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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(4・完結編)

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「旧街道のほうの古い橋だって。サザも見たでしょ。ほら、ちょっと向こうにあった、今にも落っこちそうなぼろんぼろんの吊り橋」
「ああ!」
 思い当たった。新しい橋の上から見たとてもみすぼらしい、頼まれても渡りたくないような橋。主要な街道であるにも関わらず旅人の転落事故や橋自体の損壊が相次いだために、最新の技術であの立派な橋を架けたのだという。
 なんでまた、と言いかけて、言わなくて良かった。フィズの言葉と震えの意味が、やっと掴めたから。
「私が……忘れさせなければ、良かったんだ」
 多分、シフト氏の部下たちの中に、数年前にこの街道を通った人がいたのだろう。此処数か月分の記憶を失くして、つまり、橋の架けなおしとそれに伴う街道の微妙な変更があったことを忘れたまま、旧街道に迷い込んでしまったに違いない。新橋ができて整備されることもなくなった古い橋の劣化は著しかったはずだ。彼らの重量に耐え切れずに、谷底へと落ちていったのだろう。
「私のせいだ……私が、殺したんだ。あの人たちは別に、いても私たちが危ない目に遭うわけでもなんでもなかったのに……」
「違うよ」
 少なくとも、フィズが殺したわけじゃない。記憶を消したことも、そのまま首都へと帰したことも。
「死なせようと思ってたわけじゃないだろ。死んでいいとも、思ってなかったんだ。だから」
「でも!」
 フィズのせいじゃない。そう言おうとした言葉は遮られて消えた。
「私があの人たちの記憶を消さなかったら! こんなことにならないで済んだでしょう!? 私のせいだよ!」
「そりゃフィズがこうなることわかっててやったんだったらそうだけどさ!」
 せめて僕だけは平静でいなくちゃと、思っていたのに。
「違うだろ!? だから、そんな風に言わないでよ」
 自分を責めるのをやめてほしくて。思わず僕は怒鳴ってしまっていた。感情に任せたって、何も解決しないってわかってる。それでも、僕はフィズがあらゆる周りの悲しい出来事を全部自分のせいにして片付けて、自分を傷つけるのが、何よりも苦しかった。
 たとえそれが本人であっても、誰かがフィズのことをそんな風に貶して、傷つけるのが、凄く悲しかったんだ。
「気休めはやめてよ」
 フィズの声に険が混じる。それはもう、棘に近かった。
「私がいなければ、あんただってこんなに危ない目に遭わなくていいんだよ。あいつを殺すことだってなかったんだよ! ばーちゃんも、じーちゃんもみんな、ずっとあの街にいられたのに。私がどうしたいって思ったとか関係ないんだよ、私がいるだけでみんなを不幸にするんだ」
「フィズ!」
 もうやめてくれ。どうして、どうしてそんなに自分を傷つけようとするんだよ。そんな必要ないのに。フィズはもっと、幸せであっていいのに。
 周りの人がどれだけフィズのことを大切に思っているか、フィズは知らない。気づかない。僕だけじゃない。ばーちゃんも、じーちゃんも、スーもイスクさんも、それだけじゃない、町の人たちもみんな、フィズのことを大事に思っていて、その幸せを願っているのに。
「フィズがいてくれるだけで、幸せになる人が、どれだけいると思ってるんだよ。……フィズに幸せになってほしがってる人が、どれだけいると思ってるんだよ。わからない?」
 どうしてだろう。まだフィズも泣いてはいないのに。
 僕が、泣き出しそうだった。すごく、悲しくて。誰のせいでもないけど、どうしてフィズばかりがこんな思いを積み重ねなければならないんだ。自分を責めて、ひとりで苦しんで、七年前の事件のときだって、誰にも言えないで、たったひとりで全部抱えて。自分のことも、僕のことも、死なせてしまった人たちのことも、ファルエラさんとの契約のことも、何もかも。そこまで考えて、胸が苦しくなった。悲しくて、情けなくて。
「ごめん……」
 思わず、僕はそう言っていた。本当に、本当に涙が出そうだった。今までに起きたどんなことよりも悲しかったから。僕が落ち着かなきゃ、そう思うのに。
 苦しいよ。息が咽喉の奥で詰まったみたいだ。
 本当に、ごめん。もう少し僕が鋭くて、人の気持ちに聡くて、或いは、フィズが全部僕に預けてくれるぐらい、僕が強くあれば、そんな辛さをずっとずっとたったひとりで背負ってこなくて良かったのに。そうすればきっと、今みたいに、すべてを自分のせいにしてしまうこともなかっただろう。いつだってフィズは、僕にとって頼りがいがあって優しい姉でいようとしていたんだ。僕が弱いから。それから、僕がいなくならないように。
 そのことを、言わなければと思うのに、声が詰まって言葉が出てこなかった。
「なんで、サザが謝るのよ……」
 フィズの声のほうが、僕よりもずっとはっきりしていた。何か、何か言わなくては。そう思うけれども、声より先に涙が出そうだ。でも泣き方なんて、思い出せない。今一度でも泣いてしまったら、多分一粒じゃ済まない。
 そんな姿を見せたくなかった。フィズが頼ってくれるぐらい、強くありたいから。何かがあって泣いてはフィズにしがみついていた、小さな弟だった僕ではいたくないんだ。フィズが強い姉じゃなくていいように。あらゆることから僕を守るために、僕より一歩先に立っていなくてもいいように。僕はフィズの隣にいたい。だから、泣きたくないのに。
 透き通った赤みのある右目と、猫のような瞳孔を持つ金色の左目が、揺らいでいた。憤りと、悲しみと混乱とに。
「謝るくらいなら……私を、たすけて」
 言葉の最後は、静かで、今にも掻き消えてしまいそうに掠れていた。その声は小さくて、だけどどんな叫び声より、どんな悲鳴よりも、はっきりと、聞こえた。
「もう、こんな苦しいの、つらいよ……」
 僕が腕を伸ばそうとするより先に、フィズが向きを変えて、どんと肩を押された。バランスを立て直すことができないまま、ベッドに頭を強か打ちつけた。一瞬、視界が揺らいだ。気付けば、倒れこんだ僕の体の上に、フィズが膝と腕を立てて、僕を見下ろしていた。その宝石の瞳の中に揺れる多様な感情の中で、錯乱の色が強くなっているように僕には見えた。
「サザ」
 僕の名前を呼ぶ声に、ぞくりと背筋が震えた。なんだろう、これは、怖いのか。
 その声は確かにフィズのものであって他の誰のものでもないのに、いつもなら、耳にしているだけでほっとするものであるはずなのに、僕はどこかで恐怖を感じていた。
「もう考えたくない、何も。なんとかして」
「なんとか、って」
「なんでもいいから」
 嫌な予感しかしなかった。なにも考えたくないって。
 それだけは嫌だ。それじゃあ、何のために僕らはここまでしたんだよ。フィズと生きたいから、一緒にいたいから、それだけは譲らないために、あとの全てをかける決意をしたのに。
 勿論、それは僕の側の論理。フィズと一緒に生きたいというのは僕の願いであって、フィズがそう望んだわけじゃない。
「別に死にたいって言ってるわけじゃないわ。死なせてくれてもいいけど、考えられないようにさえしてくれれば、それでいいの。忘れさせるんでもいいし、なんでも。そうだ、」