永遠のフィルター
幽体離脱と記憶の抜け落ちのことは、話すときに一瞬躊躇した。土谷自身が、僕に話すかどうかを迷ったほどのことだ。そんなことを僕が他の人に勝手に喋ってしまって良いものだろうか。
けれど、母の様子を見て、僕はそれを話した。その瞬間、はっきりと歪んだ母の顔を見て、それがなにか重大なことを示していたのだということに気づいた。それが何なのかは、知らないけれど。
「ああもうっ! だから学校の健康診断には精神科も入れるべきだって言ってんだ!!」
母は思い切り舌打ちし、信号が青に変わった瞬間、アクセルを深く踏み込んだ。急に速度を上げた車の背もたれに、体が押し付けられる。
「担任はなにをやってたんだ! 保健室もスクールカウンセラーも、自分から助けを求められる子しか救えないんだから、先生が気づいてやらなきゃいけないのに! そこまではっきりサイン出してるのに何見落としてんだ、担任は! 教職課程で教えてないからか!? ああもうっ、文科省でも厚労省でもどこでもいい、この国の中央にまともに子ども救おうと思ってる奴はいないのかよ!」
母は、本気で怒っていた。それだけ、土谷が置かれた状況が危機的だということなのだろうか。
そして、僕が話した情報は、母がそう判断するのに十分だったということか。
あの時、土谷が自分が重病ではないかと心配していたときに、もっと熱心に母への受診を勧めていたら、もっと早くそれに気づくことができたんだろうか。或いは、僕にもっと知識があれば、土谷の身に何が起こっているのかを察することができたんだろうか。
「……僕が、もっと早くお母さんに話してれば、」
そう言い掛けた瞬間、母ははっきりと首を振った。二、三回息を深く吐く。そして、落ち着いた声で答えた。
「あんたは悪くない。知識としてはまだ一般的じゃないし、中学生が知ってる内容じゃない。気づけなくても、専門家に話そうと思わなくても仕方がない。同級生の女の子たちが気味悪がるのも、ある意味しょうがない。だって、教えないんだし、大人だって一般人なら知らない。子どもを預かってる学校の先生なら、知っておいてほしいことだけどさ。その話を聞いたときに、美月ちゃんを馬鹿にしたり、不信の態度を示したりしないで、ちゃんと聞き遂げた。それだけで、あんたはあんたにできる限り最大のことをしたんだよ」
母はそう言って、それから、児童相談所に着くまで何も言わなかった。