閉じられた世界の片隅から(4・完結編)
「フィズのほしいもの、なんでも用意するよ。さすがに、盛大にパーティとはいかないけど」
「なんでも、かぁ」
フィズは少し思案するようにして、にやりと笑った。
「じゃあ前買おうと思った記録鉱石を」
「……再生装置ないけど、それでもいいなら。というか、そんなもんで本当にいいの?」
「あ、そっか」
わかってる、絶対にわかっていっている。勿論前買おうと思っていたというのは、タイトルを出そうものならイスクさんに平手打ちをかまされるような類のものだろう。僕が嫌な顔をするのを期待していたんだろうか。やたらと楽しそうに、フィズは笑った。
「じゃあね、何がいいかなぁ。持って歩いて荷物になるものはダメだし…」
暫く思案して、またもにやりと悪い笑顔を浮かべた。それも先程より数段悪質な笑みだった。そしてその笑みをふっと消して、少し上目遣いで、先程とは違った意味で悪質な顔を作ってみせる。わざとやっていることがはっきりわかる、恥らうような表情。普段なら絶対出さないような、無闇に甘ったるい声。フィズがどういう人か知らない男なら、こんな顔をされたら確実に引っかかるだろう。
「サザが欲しいな」
「……言うと思った」
「ちっ」
あの表情の時点で、この発言は予測の範疇だった。思いのほかリアクションが薄かったのが不満なのか、つまらなさそうに小さく舌打ちをする。それが妙に可愛くて、少しからかってみたくなった。
「そんなもの、誕生日じゃなくたっていつだってあげるのに」
「えっ」
一瞬、フィズの顔が赤くなる。そして、「言うようになったわね」と呟いて、顔から布団を被ってしまった。それをまためくる。
一日の中でも、僅かなひと時。たいした話なんかできなくたっていい。こんな冗談の言い合いができれば、それでいい。だけど、その時間が日に日に短くなっている。これが、ゼロになってしまう時が、訪れるのだろうか。頼むから、その時が来ないで欲しい。いつかは避けられず別れが来るのはわかってる。でもまだ、早すぎるだろ。
「……なに深刻な顔してるのよ」
「え」
顔に出ていたのだろうか、フィズが僕をむっと睨み付けた。
「まだ数日でしょ。介護疲れなんて言わないでよ」
「大丈夫、別件別件」
「ほー、私の手ぇ握っておしゃべりしながら、別件について思い悩む余裕があるんだ?」
そう言うフィズは、もうにやにやと笑っていて。
具合が悪いはずのフィズに気を使われていることに気付いて、僕はまた情けなくなった。
「ごめんごめん、フィズに特にリクエストがないみたいだから、誕生日何にしようかって考えてたら詰まっちゃって」
僕は、できる限り笑顔を作った。医学的に何もしてあげられないなら、せめて心配だけはかけたくなかった。だけどきっと、フィズだって気付いている。自分の体調の状態も、僕がただ手をこまねいていることしかできていないことも。
「あー、でも、特に物で欲しいものないんだよね。荷物になるものは無理だし。家だったらいくらでも置いとけるのになぁ」
「じゃあ、なにかしたいこととか、してほしいこととかは?」
なんでもいい。望んでほしいんだ。そうすれば、今僕がフィズにしてあげられることが生まれるから。
「したいこと、かぁ」
暫くフィズは腕組みをして、僕のほうを見たり、目をそらしたりしながら、考えこんで。
「……りたい」
「え?」
「帰りたい。うちに……帰りたい」
ぽつりと、呟いた。
「ごめん、無理だよね。どうせ帰ったって誰もいないし。違うこと考えるからちょっと待って」
「や、ちょっと待って」
慌てて笑って、話題を変えようとするのを引き止めた。
帰りたい、と言ったフィズの眼が、あまりにも、寂しそうだったから。
「わかった。帰ろう、フィズ。誕生日までに、うちに帰ろう」
「え」
フィズが柘榴石の双眸を丸くした。
「無理でしょ」
「でももう戻ったって、多分軍の人たちもフィズのことを探してないと思うし」
「遠いよ」
「僕が負ぶってくよ」
「折角ここまで来たのに?」
「逃げる理由もそんなにないし、大丈夫だろ、きっと」
我ながら、非合理的なのはわかっていた。もう追われる身ではないとはいえ、戻る途中の治安も悪化しているかもしれない。街に戻ったところで誰もいないのはわかってるし、家だって破壊されているかもしれない。
だけど、なんでもいいから、フィズの希望を叶えるためになにかをしたかったんだ。
ほかにしてあげられることが、思いつかなかったから。
「じゃあ、そうしようかな」
フィズが、小さく笑った。
「誕生日には、うちに帰ろう」
たったそれだけの、ささやかな願い。なんとしてでもそれを叶える。
「うん、帰ろう」
フィズの冷たい手をぎゅっと握る。嬉しそうに、小さく笑ってくれた。
そしてまた、直ぐにフィズは眠りに落ちてしまう。今は何分、起きていられたんだろう。考えない。
フィズが眠ってる間に荷造りを始めた。急を要しない荷物は置いておくことにする。宿の人に相談してみると、落ち着いたら取りに来ればいいから一年ぐらいなら預かっていてもいいと言ってくれた。フィズを背負っていくことを考えると、更に荷物は減らさなければいけない。負ぶっていくとは行ったものの、もし街のほうへ向かう荷馬車かなにかがいれば、お金を払って乗せていってもらうことも考えている。持ってきたもののやっぱり使いそうにない薬とかは換金しておいたほうがいい。
なにか換金するか、或いは預かってもらえる荷物がないかと、フィズの荷物を開いた。一応、本人の許可はとってあるけれど、そのときには少し意識が朦朧としていたので、後でもし怒られたらその時に謝ればいい。
フィズの荷物を開けると、まず飛び出してきたのは大量の防寒着だった。寒がりのフィズらしく、これを全部着たら温かいを通り越して動けないのではなだろうかと思われるほどに詰まっている。この中から、涼しい時用のものは当分着ないと思われるので置いていくものの中に分ける。
続いて、衣類。これはそんなに量はない。ただ、この寒さと体温低下で汗をかかないことを考えて少し減らした。
あとは何種類かの薬。風邪薬、栄養剤、消毒薬と包帯があれば十分だろう。これらも、量が減った分はより小さな壜を買ってきて移し変える。胃腸薬の類は結局使わなかった。期限も近いし、できれば換金したい。
それだけ、だった。フィズの収納の仕方が悪いのか鞄は随分大きく見えたけれど、思ったほど荷物はなかった。
実用品以外で鞄に入っていたものはあのみんなでメッセージを書き付けた皿だけで、それ以外にはなにもなかった。あれだけ物を捨てられなかったフィズが、これ以外の思い出の品をすべて諦めていたということに、僕は驚いた。結局、秋物を預け、衣類をきちんと畳んで、持ち運ぶ薬の量を減らし、かなり荷物を圧縮した。僕の荷物もほぼ同じ要領で減らしていく。結局、何かに使えるかもと思って持ってきた回路はほとんど使わなかった。しかしこれからはフィズの魔法に頼れないので、焚き火をしたりするときのためにも着火用の回路は持っていったほうがいいだろう。それ以外に、使えそうなものはなかった。
作品名:閉じられた世界の片隅から(4・完結編) 作家名:なつきすい