ブローディア冬
ドサッと屋根の雪が落ちる音で目が覚めた。やばいやばい、机でうたた寝していたみたいだ。
静かだった台所から物音が聞こえて来て、そろそろ夕飯かと思う。いつの間にか蛍光灯が点いていて、カーテンも閉まっていた。
「木野」
「石間」
ぼけっとしているところに石間が入ってきた。ずんずん進んで、窓辺のストーブ脇に机を置いた俺の横にしゃがんでじーっと見てきた。俺も負けじと見返す。
「どう?」
「すごい」
石間の頭が、金髪が、真っ黒に染まっていた。
「木野のおばあちゃんの白髪染めるついでに、やっちゃった」
「白髪染めで!?」
なんで石間だと白髪染めでもかっこよく決まるんだろう……
「な、どう?」
「すごい……」
「ん?」
「すごいえろそう」
あ。
「口がすべった」
「って本心かよ」
ばあちゃんは腕があまり上がらないから、石間に染めて貰えてよかったって喜んでいる。
石間は絶対染め慣れてるだろうし、かっこいいし、その石間に頭を触ってもらえたばあちゃんがうらやましいなと思った。
「はい、ご飯だよ」
「ありがと」
休日のルイは急に研究所に呼ばれてしまったから晩ご飯は三人で。
「普段もよくルイは呼び出されんの?」
「たま~に、だねえ」
ばあちゃんは少し寂しそうに答えた。よかった、今日は俺たちがいるから一人でご飯なんてさせないよ。
「ルイがきてもう何年になるかねえ、いつか帰るんだべか」
「そんな、当分帰んないだろ」
石間は味噌汁を啜りながら目だけでやり取りを見守っていた。
ルイはばあちゃんの住む町に来て、2年か3年くらいだったと思う。農業高校の横にある研究所で、なんか野菜とか米とかの研究してるらしい。
「あんたらが家に帰って、ルイもいつかアメリカさ帰ったら、寂しくなるねえ」
「どうして急にそんな弱気な話しをするんだよ」
「ルイは一人っ子だしねえ、もういい年だし、向こうに親御さんもいるべさ」
「ルイ、結局こっちにガールフレンドいないのかな」
「いるにしちゃあ、毎晩帰るのが早すぎね」
「はあ、まあ」
しゃべりながら、俺の頭も今度石間にやってもらおうって思い付いた。我ながら名案だと思う。
「ルイは良い子なんだけどね」
「……だけど? なんかあるの、ばあちゃん」
ばあちゃんはニシン漬けをポリポリとやって溜め息をついた。
「大事なところが抜けてるんだよね。戦争で遠いとこ行って、大切なことでも無くしてきたんじゃないのかね」
「抜けてる、かなあ。」
なんとなく、俺の手の甲に口付けたルイの笑顔を思い出した。
結局その日はルイは帰ってこなかった。そんなことにも慣れているのか、ばあちゃんは俺たちを風呂に入らせて、寝かせる。居間の電気が消えた中で、台所で少し仕事をするって言っていた。
「石間、もうちょっとそっち行って」
「んー」
布団の中央部で雑誌をめくっていた石間がごろんごろんと端による。空いたスペースに座って、髪を乾かした。
「ルイさんて戦争行ったわけ。」
石間はこっちを見ずに言った。ページがめくられる。
「うん……。高校出てからすぐ軍隊に入ったんだって言ってた」
「ふうん」
「戦争行ってる間に、お母さんとお父さんが事故で亡くなってたって、ばあちゃんから聞いてる」
石間はドライヤーをしまう俺を首をひねって見上げる。なんにも感情の読めない顔で。
「後悔してんのかな」
「そうなんじゃない」
平和が当たり前の俺たちにはよく分からないけど。
なぜだかふと、手の甲にルイがキスしたことを思い出した。
「石間」
「なんだ」
雑誌の方へ視線を戻していた石間がこっちを見た。
すかさず
「んっ」
「んっ!」
キスしてみた。
俺が大事にしてるものをルイがキスで吸い取ってしまったから、できたんだ。
「急になにっ……!」
「なんだかしたくなって……」
石間ががばっと起き上がった。掛け布団がめくれて俺たちの間に立ちはだかる。それでも構わずギュッと抱き締められた。
「木野」
「うん」
「俺が戦争行っても待っててくれるよな」
「行かないだろ。……でも待ってるよ」
「もし木野が行くんだとしたら、俺も絶対待ってるから」
「うん」
「監禁しとくから」
「え」
「嫌いになんなよ」
「そりゃなるよ」
くすくす笑いあって、もそもそと布団に潜り込む。
俺の手の甲から出ていった『好きって気持ちに半分だけしている蓋』は、ルイの中で何になったんだろう。
寂しさがちょっとでも埋まるんならいいんだけど。
玄関の電気を点けたままにして、ばあちゃんも寝たようだった。