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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

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 今更ながら、フィズのしたことの凄さを、僕は思い知った。三百年。精霊や魔人の寿命にしてもおよそ四分の一。僕らが三回一生を生きられるほどのエネルギーを、あのたった一時間ほどの時間でフィズは使い果たしたというのか。
 普通だったら手の届かないような、まるで神話の世界のような出来事があの時、僕の前で普通に展開されていた。それも、いつだってこの手が届くと思っていた、一番身近な人の手によって。
「あたしは、あの嬢ちゃんが逃げるか世界を変えるかのどっちかだと、思っていたんだよ」
 淡々と、ファルエラさんはそう口にする。先程までの楽しそうな口調とは違う。
「人間の血はたった四分の一でも、どれだけ桁外れの力があろうと、それを行使するための技術までご丁寧に習得してようと、あの嬢ちゃんの中身は人間だよ。別に人間が弱いとか、そんなことを言ってるんじゃないから誤解するなよ。ただ、すべての存在にはそれぞれの分ってものがある。想像してみろ、そこを歩いてる虫が、突然、同種の連中の中でたった一匹だけ、お前らぐらいの知能を獲得したらどうなると思う?」
 ファルエラさんの指を追う。小さな、黒い昆虫。暗いところを好み、家の中でもときどき大掃除をしたときとかにベッドの下とかたんすの陰から死骸が出てくることがある。
 寿命は一年。卵の状態で越冬し、春に孵って、晩秋に卵を産んで死ぬ。オスならば秋の初めに交尾をしたメスに喰われているはずだから、恐らくこれはメスなんだろう。食性は基本的にはコケなどを好み、他の動物を捕食するのは交尾時のメスに限る。腕力も走力もなく、子どものころ、家にフィズの拾ってきた猫がいたころは、たまにじゃれついて潰してしまっていた。硬い装甲があるわけでもなく、ちょっとした物理的な衝撃で簡単に死んでしまう。
 それは、僕らから見ればあまりにも儚い、取るに足らない命。
 それが、僕らと同じぐらいの知能を持ったとしたら。たった一匹だけ。
 無常を嘆くだろうか。誰も分かり合える相手のいないまま。あまりにも短い自分の命を惜しむだろうか。あるいは、なんとか運命を変えようともがくのだろうか。しかしそれ以外の部分があの虫のままならば、あまりにもあっという間に、そのときはやってくる。群れの中で、たった一匹、異質な存在として。
「……寂しいと、思います」
「そうだろう。だから、それぞれの生き物にはそれぞれの分がある。そしてその中でしか、生をまっとうすることなんかできやしないんだ。お前さんたちにあたしたちの心が入ったら、同じことを思うよ。嬢ちゃんもおんなじようなもんだ。力のことだけを言ってるんじゃない。それだけだったら大したことはない、嬢ちゃんの心は、人間だから。あの嬢ちゃんは、ずっと信じてた基盤を叩き壊されたんだよ。お前さんが殺されて、怒りに任せてその場にいた全員を粉々になるまで粉砕したときにな」
 基盤。その言葉を頭で反芻する。
「自分が今まで重ねてきた人生、自分に対する認識、ぼんやりと描いてた人生構造。それが根っこから壊れたんだ。多分決め手はそれ以上に、その時に突きつけられた、自分の出生だろ。普段なんでもないときだったら、自分の両親が何者かを知らされたところで……ま、ショックっちゃーショックだろうが、時間が経って、それでもまわりが何も変わらないことに気付いたら落ち着くだろ。知っちまったタイミングが最悪だ。周りに死体が散乱してる中で、悪しざまに罵られたんだろうよ。あたしを喚んだときの嬢ちゃんは、ホントにお前さんを蘇らせたい一心だけでなんとかもってたんだ」
 その情景は、半狂乱で取り乱す幼いフィズの姿は、容易に想像がついた。恐らくは血の海と化した中で、血まみれになった小さな僕の亡骸を抱いて。あの狂気に満ちた目でフィズを罵倒するシフト氏の姿も。はっきりと目に浮かびすぎて、胸が苦しくなるぐらいに。
「それさえなければ、嬢ちゃんは多分そのまま人間としての分の中で生きていけたはずだ。だが、あの事件で嬢ちゃんは、自分の基本的な拠り所をなくしたんだろう。自分の分のわからない存在は苦しむ。それは、虫だろうと人だろうと、魔人だって変わらないさ。しっかりした自分が持てない状態で、今までの自分を肯定して乗り越えるのは無理だ。だから嬢ちゃんには無理だと思ったんだよ」
 それで、あのとき願いは叶えて死なせてやろうと思ったのだと、ファルエラさんは言った。本当はフィズの寿命をすべてもらうことなんかなくても、僕を蘇生させるには十分だったのだと。
「あたしは人間を舐めてたみたいだねェ」
 そう言って、穏やかに、ファルエラさんは笑った。
「長話をして悪かったな。こんな時間でも、お前さんたちの短い命の中では貴重な時間だ。年をとりすぎると知ってる奴もほとんどいなくなってねェ、たまには喋りたいときもあるんだ。許しておくれよ。さて、」
 ファルエラさんの紫水晶の眼が、僕をじっと見据えた。口が、ゆっくりと動く。
「お前さんは、何を望む?」
 願いなんか、ひとつしかない。条件も、たったひとつ。
「フィズを、蘇生させることはできませんか」
「代償は?」
「……正直、僕の命は払えません」
「相変わらず勝手だねェ」
「承知してます」
 わかってる。だけど、フィズを残して死ぬことだけはできない。僕が自分を犠牲にしたら怒るから、ということもある。
 だけど、それだけじゃない。
「じゃ、その条件は呑めないと言ったら?」
 いつか、僕がフィズに言った言葉のうち、ひとつが変わった。
 フィズさえ幸せでいてくれるなら、フィズが僕を選んでくれなくても、僕はその近くにいられさえすればそれでいいと言った。
 だけど、フィズが選んでくれて、思い知ったんだ。
「どうしても他に手立てがないというなら、僕をフィズと一緒に何処かに埋葬してください」
 僕がいなくなったあとで、フィズが他の人と共に過ごすのは嫌だ。そんな、馬鹿げた独占欲。
 フィズはフィズだ。その意思を、僕がどうこうすることはできない。わかってるよ。本当に僕は、ろくでもない。
 暫く面白がるような表情で僕を見ていたファルエラさんは、急にニヤリと口の端を上げた。
「実は手立てはあるんだが」
「えっ!?」
 思わず、そんな声を出して一歩ファルエラさんに詰め寄ると、呆れたように言った。
「……何がえっだ、お前さんの期待通りになったろう?」
「や、まさかそんな都合のいい展開があっさり転がり込んでくるとはこの話の流れでは思えなくて」
 言うと、ファルエラさんはまたも腹を抱えて笑い崩れた。
「本当に面白いねェ、お前さんたちは。頭に血が上ったかと思えば妙に冷静になってみたり、どう考えても相手に不利な取引を平気で持ちかけてきたりする」
 何がそんなに面白いのか、僕にはわからないけれど。それよりも、早く、その話の続きを聞きたい。
「ま、そんなに美味しい話かどうかは、お前さんが決めることだよ」
 なんとか笑いを収めると、ファルエラさんは僕を見て言った。そして、次の言葉に、またも僕は間抜けな声を上げた。
「実は、嬢ちゃんは死んでない」
「は!?」
 さっき、老衰という判断を正解だと言っていなかったか。それ以前に、現にフィズの心臓は止まっていて。