永遠のフィルター
高い秋の空はどこまでも澄み切った快晴で、雲ひとつなかった。冷たさを孕んだ風が、すっと吹き抜けて松の木々を揺すった。こんな空の下、あの閉じられた四階の防火扉の先の屋上で、笑う土谷の姿が目に浮かぶ。だけど、土谷はもういない。この世界のどこにもいない。
葬儀を行った寺のある寺町の中にある焼き場に、土谷の遺体は運び込まれた。両親以外は立ち入り許可が下りず、同級生たちがばらばらとその場を後にする。僕は、焼き場の入り口に立って、一基しかない白い大きな煙突を眺めていた。やがて立ち上ってきた煙が空に融けて見えなくなるまで、僕はただ、ずっとそれを見詰めていた。
それから更に一ヶ月が経った。文化祭も終わった。結局台本は既存のものを使うことになった。
あの時のパニックの原因が、鈴木の書いた脚本の、主人公が集団レイプに遭うシーンにあったのではないか、と思っているのは僕だけだろう。それとは関係なく、あの脚本を巡って揉めたことと、そしてやはり同級生の自殺がショックで、とても脚本なんか書けないと言い出した。
鈴木も、同じ小学校の出身で土谷のことは昔から知っている。六年生の時は僕と同じクラスだったので土谷がパニックを起こしたところには居合わせてはいないはずだけれど、ここにいないかのように心を消していた土谷と、そしてそれをなかったことにするクラスの集団にいる中で、鈴木も土谷にかかわることはなかった。それも、悔やんでいるのかもしれない。
文化祭用脚本集のようなものから先生が無難そうなのを三つほど選び、その中から投票で決めた。毒にも薬にもならない話だったけれど、それでよかったんだと思う。
糾弾されるべき直接的ないじめはなかった。だけど、誰も土谷を助けなかったし、話しかけて無視するようなことはなかったけれど、積極的に関わろうともしなかった。誰もがうっすらと、土谷に負い目を感じていた。上手く言葉に表して解決策を探ることもできないし、知っているのか本当に知らないのか、先生は土谷が死に追いやられた原因の話を学校ですることはない。ただただ重苦しい空気ばかりがのしかかる教室でできることは、土谷のことを思い出させない話題を、思い出す暇もないぐらい全力でやることぐらいだったのだろう。選ばれた題材は、最初に鈴木が書いた携帯小説もどきとはまるで逆を全力で突っ走った、かちかち山だった。
そうして、クラスを覆うものは、少しずつ薄れていった。けれど、図書館における一年生の利用者が、あの日以来がっくりと減っていることを僕は知っている。
四階に上がってきたくないのだろう。土谷が開錠して出入りしていたことがわかった屋上への防火扉はコンクリートで塗り込められ、完全に出入りができない構造となった。
だから、僕ももうあの場所へ行くことはできない。本当の土谷の気配が残る、たったひとつの場所なのに。
そうして、いつしか土谷の話題は学校から消えた。初めから、いなかったかのように。ただひとつ、不自然な四階の階段の壁に、その痕跡が残るだけとなった。
土谷の墓は、葬儀を挙げた寺に近い墓地にあった。雨と湿気の多い土地柄のためか、それとも誰も手入れしないからか、土谷が死んだときに新しく作られたはずの墓石は、もう既に苔に覆われていた。
親戚づきあいどころか、親子関係も疎遠なのだろうか。一応墓石には「土谷家先祖代々之墓」と刻まれてはいるものの、どうもそこに葬られているのは土谷美月ただひとりのようだった。
線香と、それに真新しい知恵の輪を供える。父が単身赴任から帰ってくるときに頼んで東京で買ってきてもらったものだった。僕が土谷に借りた二つの知恵の輪のうち、難しいほうのひとつは、今でもまだ解けないでいる。
手を合わせる。線香の独特の香りが広がって、風に流れて消えた。これが土谷に届いているとは思っていない。だけど、どうしても来ておきたかった。
助けてあげられなくて、本当にごめん。
気づけなくて、本当にごめん。
こんな思いも、届くことはもうない。この世界のどこにも、もう土谷はいないのだ。
だけど、土谷は確かにいた。小学校の頃の姿も、中学で再会したことも、ちゃんと覚えている。彼女の存在は、なかったことになんてならない。彼女が受けた暴虐も、なかったことになんてしない。たとえ、社会的にそれがなかったものとして扱われたって、僕はあの土谷の言葉を、諦めたような笑みを、絶対に忘れない。
お供えした食べ物は、その後で食べたほうが良いとは何かで聞いた。おもちゃも同じなのかはわからないけれど、土谷に供えた知恵の輪をポケットに戻し、僕は立ち上がった。
墓地から十五分ほど歩く。土谷の家の玄関は変わらず鍵だらけで、カーポートには白いセダンが止まっていた。なにひとつ、変わっていないようだった。ドアが開いた瞬間鼻をつく、不快な香水の臭いも、やたらと下品なほどに宝石だらけの母親も。
どうしても土谷に線香を上げさせてほしいと頼み込むと、明らかに嫌々ながら、人がひとり通れるだけドアが開いた。上がりこんだ家の内装も普通で、やはり玄関扉の異常さを思うとひどくちぐはぐな印象を受ける。トイレの扉だって、鍵はひとつだし、居間や寝室の戸には、そもそも鍵自体が掛かっていない。
その中でひとつだけ、鍵穴のあるドアが目に入った。
鍵は、真新しかった。築十年は経っているはずの家や、扉の質感とはどこかずれていた。それはあの四階の防火扉のような違和感だ。
鍵はひとつだけではなかった。いくつもいくつも、木製の扉には鍵穴が並ぶ。鍵それ自体は既製品に違いないが、取り付け方はどこか素人臭く、曲がっていたり、位置が揃っていなかったり、周辺の木がささくれだっていたりしている。
その扉の上には、パステルカラーのペンキが塗られた、木のアルファベットが並ぶ。「MITSUKI」と書かれたそれを見て、この鍵だらけの部屋の主が、土谷美月であることを僕は知った。
その瞬間。その鍵の意味に思い当たって、僕はその部屋の前に立ち尽くした。
この鍵は、多分、土谷の抵抗だったんだ。母親とこれまでの生活を人質にとられ、外へ逃げて生きていく力も、のしかかってくる男を突き飛ばすほどの腕力も持たない土谷の、せめてもの防衛手段。
だけど、そのあまりの無力さに、僕はどうしようもなく胸が痛んだ。よりによって、鍵屋の父親から身を守ろうと部屋にいくつ鍵をかけたところで。
親からの虐待。その行為の重さを、僕は今更思い知った。
子どもは、ほとんどのものを家族から与えられて育つ。それはものに限らない。思い出も、愛情も、生きるために必要な力も。
例えば僕が本好きなのは、父親の影響だ。仮になにか理不尽な目に遭ったとき、相手に啖呵を切ろうと思ったら、きっとその口調は気の強くやや口の悪い母親そっくりのものになる気がする。そんな些細なところさえ、あの両親に育てられたからこそだ。
それになにより、僕の楽観思考は、僕が安心して育ってきたことのなによりの証明だ。