失われたポン菓子を求めて
どうするべきか。ポン菓子を買いに行くためには、徒歩以外の選択肢はない。
行くしかないのだ。例え、ホワイトアウトするほどの猛吹雪の中でも。
「よし」
私は変質者だと思われないように小さな声で気合を入れ、焼け石に水かもしれないけれど一応マフラーを口元まで上げて、白の世界に一歩踏み出した。
切るような風の音が、帽子の耳当て越しにも聞こえてくる。隠し切れなかった顔に叩きつけられる雪で、ぴりぴりと肌の表面が破れそうな感覚を覚えた。一歩地面を踏みしめると、短時間の間に数センチ積もった軽い雪が深く沈んだ。どうしよう、早くも心が折れそうだ。
ぐっと掌に力を込めた。ここで諦めるわけにはいかない。私が思っていたほど、ポン菓子はありふれたお菓子ではなくなってしまったようなのだ。おばさんが教えてくれた駄菓子問屋は、最後の希望なのだ。諦めたらそこで試合終了だよと安西先生も言っていたではないか。明日、私はポン菓子を口にすることはできなくなる。行かなくては。
iPhoneについている方位磁針アプリを起動した。例の問屋は、ここから東南東の方角にある。まずは、自分の進むべき方角を東に定めた。続いてGPS マップアプリ。これで自分の位置と問屋の位置を確認しながら進めば、たどり着けるはずだ。普段ならそんなものは必要ないが、何しろ視界はないに等しい。これだけが頼りだ。
顔や手袋の隙間に細い針をびっしり突き刺されているような痛みに耐えながら、私はひたすら進んだ。目を開けていることも辛い。スキー用のゴーグルを持ってくれば良かった。むしろ、板とストックとスキー靴以外のスキー用の装備が全部欲しかった。今の状況は、下手なスキー場よりもよほど厳しい。
こうなってくると、二キロという距離は普段よりも遥かに辛かった。どれだけ歩いたのか、今自分がどこにいるのかも、アプリで示される地図からしかわからない。景色は変わらないし、どの程度歩いたのかの実感もまるでない。実は地図の表示が間違いで、私はまったく進んでいないのではないだろうか。そんな不安さえも襲ってくる。
歩けど歩けど、ただただひたすら真っ白の世界が続く。小さな子供の頃、お絵かきの時間に渡される真っ白な画用紙が私は嫌いだったのだけれど、ひょっとしてそれは今この瞬間のことを予期していたからではないだろうか。まるで無の中にいるようではあるが、そうではないことは休みなく襲う皮膚の痛みでわかる。
どうしてここまでしなければならないんだろう。ふと思う。天気の良い日に出直せば良いではないか。それにそのときはここまで遠出をしなくても、先ほど売り切れだった商店に行けば再入荷しているかもしれない。いくらなんでも、今度はまた強盗に時間をとられることもないだろう。
諦めなよ。そう、誰かが言ったような気がした。明日にすればいいじゃないか。なんだったら通販だってある。その声は、私のそれとよく似ていた。
確かに、今時通販で買えない物はほとんどない。暖房の効いた家で、のんびりパソコンで注文しても良いかもしれない。もしかしたら、どこかのお店のこだわりのポン菓子とかもあるかもしれない。例えば、厳選した有機栽培のお米を使っているとか。
が、ダメだ。私はその声に首を振った。通販なんかしたら、本体価格より送料のほうが高くついてしまう。それに、どんなに早くても四日ぐらいはかかるだろう。通販を処理したりお金を振り込んだりしているうちにもっとかかるかもしれない。私は、明日のおやつとして、ポン菓子を食べたいのだ。
そう思い、自分の心に気合を入れる。子どもは風の子だ。吹雪なんかには負けないのだ。もう子どもという年でもないけれど。
決めたんだ。明日のおやつはポン菓子にすると。それを実現するためには、行かなければならないのだ。たとえ、一寸先さえ見えないような地吹雪の中でも。こんなもの、高校時代の部活の雪上ノック練習を思えば不可能ではない。
ひたすらに歩いた。アプリで位置を確認しても、思ったほどは進んでいない。真っ白の世界は、徐々に暗くなってくる。雪の向こうにあったはずの太陽が、沈んできたのだろう。
こうなってしまっては、完全な夜になるまでは、あと少ししかない。急がなければ。気ばかりが急く。
自分が道のどこを歩いているのかさえわからない完全な白だ。そもそも雪が積もってしまえば、除雪の行き届かないところでは歩道という概念自体が消滅する。空が暗くなると、車のライトや街灯が少し目立つようになったのだけは助かる。街灯の光のラインを頼りに、本来は歩道であったはずの場所を歩いた。雪はどんどん降り積もり、ブーツが軽く埋まる。
車の音が増えて来た。地図アプリで現在地を確認すると、大きな通りとぶつかるポイントに来たようだった。いくつもの薄ぼんやりとした光の点が、目の前を通り過ぎていく。ということは、そこがその通りなのだろう。あと十五メートルほどか。
大きな通りに近づいてきたからか、少しずつ人の姿が見えてきた。とはいえ、この雪の中ではほぼシルエットしか見えないのだけれど。それでも、何かが動く気配と、明らかな人の声が聞こえるだけでも安心感は随分と違うものだ。子どもを連れた母親の姿も見えた。子どもはちょろちょろと落ち着きなく動き、母親が片手を握ることでいなくなるのを防いでいるようだった。子どもがあっちへこっちへと行こうとするために、歩みは遅い。早歩きだからすぐに追いつきそうだ。
と、そのとき、自由に歩き回れずに不満そうな声を上げていた子どもが、ついに母親の手を強引に振り払った。きゃー、なのかわー、なのかよくわからないような子どもらしい奇声を発して、まわりをろくに見ることもなく、子どもは道路へと飛び出した。
大きな通りから一台の車が左折してきた。真っ白いスキーウェアを着た子どもの姿がライトで照らし出された。母親の悲鳴が上がった。この路面状況、車は止まれない。子どもはまだ状況に気づいていないのか、道路の真ん中をちょろちょろしている。このままじゃ、危ない。
元は歩道の段差だったと思われる、白い引っ掛かりを全力で蹴っ飛ばした。摩擦が極めて小さくなっている冬の路面では、それだけで夏場ではありえないだけの速度が出た。等速直線運動のように、私の体は加速した時からさほど速度を落とさずに道路の真ん中に向けて斜めに突っ込んでいく。こんなに急いだのはヒットかゴロか微妙な当たりをなんとかヒットにするために、泥まみれになるのも気にせずに一塁に突っ込んだ時以来かもしれない。そしてそのまま、子どもを逆の歩道に突き飛ばした。体の後ろを重い音を立てて何かが通過していく気配がした。思い切り鳴らされたクラクションが、耳の奥でがんがんと響いた。その耳鳴りのような音の中で、子どもの泣き声が聞こえた。良かった、間に合った。
歩道にうずくまり、泣いている子どもに母親が駆け寄っていた。顔を多少擦りむいたようだけれど、大した怪我はなさそうだった。泣いているのは痛かったからというより、驚いたからと、冷たさのせいかもしれない。
作品名:失われたポン菓子を求めて 作家名:なつきすい