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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

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 フィズが呟く。のんびりと話すと、口調が少しだけじーちゃんに似ているような気がした。フィズは高いところや不安定な足場を怖がることはない。それは落っこちたところでなんとかできてしまう技量があるからかもしれないけれど。多分今歩いているのが向こうの吊り橋だったとしても、きっと、こんな口調で話すのだろうな。
「雨は降らないかな」
 ほんの少し前までだったら、この空模様で良い天気などとはとてもとても思えなかったに違いない。けれど、この気候にも慣れてきて、今はもう雨さえなければ好天の部類に入ると思える。
 橋を渡り終えても、川の流れる、どどど、という音がはっきりと聞こえる。此処のところは、橋を渡ることはあっても、だいたい雨音に掻き消されてしまっていて、こんなにもはっきりと、川の音を聞いたのは、あの渡し舟のある大きな川以来かもしれない。
「今日中に距離を稼いでおきたいね」
 少しは軽くなったはずの荷物を重そうに背負って、フィズは言った。
「無理はしないでよ。具合悪くなったらすぐ休むから」
 そう言うとフィズは、大丈夫大丈夫、と言って笑った。
 雨の気配の遠い空気は、けれど少しだけ冷たくて、もう冬が近いことがわかる。この地域はどれぐらい雪が降るのだろう。僕らの街よりは暖かいのだろうか。一年のうち半分以上が冬、ということを、僕らは当たり前だと思って育ってきたのだけれど、どうやらそんな地域は珍しいらしい。これから向かう隣の国は、夏が3ヶ月近くもあるとじーちゃんから聞いて、フィズは目を丸くしていた。世界には、冬が存在しない国なんていくらでもあって、雪や氷を知らない人も少なくないという。その逆に、本当に一年をすべて雪に閉ざされ、食料のほとんどを肉と魚に頼る地域もあるという。
 一歩一歩歩くごとに、落ち葉が音を立てる。フィズと話していればその音は聞こえなくなるし、お互いに黙っているときには、うるさいほどに耳に付く。街道を真っ直ぐに進んでいるだけれど、今朝出た街から次の街まではそれなりに距離があるらしく、うっかり雨に降られでもして足止めを食らえば最悪野宿になりかねない。それだけは避けたいので、ともかく今日はできれば途中時間を取ることなく進みたかった。
 朝街を出る前に簡単な食料を買い込み、陽が真上に昇ったところで、道沿いの岩に腰掛けて食べた。今日は惣菜パンがひとつずつに、簡単なサラダ。ずっと移動を続けている関係上、昼食はどうしても簡便なものになってしまう。家にいたときもお昼は忙しくて簡単に済ませがちではあったけれど、温かいものや汁物が食べられないのはなんとなく寂しくて、その分多少高くついても朝と夜はきちんと食べるようにしていた。
 正直なところ、お金にもそんなに余裕はない。けれど、宿代や食費を切り詰めて無理をするのはそれはそれで怖い。国境を越えて安全が確保できたら、早いところ収入を確保しなければ。まっとうな職があるのならなんでもいいけれども、できれば医者を続けたい。
 だけれど、人命を預かる仕事だけに、国によっては特別な学校に通って国の許可を得なければ医者になれなかったり、使っている薬の概念がまるで違ったりするらしく、直ぐに元通りに近い生活、というのはやはり、とても難しいことのようだった。
 それでも、フィズがいる。ひとりだったら簡単に押しつぶされてしまいそうな現実でも、なんとかなる気がする。いや、少し違うか。なんとかできる気がしたんだ。それから、なんとかしなくちゃという強い願いも。
 多分僕は、僕自身にさほど執着していない。元々物事に危機感を持ちにくい性格だというのもあるだろうけれど。死だとか大きな怪我だとかを意識したことはほとんどなかった。医者なんていう、それらとある意味最も近い仕事をしていたというのに。
 その僕が、初めて、死にたくないと思った時、頭に過ったのは僕のことじゃなかった。
 死んだら、もうフィズに会えない。それが嫌だった。この人を残して死にたくない。それが、心残りだった。もっともっと、フィズと一緒に過ごす時間が欲しかった。
 今は隣にフィズがいる。だけど、それは永遠ではない。いつか必ず、終わりは来る。そんなことを意識させられたのも、本当に最近のことで。僕はあんな日々が、ずっとずっと続くと何の根拠もなく信じていた。疑いすらしなかった。僕らだって、変わらずにはいられなくて、実際少しずつ、変わっていっていたはずなのに。姿かたちも、この思いも。それにさえ気付かなかった。
 だけど、どんなに時間が流れても、どれだけすべてが変わっても、僕が僕である限り、フィズと生きたい。その願いだけはきっと変わらないと信じている。この願いがある限り、僕は多分、折れないでいられる。行く道がどれだけ険しくても。
「ねー、サザ」
「なに?」
 返事までに、少し時間がかかった。何を考えているんだろう。不自然じゃない程度に、フィズの顔を覗き込む。
「いい天気だよね」
 少しの間があいて、続けられた言葉はそんな調子で。話すことなんて特になかったのに、ただなんとなく名前を呼んでくれただけなのかもとも思ったけれども。
「ずっと、こんな感じでさ。全部順調に行けばいいのにね」
 その言葉を聞いて、真意は別のところにあることぐらい、鈍感な僕にだってわかった。
 思うようにならないことばかり。天気ひとつ、願い通りになることは少ない。
「……そうだね」
 家に居たい。家族と一緒に穏やかな生活を続けたい。そんな小さな願いすら踏み躙られて、今はただ、離れ離れになった家族の無事を祈り、旅路の安全を願うだけ。
 だからせめてこの少しでも穏やかな、雨が降らず気温も低すぎず、そして僕らに対する追っ手が差し向けられることのない時間が、少しでも長く、できるなら国境を越えるまで続いて欲しいと思うだけなのに。
 なんでそんなことひとつ、思い通りになってくれないんだろう。
 突然、湿り気を含んだ風がひとつ吹いて、流されてきた重たい雲が落ちかけていた陽の光を遮った。降り落ちる雨が僕らの行く手をまるで幕のように塞いで、雨音と混ざる軍靴と車輪の音が、鼓膜を振るわせた。聞きたくもない。軍用馬が嘶く声なんて。
 雨の音は僕らの向かう先から、テンポが速く規則正しい軍靴のリズムは僕らが来た道から、それぞれ聞こえてくる。どちらにも進むことができなくて、ただ表情を引きつらせ、その場に立ち止まることしかできない。
 隣に居るフィズと顔を見合わせた。僕らより数日早く街を出た人たちは、おそらくもう国境を越えているだろうし、じーちゃんたちにしても僕らが今此処で足止めに成功さえすればもう追いつかれることはない。多分もう今更レミゥちゃんがいないことを装う必要はないだろう。だけど、ばーちゃんのことを考えると念のため、ということもある。まあ最悪、レミゥちゃんのことを「忘れさせる」という荒業もあるので、さして問題はないとフィズは言っていた。
「どうする?」
 ざあざあと降る雨の音に掻き消されない程度の声で、僕は問いかけた。その返事も、僕にだけ聞こえるぐらいの声で。
「ま、逃げてもしょうがない」
 この距離ならば、あと十秒ぐらいか。もう姿は捉えられているだろう。