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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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永遠のフィルター

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 その内容を、僕から尋ねることはできなかった。予想はしていたけれど、確かめるのが怖かったし、それを口にしたら土谷がどんな反応をするか、まったくわからなかったから。土谷の手足が、がたがたと震え始めた。寒さのせいではないことぐらい、僕にも察しがついた。
「どうして、思い出しちゃったんだろう。今までずーっと、ずーっと、忘れてられたのにさ……。だから、だから、なんとか忘れようとして、頭強く打ったら、忘れられるかなって思って、いっぱい頭叩いたけど。でもなんか、忘れてもまた思い出しちゃったらって思ったら、それも嫌になっちゃって」
「土谷さん、まさか」
 ここから、飛び降りるつもりか。
「ダメだって! ……ほら、前言っただろ、うちのお母さん精神科医だって。もしかしたら相談したら、忘れる方法教えてくれるかもしれないよ。だから、待ってくれ!」
 土谷は、困ったような顔で、僕を見た。
「いいな、川口君は」
「え」
「帰れる家があって、ちゃんとしたお母さんがいて。あたし、お母さん怒らせて、嫌われちゃったから」
「!!」
 僕は、僕の迂闊さを悔いた。あの母親に酷いことをさせられている可能性もあったのに。
 だけど、その思考すらまだ甘かったことを、僕はすぐに思い知らされた。
「折角忘れたって、どうせやめてもらえないんだもん。ずっと、続くんだもん。結局、同じことだよ。学校でめちゃくちゃイジメられたりするほうがずっとマシだ。家は、安全なんだから。あたしが一番したくないことさせられてたのは、自分の家だったんだ。……逃げられないんだよ」
 何も言えなかった。僕は、ただ土谷の言葉を聞いていた。虐待だったのか。
 母があんな仕事をしているのに、まさか、身近でそんなことがあるとは思っていなかった。想像したことさえ、なかった。人口比における発生件数は、知識として知っていたし、それに当てはめれば、友達の中に何人かいてもおかしくないことも、頭では知っていたのに、それでも、どこか遠い世界の出来事のような気がしていたのだ。もしかしたら、担任も同じだったのかもしれない。まさか自分のクラスでそんなことがあるなんて、考えたこともなかったのかもしれない。
「家からは、逃げられる。助けてくれる人はいる。児童養護施設もあるし、里親制度だって」
 聞きかじりの知識でなんとかそれを口にする。土谷は、首を振った。それでも、もうだめなんだと言って。
 意識していないものは、認識できない。あると思っているものしか、見えない。
 そして、それは今も同じだ。次に放たれた土谷の言葉を、僕は一瞬理解し損ないかけた。
「あたしの中に、赤ちゃんいるみたいなの。いろんなおじさんとさせられたから、誰の子どもかわからないけど、多分、お父さんのだと思う。一番、たくさんしたから」
 意味が、取れなかった。どういうことだ。僕はぽかんと、土谷を見詰めた。
 赤ちゃんがいる。誰の子かわからない。お父さん……?
「それ、って」
 土谷が、悲しげに笑った。他に、どう表情を作っていいのかわからないかのように。
「……お父さんは、お母さんよりあたしのほうが好きなんだってさ。だから、あたしが我慢すればよかったの。お母さんは、馬鹿で、弱くて、なにもできない人だから、お父さんと離婚したら生きていけないから、あたしさえいい子で我慢してれば、ずっと三人で暮らせるから、って」
 なんだよ、それ。土谷の話に、頭がついていけない。土谷の父親は、いわば母親を、これまでの生活をすべて人質にとって、抵抗する力もない、それを失ったらひとりで生きていくこともできないこんな小さな実の娘を、レイプしてた、って言うのか。そんなことが、あるのか。
 酷すぎる。そんなの、あんまりだ。僕は言葉を出せないで、呆然と立ち尽くした。土谷は、そのままの表情で続けた。
「でもさ、同じ家の中にいるんだもん。六年生の夏ごろかな。お母さんにばれちゃって、あたし、すごくお母さんに怒られた。お母さんからお父さんを、取っちゃったから」
「なんだよ、それ」
 やっと、それだけ搾り出すことができた。
「なんで……」
 なんで、土谷が怒られなきゃならないんだ。土谷は、逆らえなかっただけなのに。母親を人質に取られて。なのに、どうしてその母親に責められなければならないんだ。自分の心を殺してまで、守ろうとした母親に。
「悪いのは……土谷さんじゃないだろ」
 土谷は、首を振った。
「あたしが、あたしが悪いんだって、お父さんもお母さんも言うの。お父さんは、あたしが可愛いから、お母さんより好きになっちゃったって。お母さんは、あたしがだらしないからだって……凄く凄く怒られて、やっと許してもらえて、条件が、お金で払いなさいって」
「まさか」
「お父さんを取るぐらい男好きなんだから、他の人にもおんなじようにさせてあげて、お金もらってきなさいって」
 土谷はそう言って、携帯を見た。
「これも、お客さんとの連絡用にって、お母さんが買って寄越したの」
 まるで飾り気のない携帯電話。普通だったら、友達とのメールや電話に楽しく使われるはずのそれは、ただひたすら、土谷を傷つけるためだけに与えられた。
「川口君さ、あたしが幽体離脱の話したの、覚えてる?」
「えっ」
 唐突にその話が出て、僕は反応が一瞬遅れた。それを忘れたということだと取ったのか、少しだけ土谷は寂しそうな顔をする。慌てて、僕は言葉を返した。
「覚えてる。ふわふわした感じがして、寝てる自分を見てるってやつだろ」
「うん」
 頷いて、そして土谷は半分笑ったような顔をしながら、続けた。
「あれね、現実だった」
「どういうこと」
「あたし、魂がふわっと抜けて、上から見てたの。お父さんとか、知らないおじさんとかに、エッチなことされてるあたしを、上から見てた。あたしのことじゃないみたいに。あたしは、見てる人。下で痛かったり気持ち悪いことされてるのは、あたしじゃなくて、あたしにそっくりな違う人。あたしのわけない、あたしは今、それを見てるんだから。……そう思うようになってからかな、この身体が、あたしじゃなくなってることにしてる間のことを、覚えていられなくなったの」
 上から、自分を見下ろしている。それが、どういう脳の働きでそう感じられているのかはわからないけれど、土谷の本当に言わんとしていることはわかった。
 自分の主体は、見知らぬ男たちに犯されている少女を眺めている。だから、その少女は自分じゃない。そう思い込むことで、土谷は自分の心を守ろうとした。そして、自分じゃなくなった間のことを、忘れた。
 ぼんやりしているときの土谷は、その本人の言うところの「土谷にそっくりな違う人」になっているのだろうか。だから、気づいたら記憶が飛んでいるのか。学校には、土谷を脅かすようなものはなにもないはずなのに。
「一度そうなっちゃったら、なにも怖くなくても、酷いことされてなくても、気づいたら違う人になっちゃうようになったみたい」
 土谷は、そう言って、「学校のこともほとんど覚えてないよ」と続けた。
作品名:永遠のフィルター 作家名:なつきすい