永遠のフィルター
5. 鍵だらけの世界
始業式になった。宿題は間に合った。
朝の学活のとき、土谷はいなかった。欠席なんだろうかと思っていると、始業から一時間ほど過ぎた頃に、少し急ぎ足で教室に滑り込んできた。
数日振りに見た土谷は、少し具合が悪そうに見えた。顔色が悪い。夜更かしでもしたのか、目元に大きな隈があった。
先生に遅刻の報告をし、ふらふらと自分の座席に座る土谷は、本当に心配していたような重病かなにかのように見えた。
それでも、特に学校を休むことはなく、調子が悪そうではあったものの、土谷は毎日登校し続けた。前よりももっとぼんやりとしている時間が長く、天気が良くても教室で窓の外をただ見ているだけのことが多かった。
外の道でばったり会うか、屋上にでも行かない限り、ほとんど土谷と話すことは元々ない。そして、まるでここにいないかのような様子で佇む土谷に声を掛ける人間はいない。そんな空気の中で、わざわざ声を掛けるのもなぜか気が引けてしまい、僕もまた、ただ土谷を見ているだけだった。
九月に入り、文化祭の準備が始まった。僕は、「図書局で本をたくさん読んでいそうだから」という安直な理由で、クラスの出し物の演劇の脚本担当を命じられた。ちょうどいい台本を探してくるのでもいいし、自分で書いても良いし、クラスで誰かこれ、と思う人に依頼しても良いと。とにかく、期日までにふさわしい台本を用意する係だ。
それを決めた学級委員の鈴木は六年生の時の同級生で、いつも学級新聞に連載小説を書いていた子だ。ひょっとして自分が書きたいけれど立候補するのも恥ずかしいので、小説が趣味であることを知っている僕を適当な理由をつけて任命して、自分に書くように依頼してもらおうという腹なんだろうか。
そんなことをふと思ったので、僕は脚本家として鈴木を指名した。彼女は少し恥ずかしがったり謙遜するそぶりを見せたけれど、結局は物凄く嬉しそうな顔をしながら引き受けたので、案の定だったのだろう。その子は、クラスで一番人数の多い女子のグループに属しており、友達とぐるりと机を囲んで、早速ああでもない、こうでもないとネタ出しを始めていた。
結局彼女が原案を出してくるまで演劇班は動けないので(そのためにどこよりも早く係決めをするのだけれど)、脚本係以外は一時的に他のグループに組み込まれる。僕は校内装飾班の助っ人に入っていた。
鈴木が原案を作ってクラス全員分のコピーを持ってきたのは、それから四日後、金曜日の文化祭準備学活の時間だった。どうせ全学年がこの時間に文化祭準備を行うので、先生たちは職員会議が設定されており、不在だった。
鈴木やその仲間の女子たちは自信満々の様子だ。僕は二つ折り四ページの冊子の表紙をめくって、全体にぱっと目を通し、……鈴木たちには悪いけれど呆れかえった。ちょっと待て。本当にこれを文化祭でやるつもりなのか?
男子の一部から妙な笑い声が沸き起こった。まず間違いなく先生からストップがかかるだろう。別に趣味でこれを書いている分には問題ないが、これが中学の文化祭で通るようなら多分世も末だ。きっと高校でもダメだと思う。そして、大学なら一笑に付されるだろう。確かに、テレビドラマや映画ではこのテの奴たくさんあるけれど、でも。
「鈴木って学級委員のクセに意外とエロいの好きなんだな……」
ひとりの男子が笑いを堪えきれずにそう口にした瞬間、表面張力で持っていたコップの水が決壊するかのように、一気に教室は喧騒に包まれた。
「なんで! だってこういう小説流行ってるじゃん!」と叫んだのは鈴木とその取り巻きぐらいで、一部の女子はあからさまに目を逸らしている。
「いや、おかしいだろ。ていうかお前らこういうの読んでるの? マジでエロ過ぎじゃねえ?」
「なんでよ! うちら別にエッチな本とか持ってないし!」
「でも今こういうの流行ってるって言ったじゃん? なんで知ってんだよ」
「ケータイで読んでるの!」
なんかもう議論として成立していない。文句を言うのも面倒で、僕は暇潰しがてら鈴木の作ったプロットをしっかり読んでみることにした。どうせ僕が何か言おうと言うまいと、これが却下されるであろう事実に変わりはなさそうだし、それなら女子のグループともめて遺恨を残すのは後々厄介だ。
問題があるとすれば僕が鈴木を指名してしまったことだけれど、それも小学校の頃鈴木が書いていたのはこんな話じゃなかったから知らなかった、で逃げられると思うし、実際真実だ。僕が考えるべきは後任の脚本家の人選だろう。
鈴木の考えた話は、最近テレビドラマで良く見かける、所謂ケータイ小説とか呼ばれるジャンルの定番の筋立てだった。
勿論、それを馬鹿にする意図はない。売れているということは、それだけ需要があるということなのだから、それは多分女子中高生の読みたいものをピンポイントで突いているということなのだろう。
だけど、それとそれが文化祭の劇にふさわしい題材かどうかということは別問題だ。どう考えてもこれは、ない。
舞台は何故か高校だ。僕らがまだ中一であることを考えると見た目的に相当無理がある。イラストの上手い別の女子による設定画が描いてあるけれど、女子の平均的な身長とうちの制服のデザインを考えると、ここまでのミニスカートではまったくもって見栄えがしないことこのうえない。
主人公は日常に退屈して、休日のたびに自分らしさの確認と称して渋谷(鈴木は行った事あるんだろうか……)をさまよう「ごく普通の女子」だ。そんなにみんな当たり前の日常に退屈しているのかと僕はちょっと聞いてみたい。少なくとも、恋人が不良だったり不治の病だったり目立たない自分がクラス一の美人を彼女にして恨まれて陰湿なイジメに遭ったりするぐらいなら、のんびりと暮らしたいと思うのだけれど。まぁ、フィクションだったら世界の運命を双肩に背負ってみたり、雪に閉ざされた洋館で連続殺人事件に巻き込まれてみるのも好きなので、そういうものかもしれないとも思う。だけど女子たちが「こんな恋してみたい!」などときゃあきゃあ言い合っているように、「こんな体験をしてみたい」とは微塵も思わない。
ともかく。ストーリーはその手の話の王道中の王道だ。その女の子がクラスで遠巻きにされているなにやら訳ありそうな男子と運命的に恋に落ちる。男は不良で夜な夜な徘徊しては似たような連中をボコボコにしていたのだけれど、彼女が出来て変わる。しかしその男の元カノであるクラスで一番気の強い女子を敵に回したがために、陰湿なイジメに遭う。
そしてここがマズいと思ったのだが、お約束でその元カノが金で雇った不良男子どもに輪姦されるシーンがある。正直、ここがなければぎりぎり通らないでもない気がするのだけれど、というか、何故これを書いてしまったんだ。鈴木に依頼したのは文化祭の演劇用の台本であって、趣味の小説を書けといったわけではまったくもってなかった気がするのだけれど。