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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

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2. 黒い雨の下で


 あれから、それほど時間が経過したわけではないのに、その様子は変わっていた。否、方向性は同じだ。それが、増補されていたというべきか。憎悪、執着。彼の持っていた思いの裏返しであるそれ。
「どうしても、諦めてくれないんですね」
 僕は思わず、そう口にしていた。一歩、前に出る。フィズを庇う形になるように。
 諦めてくれればいいのに。そうすれば、多分誰も、もうこれ以上苦しまなくて済むのに。追われるフィズも、過去に囚われるシフト少将も。
 諦めきれないのは、フィズ。だけどきっと、本当に諦められないものは、インフェさん。そんな姿になってまで。
「随分、暇なんですね。戦争で忙しいって時に、私たちなんかにかまってていいんですか」
 すっと横に出てきたフィズが、シフト少将を睨みつけてそう言った。そんな言葉を発しながら、指先が微かに震えている。多分それは、相手には見えない。
 おそらく返り事は期待していなかったであろうその言葉に返された内容に、僕は一瞬だけ、言葉を失った。
「もう軍人は辞めたんだよ。正確には、クビになったと言うべきか」
 一応、自分で辞表を提出する、という体裁ではあったけれども。そう、付け加えた。
 どうして。だけど、わからないでもない。
「私たちにかまけてばかりいるからですよ」
「ああ、その通りだ」
 だろうな。きっと嘘をついてはいない。
 僕らを追ってきていたこと。それで無駄に戦力を費やしたこと。貴族とはいえ特別上流ということはなく、軍にそれなりの影響力がある身内がいるとじーちゃんは言っていたけれど、それはこの暴走を庇いきれるだけのものではなかったのだろう。或いは、見捨てられたか。
「だったら、もう僕たちを追いかける意味はないんじゃないですか? 今更フィズを連れて戻っても、軍にあなたの居場所はないんでしょう」
 そう言ってはおくけれど、本気でそんなことは思っていないし、それで諦めてくれることがありえないことぐらい僕もわかっていた。
 それでも追いかけてくる意味。軍をクビにされてまで。それはもう少将ではないシフト氏がフィズを追いかけ、苦しめる目的が、個人的な執着以外の何物でもないというなによりの証明。このことが理由である限り、この人がフィズを諦めてくれることはない。たとえ国境を越えようと。今までは国軍が国境を越えてやってくれば国際問題に発展しかねないから、国境さえ越えてしまえば大丈夫だろうと思っていた。しかし、軍属というリミッターが外れた今、この人を止めてくれるものは何もない。
 かわいそうだ。正直そう思う。だけど、僕はフィズを譲れない。どうすればいい。ばーちゃんの扱いはどうなっているだろうか。ただ、この人の影響力さえなくなっているのであれば、イスクさんとジェンシオノ氏が回した手が届いてくれている可能性もある。或いは、これでフィズとレミゥちゃんの捕獲作戦自体が白紙に戻っていてくれれば、人質としての価値を失って解放されているかもしれない。
 ただ逃げても駄目か。もう二度と追って来られないぐらいのダメージを与えたい。だけれど、この人がフィズを、フィズにちらつくインフェさんの影を、諦められるほどのダメージなんてひとつしか思いつかない。だけど、そんなことできない。
 頭のどこかは淡々と冷静に、とにかくフィズを助けるための手段を講じる。一番簡単に、フィズを守りきるためだけの方法を。だけど頭の残り半分が、それに対して首を振る。できればそんなことはしたくないと。
 どうすればいい。逃げるべきか、戦うべきか。この場を凌ぐだけでいいならどちらでも構わないし、どちらもさして難しいことではない。それでもできるなら、後顧の憂いをたたきつぶしておきたい。だけど、だけど。あたりを見回す。よく整備された足元の道と不釣り合いなほどに深い森からは動物の鳴き声ひとつ聞こえてはこない。街はまだ遠いはずだし、ざあざあと打ちつけるような雨の音が、周囲の音を呑み込んでいく。これなら、多少どんな手を使っても、誰かを巻き込んでしまうことはないだろう。
 手段を問わないでいいのならば、できないことはなにもない。だから、考えるべきは、目的。僕は、僕たちはどうすべきだ。考える、動けない。幸い、向こうもまだ動いてはいない。考えろ、考えろ。あの男が話している間に。
「そうだな。だけどもうこれは軍の命令じゃない。ここにいる連中も、うちの私兵だ」
「どうして」
 その理由を、フィズには知ってほしくない。どんなに酷い内容でも、嘘を、あるいは捕らえられている妄想でもいい。真実だけは言わないでくれ。
 本当の理由を知ったらきっと、またフィズは自分を諦めてしまうから。
 僕だって……知らないでいれたなら、どれだけ楽だっただろう。きっと今よりももっと簡単に、一番楽にフィズを守りきるための手を、迷わずにとれたと思う。だけど、真実を知ってしまったら。想像するだけで胸が張り裂けそうになるほどの苦しみが、この人を壊したのだと知ってしまったら。そしてその苦しみの結果として、フィズが此処にいるのだと知ってしまったら。
 どうして、こんなことになるんだろう。誰だってきっと、最初は、他人の苦しみを望んでなんかいないはずなのに。
「決まってるだろう。お前を、汚らわしい売女と魔族の盟主の子を、殺したいからだよ!」
 彼にとって真実であり、そして、本当の核心には触れない答えに、フィズが傷ついたのはわかっても、それでもほっとしてしまった自分を、激しく嫌悪した。
 これはエゴだ。わかってる。真実を知らせたくないということ。フィズに隠し続けるということ。それが、フィズを裏切っているということなのは僕だってわかっている。それをフィズに知らせない方がいいと思っているということは、その生まれを肯定していないということになるんじゃないか。それは、フィズが自分の血を忌み嫌うのと、同じなんじゃないか。その考えにつかまって、思考が進まないことだって、何度もあった。フィズが僕に隠し事をしていることを知った時に、少しショックだったことだって、ちゃんと覚えている。
 だけど、この事実だけは、少なくとも今は、シフト氏が諦めてくれるまでは。そうじゃないと、きっとフィズは自分を捨てて、この人を救おうとしてしまうから。そうさせたくないと願うのは、僕の我儘だ。勿論、シフト氏が救われてほしいという思いはないわけじゃない。だけど、その為にフィズが犠牲になるというのなら、僕はフィズを選ぶし、それに、フィズを殺したところで、きっとこの人は救われないのだ。ただただ、忘れることのできない、覚えていることが苦しみに他ならないインフェさんへの思慕を、憎しみに変えることで苦しみから逃れようとして、その対象を、かつて愛したインフェさんと、彼女を奪い、辱め、そして結果として死なせた男の娘であるフィズへと転移させて、そしてきっとフィズを殺したあとにこの人に残るものは、ただひたすら、空っぽの虚無感。自分の心をフィズへの執着で支えてきたこの人は、それすらなくしたとき、抜け殻になってしまうんじゃないか。そんな気がするから、今ここでフィズに真実を知らせたくなかった。