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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

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 さあ、どちらへ逃げる。何人、引きつければいい? 考えるより先に足が動く。奥へ、奥へと。思考が追い付かない。もっとゆっくり考えてから動けばよかった。隙があったとはいえ、あのタイミングで撃ってしまったのは失敗だったような気がした。追いかけてきたのは四人。無策なのはわかっているけれど、足音のする方向に、銃口を下に向ける角度で何度も何度も引き金を引く。見ないで撃ってもこれなら相手に致命傷を負わせることはないはずだ。一発は当たったのか、足音がひとつ減ったのがわかった。しかしそれを目視で確認する余裕はない。追いかけてくる足音はまだ絶えてはくれない。一メートルほどの段差を飛び降りる。少し足が痛い。速度を落とすわけにはいかない。追いかけてきた連中もその段差を飛んだことを音で確認する。大きな荷物は置いてきたけれど、腰からは袋がひとつ下がっている。そこから道中屋台でフィズが面白がって買った球状の花火とかいう火薬の塊を取り出し、投げつけてみた。当地では誰か大人の付き添いのもと扱われる子どもの玩具であるらしく、実際の爆発力はないに等しいけれど、光と音だけは子供騙しに派手だ。うわっという声と、ごとんという重い音が聞こえる。光と音に怯んで、段差を飛び降りる際の着地に失敗した人がいたようだ。そのまま足をひねってくれていればいい。同じ手は通用しないだろう。また同じように銃を撃ちながら、僕はひたすら前へ前へと走った。
 その歩みが止まったのは、僕の頬を、一つの銃弾が掠めたときだった。薄く肉が削げる痛みと灼けるような熱。だらりと流れる血の何ともいい難い温かさ。叫びださずには済んだけれど、思わず立ちすくんでしまって。
 振り返る。まだ距離はあるけれど、相手の武器が銃である以上そのことはさしたる安全確保に繋がってはくれない。利き腕をなくした隻腕の男が、まだ銃口から薄く煙の立ち上る黒くて小さな銃を構えて、こちらを見ていた。あの、いつか僕にのしかかって銃を突き付けてきた時のような、どこかうすら寒い狂気を感じる表情で。
 思ったより銃弾が当たっていたのか、それとも、シフト氏の指示によるものか。いつの間にか、シフト氏の私兵たちの姿はなく、ここには僕とシフト氏しかいなかった。
 完全に失敗した。僕は自分の浅慮を悔いた。僕もあれこれ考えているつもりで、頭が回っていなかった。せめてシフト氏が僕とフィズ、どちらに向かっているのかは最低限確認しておくべきだったのだ。そしてそれ以上に、逃げることで頭がいっぱいで、フィズから距離を取り過ぎた。僕を追いかけてきた人数、そして僕が怪我をさせた人数を考えると、フィズが危ない目に遭っているとは考えにくいけれど、この位置だと、向こうから僕らの状況を把握することはできないだろう。特に向こうも戦闘中だった場合、助けは期待できない。叫びだしたいぐらいの痛みだけれど、そのことを知覚から追い出せるぐらいに、その痛み以上の、命の危険を僕は感じていた。
 銃を構える。無駄撃ちを悔いた。あと何発残っている? 確認する余裕がない。銃を構えたまま、一歩一歩、シフト氏がこちらへと距離を詰めてくる。隻腕でバランスが悪い以上、全力で走ったら僕のほうが間違いなく速いけれど、それでも数メートル距離が開いたところで撃たれた痛みが和らぐこともない。
「あなた、左利きだったんですか?」
 口から出たのはそんな言葉。声はなんとか震えずにいられた。シフト氏が嗤ったのが、口の動きでわかる。目がどうかは、この距離からでは把握できなかった。
「右利きだよ。あの化け物の娘のために、俺は字を書けなくなった」
 だけど、彼の銃はその左手に握られている。字を自在に書くことすらままならないというその手に。なのにその射撃の腕は、おそらくは十六年完全な右利きとして生きてきた僕が右手で狙いをつけ、左手で支えた場合よりもずっと正確だった。どうして。
「ナイフも握れないし、走るにしてもバランスが悪い。かといって魔法は子どもの頃から苦手でな。もう銃しかないだろう」
 背筋が冷えた。もうこの人に諦めてもらうのが無理であることを悟ったから。今銃口を向けられているという事実よりも、そのことのほうが余程怖かった。そこまでして、そこまでしてでもフィズを追い詰めて、その憎しみを解消させたいのか。
 多分国境を越えても、この男は何処までも追いかけてくるだろう。私兵に報酬が払えなくなったら、単身でも。なにもかもを失おうと、命ある限り。この人を振り切るためには何処まで、いつまで逃げ続ければ良いのだろう。僕は、恐怖を感じているはずなのに、何故か泣きそうになっていた。勿論涙が出そうな理由は、怖かったからじゃなかった。
 この人から逃げ切る為の方法。もう、ひとつしか思い浮かばなくて、それを頭からなんとか追い出そうとする。銃を持った手が震えた。ダメだ。それだけは。
「あなたに、何の利益があるんですか」
 真っ当な返事など、もとより期待していない。気が変わってくれるとも思ってない。だけどそれでも、言いたかった。
「僕たちはあなたの思い通りになるつもりはありません、諦めてください。……お願い、ですから」
 本当に、頼むよ。だけど、伝わるとも思っていない。伝わって欲しいとは、心の底から思っている。
 なんでだよ、どうしてだよ。頼むから、諦めて。
 だけど、諦めることも、忘れることもできないなら、この人は一体何がどうなれば救われるんだろう?
 シフト氏の口が動いた。声は聞き取れなかった。鼓膜を引き裂くような銃声に遮られて。僕は咄嗟にしゃがんで避けた。頭上を通り過ぎた弾丸が遠くのほうで何かにぶつかった音がした。それと、遠くのほうから爆発音。多分、フィズだろう。
 しゃがんだ拍子に足元のバランスが崩れた。手に銃を持ったまま、身体が横へ転がる。口に泥が入る。服から雨と泥が滲みて、その冷たさが気持ち悪くて鳥肌が立った。土が柔らかく、それなりの勢いで打ち付けた頭に痛みはない。だけれど。
 正直、まずいと思った。右足の踝の辺りに嫌な痛み。間違って引き金を引いてしまうことのないようにと手に意識を向けた結果、足が留守になっていたようだった。痛い。立てないほどじゃないけれど、多分走れない。
 なんとか左足で体勢を立て直す。服からぼたりと泥水が落ちた。両足で立ち直っても、やはり右足が痛い。痛い。いつだったか、銃で撃たれたときよりも痛みが気になる気がするのは、血は一滴と出てはいなくて、意識も神経もはっきりしているからなのだろうか。だけどこんなところで意識に遠のかれるわけにはいかない。顔を上げる。シフト氏がこちらを見ていた。もう一度銃を構え直す。撃つつもりはないけれど。
 足が痛いことを悟られたら、終わるんじゃないか。そんな気がした。今僕が優位であるのは、片腕をなくし、足も万全ではないと見えるシフト氏に対し、僕は五体満足であるというただその一点のみ。その僅かな優位すら失ったら、本当に、もう終わる。表情を作れ。先刻と寸分変わらぬ表情を。
「やめましょう、もう」
 できる限り、先刻と同じ口ぶりで。声に苦痛が滲み出ないように。
「多分、あなたはフィズには勝てません」