閉じられた世界の片隅から(4・完結編)
だけどそれは、同時に僕自身への信頼のなさの表れでもある。僕はどんなに苦しむとしてもフィズのために死にたくない、生きていたいと思うけれど、フィズは僕のために生きる、という選択をしてはくれないと思う。それよりもきっと、フィズは自分が楽になる道を選ぶんじゃないだろうか。僕がいるから生きていたいと思ってもらえるほどの人間に、僕はきっとなれていない。それがまた、悔しい。
だけどきっと現状では、これが最良の手なんだと信じる。いつか、真実を伝えなきゃいけない時が来るとしても。だからせめて、嘘吐きの誹りを甘んじて受け止め、そしてこの状況を乗り切ることだけはやり遂げてみせる。僕にとって、フィズと居られない未来に、意味なんかないから。
「フィズ、銃持ってるのシフト少将だけみたい」
小声で呼びかけると、フィズは小さく頷いた。
「じゃあ、銃を持っていない想定で動こうか」
「うん、一応気をつけて」
シフト氏は利き腕を喪っている。そしてほかの私兵たちはきっと、屋敷の番兵かなにかなのだろう。筋骨隆々として、手に刃物を持っている人もいる。
近距離戦には持ち込みたくないな。シフト氏が利き腕じゃないほうの腕でどれだけ正確な射撃ができるかはわからないけれど、少なくとも肉弾戦で彼らに勝てる気はかけらもしない。
そして本質的な問題がまだ片付いていない。僕が目指すべき「目的」はなんだ?
決められない。とりあえず、ここで足止めを食らわすだけにしろ、決着をつけるにしろ、どちらにしてもやらなければならないことをやっておけば間違いはないだろう。横顔の、金色の猫睛石がちらりとこちらを見る。僕は小さく頷いた。
「せぇの」
フィズが小声でタイミングを測る。それに合わせて僕は、道路から森へ一歩飛び込んだ。次の瞬間、どん、と大きな音がして、土煙が舞い上がった。地面に大穴が穿たれる。視界を遮る煙に紛れて、僕は森の中を街道と平行に進む。フィズの姿は、それでもよく見える。勿論意図的に見せているのだ。囮であるのは見え見えだし、ごまかせるとも思っていない。そもそも、あの周到なシフト氏が相手なのだ。こちらがどれだけ策を弄したところで、乗っかってきてくれるとは思っていない。少なくとも、シフト氏は。あの男が平静を失っているのを見たのは、フィズに右腕を吹き飛ばされ、その傷口を僕に殴られたときぐらいのものだ。
上手いこと誘導できるとすれば、あの見るからに強そうで、接近戦に持ち込まれようものならどうしようもなさそうな私兵たち。だけれど、シフト氏はパニックに陥って命令違反をするところまで計算ずくだろう。シフト氏の一番恐ろしいのはそこなのだから。裏切ろうと、パニックになろうと、彼の目的は遂行される。それはどんな忠実な兵を抱えた、どれだけ信頼を集める将よりも余程手強い。
自分の意志に基づいた行動や、パニック、会話の結果。それらすべてを予測した上で、それらを織り込んだ作戦を組み上げてしまう。その恐ろしさを僕らは先日思い知ったばかりだ。
だからこそ、僕らは作戦を立てない。目的と、合図だけを定めて、その場で行動を変える。遅れだけはとらないように。
今まで決めてきた目的は、「逃げ切ること」、「できるだけ相手を長く足止めできるようにすること」、「物損被害は多い方が良い」、「どうせなら戦意喪失してもらうこと」の四点だった。そして条件として、「治療によって元通りの機能回復が見込める怪我以外の人的被害は出さない」。その匙加減は、一応僕らはふたりとも医者なのだから、間違ってはいないと思う。そしてこれを成し遂げるには、フィズの力は大雑把過ぎるし、そのことは本人も重々承知している。相手を一網打尽にするときに多く使った手は、地面に大穴を開け、全員をそこに放り込むという方法だ。ただし、これでは相手を足止めできる時間は限られる。脱出されたらおしまいだし、さりとて脱出させないわけにはいかないし、あまり深い穴にしすぎると、脊椎や首の骨を痛めてしまう可能性があるから、自ずと深さは限られる。いつもならそれに加えて相手の持つ武器を破壊し馬を逃がし、ついでに食料をいただいてしまえば一気に戦力も戦意も削ぐことができる。そうなれば僕らの勝ち。目的はすべて果される。個人でばらばらに来られた場合は、たいていの場合、足の骨を片方折らせてもらっている。できるだけ綺麗にくっつくような形で。武器が刃物や筋力ならばそれでもう十分だし、銃を持っていれば腕も折る。申し訳ないけれど、それが精一杯だ。
本当は、誰も傷つけたくはない。そうは思うけれど。仕方ないなんて言いたくない。だけど何を考えていようと、やってしまったことは事実。だからせめて、その事実から逃げたくないし、その代償を払った分だけ、目的は必ず果たす。フィズを守り抜きたい。
地面に開いた穴を覗き込む。この戦法は予期されていただろう。この作戦に引っ掛かった人々からの報告は、とっくに齎されているはずだから。それでもうっかり逃げ遅れた男がふたり、穴の底で打ちつけた腰をさすっていた。
効率が悪いな。正直、僕が考えたのはそれだった。自分の冷たい思考を嫌悪するのはすべてが片付いたあとでいい。このあとおそらくは走って逃げることになるのだから、できればフィズを疲れさせたくない。地面に大穴をあけるのはそれなりに大技だし、結構な人数を取り逃がしたが、もう同じ手にかかってはくれないだろう。僕は銃に弾丸が込められていることを確認した。どれだけ僕の腕が悪くとも、足を狙って心臓を撃ち抜いてしまうようなことはさすがにないはずだ。自分の目が悪くなくて良かった。フィズの視力なら、一定以上離れた相手の足を狙って首を吹き飛ばしかねない。爆風から逃れて一歩引き、シフト氏の指示を仰いでいる男の足を狙うべきかどうか迷った。ここで撃てば、確実に僕の所在がシフト氏に知れる。だけどできるだけ戦力は削ぎたい。
少し迷って、僕は引き金を引いた。重い感触が、指に鈍い痛みを残す。その感触よりもずっと重い音に鼓膜が痺れた。何度やっても、慣れない。この痛みも、この音も。聞こえる悲鳴も飛び散る血液も。仕事柄、出血それそのものは平気だけれど、怪我の出血とも、治療するために必要な出血とも違う。
だけれど、僕の頭は狙い通りに行ったことを喜び、安堵する。直ぐに次に取るべき行動を考えさせる。今ので位置はばれた。見える限り広く、周囲を見渡す。僕が撃った男以外の叫び声や呻きが、いくつか聞こえる。あと何人、残っている? こちらに向かって来た男の腿を狙う。今度は当たらない。もう一発。狙っていた男の後ろに続いていた人の脹脛を掠めた。掠めただけ。その弾丸が誰かの肉を削ぐことはない。少し速度が緩んだ気がしたのは、多分僕の希望的観測だ。
作品名:閉じられた世界の片隅から(4・完結編) 作家名:なつきすい