼女の姿を極力目に入れないように僕は近付き、声をかける。
「進み具合は?」
「え、ああはい。なんとか」
顔を上げ僕に答える望月。だけど僕は彼女の顔を見れなかった。それどころか、彼女の方に顔を向けることさえしなかった。それなりに埋まっている答案用紙、それが目に映る全てだった。
「じゃあ、その調子で」
僕はできるだけ落ち着こうと、逆に淡白で不自然な態度になってしまったことを悟られまいと、すぐに別の生徒のもとへ向かおうとした。だが、
「あ、待ってください」
止められた。一番止められたくない相手に。
「どうかしましたか?」
「っ!何が?」
一瞬息が詰まった。振り向いた拍子に彼女の不安そうな目が僕を捕らえる。
「だって、先生今日は、ううん最近なんだか変ですよ?」
「そう、かな?そんなことはないと思うけど。ほら、そんなことより問題解いて」
「先生、最近私のこと避けてませんか?」
核心をつくその一言は、小声ながらも僕の心に大きく響き渡った。気付かれた、そう思った瞬間、僕は駅前の光景を思い出していた。
「別に、そんなことはないよ。望月の気のせいだ。それより、よく見たらこの問題、間違ってるよ。確かこの間の模試でもこんな問題間違えてたよね。同じ問題を何度も間違えちゃダメだよ」
早口でまくし立てる。ああ、いけない焦ってる。逃げ出したくて仕方ない。
しかも、声音は自分でも分かるくらい冷たい。
「別に遊ぶなとは言わないよ。恋愛も大事だと思うけど、もう少し学業に身を入れたらどうかな?最近はそうでもないけど、始めの頃に戻ったら無意味だからね」
何を言ってるんだろう。生徒のプライベートに言及したばかりか、成績のこととはいえ禄でもないことを言ってしまった。
「恋愛……?何のことですか?」
本気だろうか。首を傾げる彼女を見ると、先程の後悔すらも霞むほどの衝撃を受けていた。
「この間、駅前で……ごめん。とりあえず、この問題の解説をするよ」
作品名:Please tell me. 作家名:硝子匣