閉じられた世界の片隅から(3)
すべての線が一本に繋がっていくのを、僕は感じていた。その連なる糸の先に何があるのかも、僅かにぼんやりと、そのシルエットが見えてきている。
このことを、僕以外は知らないのだと、じーちゃんは言った。
それは、どうしてなんだろう。僕よりも、知るべき人がいるはずなのに。
「シフトの実家は貴族で、しかもイスクちゃんの彼氏のジェンシオノみたいな、勘当された三男坊なんかじゃない。跡取りなんだ。インフェたちは直ぐにでも結婚したかったらしいが、向こうの家族の猛反対にあったらしい。この街の出身で、しかも人間と精霊のハーフだ。あの街で差別されないわけがない。その後、インフェは精鋭部隊に配属されたんだが、あの二人を引き離すために親族が画策したことじゃないかと、奴は言っていたよ。駆け落ちしてでもインフェと結婚しておけばよかったとも。
その頃、戦争はこちら側有利で進んでいた。元々の人口が全然違うし、長期戦になれば、いずれこちら側が有利となるのはわかりきっていた。でも、妙だったんだ。魔人や精霊ですら、短期戦ではヴァルナムの魔族に相応の被害を受けさせられてきたんだ。なのに、やたら短期戦での戦果も良かった。今思うと正直不気味だよ。
国軍は、向こうの拠点を叩くことに決めた。敗走するヴァルナム軍を追いかけて、北へ、北へ。勿論その中には、インフェがいた。そしてある基地に誘い込まれて、そこで軍の誇る精鋭部隊は、全滅した」
全滅。だけど僕はなんとなく予測している。その後の出来事を。
この時点で、インフェさんは死んではいない。でなければ、現在に続かない。
そして。死んでいたほうがまだましなぐらいの苦痛がこの世には、きっとあるのだろう。
「当時まだこちら側では実用化していなかった契約封じの結界を、連中はもう使いこなしていた。今までの戦いは、なるべく多くの精鋭をおびき寄せる為の餌。手足を封じられたも同然のこちら側は、何もできなかった。インフェ以外は」
あのときのことを思い出す。契約封じの結界の中でも使える力。自分の魔法。
「インフェは契約なしで自分の精霊魔法を使えた。それで、仲間たちを次々に外へ逃がした。全員を無事に逃がしたら、自分も逃げるつもりだったんだろう。だが、すぐに気付かれた。
奴らにとって最大の弱点は、魔族の命の源泉が魔力であること。強力な魔法を使えば使うほど、命が削られていくことだよ。それも、大して長くもない寿命。使っても使っても魔力を回復させられる人間の体質と、恐らくは長い寿命を持つだろう精霊の血筋は、連中にとって喉から手が出るほど欲しい反面、どれだけ望んでも手に入らないものだ。奴らは、インフェと取引をしたらしい。インフェが此処に残って実験台となる代わりに、そのほかの捕虜を全員解放し、侵攻もやめると。
……フィズラクと同じだよ。インフェも、簡単に自分を諦める。それに応じた」
実験台。結局魔族だろうと人間だろうと変わりない。力に頼り、他者から奪い取ることでしか生きられない人たちの考えることなんて、同じだ。
「元々連中は、拉致してきた他種族との交配実験を行っていたらしい。短い寿命を補うために、精霊や魔人と。魔力が回復する身体を求めて、人間と。精霊と人間、両方の血を継ぐインフェは、格好の実験材料だった」
聞きたくもない、おぞましい言葉。女性を、人をなんだと思ってるんだ。あの男も、この連中も。だけど、それを口にするじーちゃんはもっとつらいはずだ。
その尊厳の欠片もない残酷な実験の犠牲となったのは、じーちゃんの娘。
僕には子どもはまだいないけれども、もし僕の大切な人がそんな目に遭わされたら。想像するだけでも腸が煮えくり返りそうな思いがした。
だけど、だけど。
この出来事の何が一番、じーちゃんを今でも苦しめるのか。
その答えに、僕はもう、気付いている。そしてそれを知っているから、僕はこの出来事を、恨み切る事ができない。
「インフェが脱出を決意するまでの間に、生まれた子は三人。最初の子は、死産だったらしい。次の子どもたちは双子。片方は、精霊と魔族の体質が変に影響しあって魔法がろくに使えないからと、直ぐに捨てられたらしい。問題は、もう片方の子。精霊の力と魔族の力を両方併せ持ち、その上ちゃんと魔力の回復もできると来ていたそうだ。この子こそ、ヴァルナムの連中が望んでいた子ども。捨てられてくれれば、まだ助かる見込みはあるし、その子が悪用されることはないけれど、こうなってしまったら、この子に待つ運命は、実験材料かさもなくば生物兵器だろう。
インフェは、この子を連れて逃げ出した。相変わらず契約魔法は封じられていたけれど、あの子は精霊の力を使って、追っ手を振り切った。けれど、精霊の命の源泉は生命力だ。だから力を使えば使うほど、命が削られる。ヴァルナムの近くで、城の監視を買って出ていた俺とシフトのところにたどり着いて、あの子は力尽きた。娘を守れたと、満足そうな最期だったよ。俺は、あの子の笑った顔をちゃんと見たのは、あのときが初めてだったよ」
ああ、やっぱり。
だから、苦しいんだ。
「……フィズ、なんだよね?」
その子は。その凄惨な苦しみの果てに生まれた子は。
「ああ」
じーちゃんが頷く。
交配実験。それがどれだけおぞましいことか。どれだけインフェさんが辛い思いをしたことか。娘が、恋人が、そんな目に遭ったじーちゃんとシフト少将はどれだけ苦しんだことだろう。想像も付かないぐらいの痛みを、インフェさんも、じーちゃんも、シフト少将も抱えて。
だけど、その結果生まれたフィズのことを、僕も、じーちゃんも大事に思うからこそ。
僕は、何も言いたくはなかった。
許されることじゃないのは考えるまでもなくわかる。そんな目に遭わなければ、インフェさんは今頃幸せに暮らしていたかもしれない。
だけど、その酷い出来事がなければ、フィズは、存在していない。
あの時フィズに出会っていなければ、僕は多分あのままゴミに埋もれて死んでいたはずだ。だから、間接的に僕は、インフェさんの犠牲とじーちゃんたちの苦しみの上に生きていることになる。
「最初俺は、フィズラクをシフトに託すことも考えたよ。どんな形であれ、インフェの忘れ形見だ。だけど、俺は父親だからそう思えただけ。あの子の恋人だったシフトにしてみれば、あの子が他の男に産まされた子どもなんて、受け入れられるはず、ないよな。
インフェの身に何が起きたのかを知って、目の前であの子を喪って、少しずつ、あいつはおかしくなっていった。最初は、あんな奴じゃなかったんだよ。状況をよく見ているし頭が良すぎるくらい良いところは今も変わらないが、真面目すぎるし、少々気が弱い部分もあって、俺は好きにはなれなかったけど悪い奴じゃなかった。いいとこ育ちで、真面目すぎて、だから、耐えられなかったんだろうねえ……」
想像しようとして、僕はやめた。想像することすら耐え難かった。もしも、フィズがそんな目に遭ったら。
もしもフィズが生きていてくれるなら、僕も生きて、せめてフィズを支えようとするだろう。
作品名:閉じられた世界の片隅から(3) 作家名:なつきすい