閉じられた世界の片隅から(4・完結編)
思わずそんな間の抜けた声が出て、フィズのほうを見た。その声に驚いたのか、フィズはきょとんとした顔でこちらを見ている。
「え? 何? 何か私変なこと言った?」
少し困ったような、フィズの表情。ああ、そうか。
「フィズ、人の生命力とかって、わかるの?」
「え、見えないの?」
やっぱり。それは、フィズに流れる人間以外の存在の血の力。多分、魔族のほうだろう。
「全然」
答えると、フィズはあー、と声を出して、それから少しだけ考え込んで、合点がいったように小さく手を叩いた。
「普通の人には見えないもんなんだ……。みんな見えてるんだと思ってたよ。道理で」
そして、僕のほうを暫くじっと眺めて、息を吐いた。
「集中すると、その人の生命力がどれだけ残っているか、なんとなく見えるのよ。動物や植物もそう。老衰の人とかは、本当にもう全然残ってなくて、どうやっても助けられない。大怪我の人とかだと、ほとんど死んだような状態で運び込まれてきても、生命力さえ残ってれば、うまく怪我が治れば生きていけるの。勿論その怪我をほったらかしにしとくと、寿命を使い切るより先に身体が死んじゃうから、そうなったらもう無理。私は、身体が死んじゃう前だったら、多少の大怪我でも治せるけど、一回死んじゃった人は、生命力が残ってても、助けられない。そして亡くなってから何日か経つと身体に残ってた生命力は拡散したりして、空っぽになるのよ」
「そういう、もんなんだ」
「うん」
フィズははっきりと頷いた。僕には、まるで想像もつかない世界が、フィズの目には映っていることを初めて知った。
「今見たけど、サザもちゃんとたくさん残ってるから、怪我さえしなければ長生きできると思うよ」
「あ、うん、ありがとう」
なにかありがとうなんだか自分でもよくわからない。多分、かなり驚いていたんだと思う。考えてみれば、見えていてもおかしくはないのだ。魔族は寿命以外ではかなり魔人に近い存在であるらしいと、イスクさんが話していた。魔人は契約した相手の生命力を見るだけじゃなく、奪うこともできるし、それこそ死者を蘇生させることもできる。魔族も同じように、生物の生命力を自在に操ることができるという。奪うことも、与えることも。フィズの瞳は精霊の瞳と同じ金色で、もう片方の柘榴石の赤い瞳は、魔族の血のあらわれであるらしい。人間以外の存在に近い目を持っていれば、僕らには見えないものが見えていても不思議はないのかもしれない。
「こっちの人は生きてても早死にしそう、こっちは、すごく長生きしたかも。まだ結構はっきり残ってるよ」
「そんなにはっきりわかるんだ」
僕は目を丸くするばかりだった。一体、フィズの瞳には、この世界はどんな風に見えているのだろう。
「ん、なんとなく、だけどね。……あんた、ファルエラさんと会ったんだよね?」
「うん」
「あの人には、はっきり見えるらしいよ。勿論触ることもできるし。……私ね、あんたを助けてもらったときに、隣で見てたのよ。もしかしたら、私にもできるかもしれないと思って。なんとなく、原理はわかった。だけど、ファルエラさんはほんとに、小麦粉の生地みたいに生命力を触れるんだよ。私はなんとなく見えるけど、手では触れない。やっぱり、半端に人間だから、あそこまでの力は私にはないんだと思う」
そこまで言った所で、フィズは急にはっとした表情を浮かべた。
「……できるかも」
「え?」
「できるかもしれない! 本気でやれば! ……サザ、見ててくれる?」
勢いに押されるように、僕は頷いた。フィズの目には、ほんの少し、希望が混じっているように見えた。
フィズが、目を閉じる。すう、と大きく息をひとつ吸い、同じようにゆっくりと吐き出した。酷く静謐な空気が流れる。少しフィズの呼吸が荒くなり、苦しげに眉を寄せた。大丈夫、と問いかけて一歩近づくと、片手で制止される。開かれたフィズの両目は、どちらも柘榴石の赤に染まっていた。
「……予想通り。はっきり、見えるよ」
紡ぎだす声は苦しそうだけれど、少し浮き浮きしたような、呼吸に不似合いにも思える明るさが混じっていた。
「多分、いけるわ」
そう言うと、何やら小さく詠唱した。まずは、遺体の損傷を魔法で治す。これ自体は見慣れた光景。普段の怪我を治すときと変わらない。だけど、速度がいつもと全然違った。それでも、何を行っているのかは良くわかる。
「よし」
小さく呟いて、今度は遺体の上で、手を細かく動かした。その動きは、まるで手芸や工作をしているかのようだった。普通の工作は、目が悪く手先が不器用なため、悪いけれど出来上がった作品以上に関係各所の惨状ばかりが目に付く結果で終わることがしばしばだ。はさみの入れ方が良くないために無駄に飛び散っている紙や糸くずだとか、やったらやりっぱなしで荒れ果てている部屋だとか、小さな傷が無数に残ってしまったフィズの手だとか。今フィズが恐らく切り貼りしているのであろうものは、生物の生命力そのもの。それがどんな風に動かされているのかは、僕には見ることができない。けれども、なんとなく、いつもの工作よりは遥かに手際よくそれは行われているように僕には思えた。フィズの手の動かし方に迷いがないからだ。
柘榴石の瞳、人間以外の親から受け継いだもの、フィズの、綺麗な眼。その双眸に映る世界を、見てみたいと思った。だけどそれが叶うことがないのはわかっていた。フィズが僕の眼に映る世界を、どうやっても見ることができないのと同じように。
他の何も眼に入っていない様子で、慎重に、手を動かしていく。表情が少し苦しげに歪んだ。どういう状態なのかはわからないけれど、普通の工作とは違って、それはフィズに身体的な負担を要求するものであるようだった。呼吸が、先程よりも荒い。足が少しだけがくがくと震えていた。
止めたほうがいいだろうか。余程そう考えた。けれども、そうしなかった。多分、ここで止めさせたらフィズは一生後悔するから。そう思わせる気迫が、疲れの浮かぶ全身からはっきりと見て取れた。それが、あまりにも綺麗で、僕はただ、呼吸をするのも忘れて、その姿を見つめていた。
一際慎重な動作で、両手を遺体の胸に強く押し付けて、やがて、ふっと顔を上げた。
「できた」
顔には汗が浮かび、息遣いには疲れが見て取れる。それでも、表情はこの上ないほど、晴れやかで。
「昨日と今日とで拡散した分少しか寿命減ったとは思うけど……生き返したよ」
疲れたのだろう、フィズの膝から力が抜けていく。僕は慌てて駆け寄って、その背を支えた。
「大丈夫?」
「ん、ちょっと疲れた」
でも平気。そう、言いながらも立ち上がろうとはしない。
フィズの背を支えたまま、川で倒れている人を見た。先程まで遺体であったはずのその人の顔には、少しずつ血色が戻ってきている。こんなことがありえるのか、と驚くことはなかった。僕だって、一度身体が完全に死んだ後で、魔人の手によって蘇生されたことがあるのだから。
作品名:閉じられた世界の片隅から(4・完結編) 作家名:なつきすい