閉じられた世界の片隅から(4・完結編)
七年前は休戦中だったから軍もそれなりに暇だったのだろうし、今回レミゥちゃんを囮に使ってフィズを捕獲しようとした件も、それから街を接収して軍が利用することも恐らくは国益に適っているから好き放題にできたのだろうけれど、さすがに事態がここまで切迫しておいて、たかだか国籍を持たない亡命者たち、そして貴重な研究サンプルであるにしてもレミゥちゃんとフィズのせいぜいふたりの為に無駄な要員を注ぎ込むことを許されるほどの権力はあの人にはないのかもしれない。それでなくても、自宅も含めた数度の襲撃でそのたび作戦は見事に失敗し、怪我人まで出しているのだ。もしかしたら、降格処分を受けていることもありえる。
忘れられない、ということはどれだけ残酷なことなのだろう。そんなことを、あの人のことを考えるたびに思う。
だけど、忘れてしまうことのどうしようもない寂しさや切なさを、僕は身を以って知ったから。
どちらが幸せなんだろう。もう二度と逢えない、目の前で凄惨な最期を遂げた、守りきれなかった大切な人の記憶を抱えて生きていくことと、楽しいことも悲しいことも、大切な思い出のほとんどすべての中にいる大切な人を忘れてしまうこと。
できるなら、どちらも味わいたくはない。そしてその可能性を考えたくすらない。
この人が笑っていてくれればいい。幸せでさえあってくれればそれでいい。いつもいつも、そればかり考える。
「フィズが疲れなくて済むから、助かるよ」
「……あんたは?」
「僕はせいぜい囮役か影でこそこそなにかやるぐらいしかできてないから」
あとは荷物持ち。情けないけれど、本当にそれが手一杯だ。足を引っ張ることだけはしていないと思いたいのだけれど。
物を壊したり陽動をしたりするために相手から奪った火薬で爆弾を作ってみたりはするけれど、日に日に爆弾製造技術が上がっている気がするのは喜ぶべきなのか悩むべきなのか。最初は大きな音を立てたり、車輪を吹っ飛ばすのがせいぜいだった自作の爆弾は、いまや石橋を吹っ飛ばして足止めを食らわせられるほどまで威力を増している。さすがにこんな代物を相手に直接投げつけるわけに行かないし、そもそも爆弾を攻撃手段として使うのはいくらなんでも気が引ける。当たり所によっては致命傷になりかねない。
そうなると結局、僕の役目は後方支援ばかりになる。一応最低限の銃の使い方はなんとか身につけたけれど、正直言って急所に当てないということが難しいので、まだ誰かに向けて発砲したことはない。
「疲れてない?」
フィズが少しだけ心配そうな顔で、僕を見た。最近は少しは危険な役目も許してくれるようになったとはいえ、基本的にフィズは僕に対して物凄く過保護だ。好戦的ではないとはいえ、僕に危害を加えた相手には殺さない程度に容赦なく報復を加えている。僕だって常識の範囲内の相手であれば自分の身は自分でもそれなりに守れるようになったので機会は減ったけれど。おかげで強盗に刃物を喉笛に突きつけられようと、まあなんとかなるだろうと思ってしまうほどに楽天的な自分が出来上がってしまったらしい。
「大丈夫だって」
できる限りなんでもないように、僕は笑顔を作った。疲れていないということはさすがにない。しんどくないといったら嘘になる。だけどフィズのほうがずっと負担は大きいのだから、僕が疲れたなんて言えるわけがなかった。
「フィズの分の荷物半分持てるぐらい、元気だよ」
そう言うと、返ってきた反応は予想外で。
「じゃあ、少し頼むよ」
「え?」
聞き返すのとほぼ同時にフィズは荷物を降ろして、僕にも鞄を置くように促した。言われるままに降ろして、蓋を開ける。フィズは自分の鞄の中からいくつかの荷物を取り出すと、少し申しわけなさそうに、「これ、頼むね」と言った。薬の入った壜など、体積の割りには重たいものばかり。おかげで荷物の隙間になんとか押し込めることは出来たけれど、一気に肩はずっしりと重くなった。別に持てないことはないのだけれど、フィズの具合が気になった。今までずっと背負ってきた荷物なのだから、普段だったら持てないはずないのに。
「栄養剤要る?」
「貰う」
今まさに鞄に詰めたばかりの薬壜をひとつ取り出して、フィズの華奢な掌になんとも形容したくない色の錠剤を2錠落とす。フィズはそれを口に放り込むと、水無しでごくりと飲み込んだ。喉が小さく動いて、形の良い眉が明らかに歪む。
「……飴まだある?」
「あるよ。一番甘いので良い?」
「ん、ありがと……」
いろいろと薬草その他をブレンドし、数粒で一食分の栄養があるらしいイスクさんのお父さん秘伝の栄養剤は、僕も風邪で食欲がないときに無理やり飲まされた覚えがあるのだけれども、なんとも筆舌に尽くしがたい味がする。風邪で味覚がぼやけている時ならそれなりに平気なのだけれど、そうでないときに飲むのはかなり勇気が要った。
「頭冴える味だわ」
「あー、なんかわかる……」
これまた結構強烈な味の甘ったるい飴で味を潰し、それから腰に下げた水筒から水を少し口に含んで、やっと顔全体に走った苦味が取れたような表情でフィズは呟いた。
荷物のこと。この栄養剤を飲むのに迷わなかったこと。やはり相当疲労が溜まっているのだろう。フィズはここ数年ほとんど風邪も引かなかったのでこれのお世話になることはなかったのだけれど、僕が風邪を引くたびに無理やり飲ませては顔をじっと覗き込んでいたので、多分だいたいどの程度の味なのかの想像はついていたはずだ。
家を出た日に迂闊にも倒れるまで不調に気付いてあげられなかったことが頭を過って、僕はフィズを頭の先から足元まで一通り観察した。顔色は悪くないし、呼吸も普通。熱も毎朝確認しているけれど、今朝は僕より少し体温が低いのが気になるぐらいで、正常の範囲内。それでも、この間倒れたことといい、去年の冬の一件といい、フィズの体調不良は原因不明だったり原因があまりにも予想外だったりすることが多いので怖いのだ。
何が起きても驚かないように。何も起こらないように。時々「こっち見すぎててなんか不気味」と言われても、注意は怠らないようにしよう。言われると少し落ち込むのだけれども。
荷物が重いせいか、足音が少し変わった。真新しい橋はその程度で軋みはしないけれど。足元の橋は普通の道路と変わらないぐらいには頑丈にできていて、そこにあった工事の発起人兼出資者らしき人を讃える碑によれば、つい半年ほど前に、まったく新しい工法で建てられたものらしい。それまではちょっとした嵐で直ぐに吹き飛んでしまったりするような、たくさんの人が行き交う街道には不釣合いなほどみすぼらしい吊り橋を使っていたそうで、橋の上から川の向こうを見ると、今でもその橋が少し離れたところに架かっているのが見えた。どうして直接架け替えなかったのだろうと思って、そんなことをしたら工事中は誰も通れなくなるじゃないかと直ぐに気付く。ああ、工事が終わっていてくれて良かった、と僕は少しほっとした。
「いい天気だねえ」
作品名:閉じられた世界の片隅から(4・完結編) 作家名:なつきすい