小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

INDEX|19ページ/37ページ|

次のページ前のページ
 

 基礎体力は人並みにはあるはずだ。持病もないし、大変なことにはならないだろう。多分。
「医者のくせに」
「だから無理する限界点はわかるよ」
 それよりも、後悔するほうがずっと嫌だった。国軍が僕らを追うのをやめたことがはっきりした今、さすがに戻るのは無理にしても、後ろの追っ手を警戒する必要もない。僕が宿で寝込んでいたところで、僕らを追い抜いた軍にじーちゃんたちが襲われることはないだろう。今此処で注意することがあるとすれば、フィズの素性が知れて偏見や襲撃に遭わないようにすることだけだ。雪が降ってきたら、どこか途中の町に長逗留して、春が来るのを待って国境を越えたっていいのだ。その場合は、できるだけ首都から離れた、戦争の影響も国への忠誠心も薄そうなところを選ぶ必要があるけれども。
 フィズは暫く僕の顔を見て逡巡していたけれど、やがて、少し困ったように笑って言った。
「まったくもう、しょうがないなぁ」
 その口調が誰かにそっくりなような気がして、少し考えて。僕は少し、笑ってしまった。呆れたように笑うその言葉は、僕と良く似ていた。



 できる限りの防寒をして、早めの朝食をしっかりと摂り、多分苦虫というやつはこんな味がするんだろうなと思うような栄養剤をできる限り味わうことなく水で一気に流し込んだ。それから、イスクさんのご両親直伝の、これもまたいかにも効きそうな臭いのする風邪薬の丸薬を丸呑みした。そのおかげか、全身の寒気とだるさが少し引いていく。舌にうっかり残ってしまったなんとも形容したくない味が、吐き気を誘っている気がするのだけが気になるけれど。
 地元の人に聞けば、今日みたいな空の日は夕方雨が降りやすいらしい。できれば日中に宿に帰ってこれるように、無理しない程度に道を急いだ。宿の延泊の手続きは出かけに済ませてある。よほどの用がない限り大事をとって明日一日はゆっくり休もうと決めたので、とりあえず最低二泊はするつもりだ。もし僕の風邪が悪化したり、フィズが疲れているようならもう暫く滞在してもいいかもしれない。
 空は久々に明るく、日差しは暖かだった。熱のせいか、時折遅れる僕の歩みを、フィズは待ってくれる。
「大丈夫?」
 心配そうに僕を見るフィズの目は時々医者のそれになる。患者を診るような目で全身をぱっと見て、大丈夫そうだと判断すれば、また歩き出した。
 昨日この道を通ったときには、もうすっかり日が暮れていて、景色が見えなかったのだけれど、少しずつ、街道を進むにつれていろいろなものが変わってきていたことに気がついた。昨日の日中歩いていたところとも違う、道を埋める砂利の色。周囲の森から聞こえる鳥の声。
 音が違う。景色が違う。空気が違う。僕らが暮らしていたあの街とはなにもかもが。それはここ一ヶ月にも及ぶ旅のなかでわかってはいたことだけれど、何故かそれを、今日は特に強く感じた。遠くへ、来たんだ。
 陽が少しずつ高くなってきた頃、遠くのほうから水の流れる音が、わずかに耳に入ってきた。隣を歩くフィズを見る。少しずつ、その表情に緊張が混じってきているように僕には見えた。
 だけど、その足取りは速度を落とすことなく真っ直ぐに進んでいく。一歩一歩、確実に。
 現在の街道ではなく、今はほとんど通るもののない旧街道へと続く脇道に足を踏み入れた。ほんの少し前まで使われていたこともあって、看板などの注意書きが夜の闇で見えなければ迷い込んでもまったく不思議はない。旧街道を使い慣れていた人なら尚更だろう。安全上危険であるはずにも関わらず、通行しないよう書かれた看板が何本か立っているのみで、看板さえ見えれば間違って進入することはないにしろ、普通に立ち入ることができる。このままでは、シフト氏の部下たちが迷い込まずとも、いずれ度胸試しのような形で誰かが旧橋を渡ろうとして転落する事故が起きたのではないだろうか。
 目指す道の先には、何もなかった。確かにそこに橋があったことの名残のように、つり橋を吊るすための金属製の支柱が、こちら側と、谷を挟んだ十メートルほど先の場所に、ただぽつんと立っているばかりだった。何本ものロープを更に編んで作ったらしい太いロープだったはずのものも、ぶつりと途切れて支柱の周辺にばらばらと散らばっていた。その切片の一つを手にとって見ると、かつては頻繁に架け替えられていたのか思ったより古いものではなかったけれど、風雨にさらされたのか、指でつつくとぼろぼろと崩れ落ちた。
 一刻も速く状況を確かめたいに違いないはずだけれども、フィズは慎重に、連日の雨で泥濘み、滑りやすくなっている足元に注意を払いながら谷の淵にしゃがんで、下を覗き込んだ。片手はしっかりと、支柱を握っていた。幸い、風はない。
「気をつけて」
「ん、わかってる」
 一応、声をかけると、フィズは小さく頷いた。支柱を握った手に力が入っているのがわかる。高いところは平気なはずだけれど。
 数秒、谷底に目を凝らしていたけれども、やがて顔をあげて小さく首を振った。
「何も見えないね」
 僕も、もう片方の支柱を左手でつかんで、下を見た。谷は思った以上に深くて、けれど、底を流れる予想以上に浅い川が見えた。谷はそんなに広くなく、影になっていて良く見えない。けれど、川の流れの中で、何かが横たわっているように見えて、目を凝らした。人だ、多分。
 顔を上げて、隣で谷底を覗き込んでいるフィズを見た。見ないようにしているわけじゃない。本当に見つけられていないだけだろう。指で指し示しても、フィズの視力では多分見えない。
「降りてみる?」
 軽く周囲を見回して、僕は言った。
「あの岩場から降りられそうだよ」
「ん、いこっか」
 フィズはすっと立ち上がって、一歩崖っぷちから離れたあと、指し示した方向に向けてすたすたと歩き出した。
 恐らく、今までにもこうして事故が起きるたびに、遺族らが亡骸を回収するために谷底まで降りることはあったのだろう。緩めの傾斜になっている岩場は階段状に足元が削られ、壁面も変わった形の細い杭が打ち込まれて、手摺り代わりのロープが張られていた。それでも、濡れた岩に足を滑らせようものなら終わりだ、慎重に歩みを進める。様々な地域の中でも冬の長い地域で生まれ育った僕らは転び方が上手く、滅多なことでは大怪我はしないのだとじーちゃんが教えてくれたことがあるけれど、転んでも頭さえ打たなければなんとかなる冬場の路面と、前方に転ぼうが後方に傾こうが真っ逆さまに落ちてしまえば同じことであるこの場所においてはなんの救いにもならない。
「慌てて転んだりしないようにね」
 やや速めのテンポで歩くフィズにそう声を掛けると、
「あんたこそ熱で足元クラクラしてない?」と返ってきた。
 そう言いつつ、フィズの歩く速度が少し緩む。僕を待っていてくれてるのだとわかって、一瞬急ぎかけて、やめた、ここで転んではその気遣いの意味がなくなってしまう。