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なつきすい
なつきすい
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永遠のフィルター

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6. その影は形を成して


 次の朝、僕は熱がある気がすることを母に黙って、家を出た。折角ここまで皆勤賞だったことも少しあるけれど、なにより土谷に会いたかった。会って、昨日のことを聞きたかった。
 寒気が酷いけれど、風邪を引いていることを悟られないように、制服のシャツの下にババシャツを着込み、ズボンのポケットの中に去年の冬使い切らなかったカイロを放り込んだ。休んでなんていられる気がしない。昨日の夜も、ほとんど眠れなかった。目を閉じると、土谷の母親の奇妙な様子と強すぎる香水の臭い、それに車の中で身体を投げ出した土谷の姿が次々とはっきり、今目の前にあるかのように思い出されて、どうしても眠りに落ちることができなかった。
 重たい体を引きずるようにして学校に着く。いつもと同じ時間に出たけれど、教室に入ったとき、時計はいつもより五分先に針を進めていた。無理をしたからか、目の上あたりがずきずきと痛み始める。正直、六時間目が終わるまで学校にいるのは無理そうだなと思う。土谷のことは朝のタイミングで聞くとして、昨日の脚本の一件の一応の責任者が僕であることを考えると、六時間目の文化祭準備学活まではいたほうがいいとは思うのだけれど、そこまで持つ気がしなかった。途中何時間か、保健室で寝ていればなんとかなるだろうか。けれど、それ以前に熱を測った時点で迷わず帰宅させられる気もする。
 そんなことを考えていると、がらりとドアがスライドする音がした。重たい頭をそちらに向ける。土谷だった。
 一瞬、教室が静まりかえった。昨日の今日だ。当然の反応なのかもしれない。けれど、直ぐにまたいつも通りに戻る。まるで、土谷の存在は、ないもののように。
 そしてそれは土谷にとってもいつも通りのことのはずだ。まっすぐ座席に着き、教科書を机の中に入れていく。今はまだ、ちゃんと表情がある。手足もしっかりと動いている。土谷はここにいる。僕は席を立ち、最前列の土谷の席へと向かった。
「土谷さん、おはよう」
 土谷は顔を上げて、そして僕を視界に捉えると、直ぐに顔を顰めた。
「どうしたの? すごく具合悪そう」
 僕は首を振った。その振動でまた頭がずきりと痛んだけれど、なんとか表情に出さないように堪えた。
「大丈夫、ちょっと風邪気味なだけ。土谷こそ、具合大丈夫なのか?」
「え?」
 土谷はきょとんとした顔で、その目を僕に向けた。
「あたし? なんで?」
 その瞬間、ぞわりと何かが背筋に走った。風邪のせいじゃない。
「……昨日、早退しただろ。僕が忘れ物届けに行ったら、土谷さんのお母さんが、今部屋で寝込んでるって」
 それが嘘なのは知っている。だけど一応、言われたままを返す。その嘘を笑って突き通すか、動揺が起きるか、それとも、嘘だと認めるか。
 土谷の反応は、そのどれでもなかった。
「なにそれ」
 続きを、聞くのが怖い。だけど、言うなとも言えず。
「あたし、早退なんてしたっけ」
 覚えていないんだ。
 まるで、初めから何もかもなかったことのように。
 土谷からは、昨日の気配はなにひとつ感じられなかった。帰り道に雨に降られて、熱が出てだるいこの身体だけが、昨日の事実の名残であるかのように。
 土谷がそんなことを言う必要は、どこにもないはずだ。隠したいことなら、嘘を突き通せばいいだけだし、そうでないなら、本当のことを話せばいい。学校を飛び出したとき、僕らはそれを見ていたのだ。だから、隠しようなんてない。
 だから、こんなことを言う理由はただひとつ。――土谷は、本当に覚えていないのだ。
 世界がぐらりと傾いた。頭がどうしようもなく痛い。痛くて痛くて、視界が、目の前にいるはずの土谷の姿が歪んだ。
「川口君?」
 僕を呼ぶ土谷の声も、耳の奥で奇妙に反響して、確かな形をとらない。実像を結ばない視界と声が、まるで土谷そのもののように思えて、僕は意識を手放した。
 
 
 気づいた時には、母のクリニックの仮眠室だった。倒れ、救急車を呼んだところで、保健室の先生が僕の母親が医者であることを思い出し、ここへ搬送してくれるように頼んだそうだ。ありがたいけれど、卒倒した患者を精神科のクリニックに運んでどうするんだとも思う。一応万一に備えてAEDぐらいは用意してあるとはいえ、もし脳や心臓あたりの急性疾患だったら、ここで無駄足を踏んだ分のロスタイムが生きるか死ぬかを左右することもあるだろう。
 幸い、僕はただの高熱だった。今のところインフルエンザの気配もない。患者に小中学生が多く、風邪菌をばらまいてはいけないと関係者用出入り口から運び込まれてそのままベッドに押し込まれたようだった。風邪薬や点滴ぐらいなら一応常備があるので、僕は今点滴を受けながら母の仕事が終わるのを待っていた。
 真っ白な部屋、温かいベッドの中で、それでも僕はなかなか寝付けなかった。昨日から今日の、――いや、中学で同じクラスになってからの、土谷を取り巻く奇妙な違和感や疑問が、次々と浮かんでは消えてくれずに意識の中に積み重なっていく。
 小学校の頃とは別人のようになった土谷。完全に人の輪から外れて、まるで、誰も土谷が存在していることに気づいていないかのようだった。それが、六年生の時に教室で暴れ、しかもそのことを完全に忘れていたという出来事をきっかけに意図的になされたものだったということは、昨日知った。
 僕が、土谷が同じクラスにいたことを確認した出来事は、間違いなくあれだ。階段の踊り場からの跳躍。一度目は、夕暮れの学校、二度目は、行きつけの本屋の近くの歩道橋。体重などないかのように、二メートルの段差を、ひらりと跳んだ。
 だけど、それをよく覚えていないと言った、屋上での土谷。去年自殺者が出たという屋上を、土谷はお気に入りの居場所としていた。誰も入らないようにわざわざ防火扉を新調してまでつけられた鍵を、こともなげに開けて。
 屋上で話した土谷は、僕が知っている、小学校の頃の彼女の面影をはっきりととどめていた。口数が多いほうではないけれど、ちゃんと話すし、その顔に小さな笑みを浮かべていた。
 けれど、彼女は得体の知れない不安を抱えていた。幽体離脱をしている気がするけれど、夢か現実かがわからない。抜け出した自分は、自分を上から見ているけれど、その記憶すらはっきりしない。ただ、ふわふわとした、感覚だけは覚えている。そう、土谷は言った。
 記憶の抜け落ちが激しいことも、土谷は話していた。いつの間にか時間が経っている。解いた覚えのない試験が返ってくる。脳の病気じゃないかと心配していた。
 そして昨日。突然恐怖に怯えた表情をした土谷は、学校を飛び出した。その後で先生が家に問い合わせたところ、既に帰宅したと母親は答えたらしい。僕が荷物を届けに行ったときも、同じ答えが帰って来た。派手な服装や化粧とやけに不似合いな、妙におどおどした、警戒心を隠そうともしない態度が、酷く気にかかった。
 極めつけはその後だ。家にいて休んでいるはずの土谷は、知らない男の運転する車に乗っていた。まるで、人形のような様子で。そして、そのことを本人は覚えていないかもしれない。少なくとも、突然教室を飛び出したことは、土谷の記憶から零れ落ちていた。
作品名:永遠のフィルター 作家名:なつきすい