閉じられた世界の片隅から(3)
思わずそう聞いてしまう。すると、「そんな魔法があったなら、今頃俺はリーフェと添い遂げているはずだよ」と言って、苦笑した。
「長いこと旅をしていると、周りにいる人の表情とか動きに敏感になるだけだよ。仲間と旅をしているときには仲間割れや裏切りがあったら命を落とすし、ひとりで旅をしているときでも、自分の身は自分で守るしかないからねえ」
「そういうものなの?」
「サザも旅に出たら、俺みたいになるかもねえ」
それはいいことなのか悪いことなのか。今現在の僕が多分人より他人の考えていることに対して鈍いのは確かなので、少しそうなるぐらいで丁度良いのかもしれないとも思う。
「……で、だ。このまま行けば、サザは旅に出ることになる。フィズラクとふたりだけで」
「え?」
突然の言葉に僕は顔を上げた。じーちゃんの表情が思った以上に真剣で、思わず僕は布団から起き上がった。
「カラクラと俺とで、だいたいの作戦はもう決めた。目的はシンプルだ。誰も、殺させない。お前たちも、先に逃げた街のみんなも」
作戦。なんの作戦かなんて、聞かなくてもひとつしかない。
この街から、如何にして脱出するか。
その際、ばーちゃんが明確な要求拒否をすれば、街の人たちが軍に狙われることとなる。かといって要求を呑んでしまえば、フィズとレミゥちゃんがどうなるかは考えたくもない。
街の人たちを安全に逃がした上で、フィズたちも渡さない。そのどちらをも満たせる方法を、多分、ふたりはずっと考えてくれていたのだ。
「まず、連中が来るより先に、俺とサザとスゥファとフィズラクが街を脱出する。この家に残るのは、カラクラと、レミゥちゃんだ。そしてフィズラクには、交渉中に乱入してレミゥちゃんを拉致してもらう」
「それなら初めからレミゥちゃんを連れて逃げたら?」
じーちゃんは首を振る。
「いや、フィズラクは帰ってきてないことになっているからまだいい。それか、自分が差し出されそうになったのに反発してお前を連れて逃げたことにしたっていい。だけど、レミゥちゃんがいなければ、明らかにカラクラが要求を拒否したことになってしまうだろ」
「あ、そうか」
「いや、いいんだ」
そしてじーちゃんは少しの間、黙り込んだ。何か、言い難いことがあるのだろうか。僕は何も言わずに続きを待った。
部屋に沈黙が流れる。隣の部屋からは、フィズとイスクさんの笑い声が聞こえた。会話の中身までは、壁に遮られて聞こえなかったけれども。
「『行方不明だったフィズラクが、カラクラの意思に反してレミゥちゃんを強奪する』。レミゥちゃんとフィズラクを軍に渡さないで、かつ街の人たちに迷惑がかからないシナリオは、これしかない」
じーちゃんは淡々と話す。だけど、僕はどうしても一点が気がかりだった。
「……それだったら」
この理屈だと、脱出できない人が、ひとりだけ、残ってしまう。
「ばーちゃんはどうなるの?」
じーちゃんは、目を逸らさずに、淡々と答えた。
「この理屈であれば、カラクラに非はない。解放してもらえるかどうかは五分五分だが、拘束された場合でもせいぜい身柄が軍部預かりで済む可能性も高い。カラクラは普通の人間だから、実験材料に使われるようなこともないしな。場合によっては、イスクちゃんが圧力をかけてくれるかもしれない」
やっぱり。
「一緒には、逃げられないんだね?」
「ああ」
誤魔化さずに、そう、はっきりと答えてくれた。
だけど、そんなあっさりと、どうして。
「ばーちゃんは、それでいいの?」
聞かずには、いられなかった。
「街の人のために、僕らのために、ばーちゃんひとりが捕まるなんて、ばーちゃんはそれでいいの!?」
「落ち着けサザ。フィズラクたちに聞こえるだろ」
「でも」
「俺たちの願いは、お前たちが少しでも、少しでも先へ進むことなんだよ。俺たちが進めなかった分まで」
そしてじーちゃんは、ぽんぽんと僕の頭をはたいた。
納得が行かない。どういう意味だ。どうして。
どうしてみんな、誰かのために、自分を諦めようとするんだろう。僕も、そうしようとしたことがあったけれども。
だけど、そうされても、つらいだけなのに。
残された者が、苦しいだけなのに。
「これは、俺たちのエゴだよ」
じーちゃんはそう言って、頭に乗せた手を、わしゃわしゃと動かした。
「お前たちのためだなんて、端から言うつもりはない。だから、あいつの分まで謝っておく、ごめん」
「そんな」
謝ってほしいわけじゃないのに。
ただ、どうして、と、思うだけ。
そして苦しいのは、僕が、ばーちゃんとじーちゃんと一緒にいたいからだ。
さっきじーちゃんは、僕とフィズの二人だけで旅に出ることになると言った。つまり、じーちゃんも一緒には行かない。
「じーちゃんはどうするの?」
「俺は、スゥファとレミゥちゃんを連れて、なんとしてでも国境を越えて、あの子達に安全な環境を保障する。そこで、お前はフィズラクと一緒に、陽動をしてもらいたい」
「陽動?」
じーちゃんは頷く。
「ああ。スゥファとレミゥちゃんは、まだ小さな子どもだ。あの子達を連れて、軍に本気で追いかけられたら逃げ切れない。だから、お前たちで、時間を稼ぎつつ逃げてほしいんだ。その間に俺はあのふたりを連れてとにかく先を急ぐ。何、それ自体は難しいことじゃない。普通の状態のフィズラクでも問題なくこなせるレベルだろ。子どもの足でも、特にトラブルがなければどんなに長くても一月あれば国境を越えられる。本当ならフィズラクひとりのほうが、身軽で安全といえば安全だし、だからこそ、スゥファやレミゥちゃんとは別行動にするんだけど」
そこで、一旦言葉を切った。僕をじっと見るじーちゃんの目は、真剣だった。
じーちゃんは昔軍にいたらしいと、あの男が言っていた。その頃のじーちゃんは、どんな戦いをしていたんだろうと、ふと思った。
「サザにしか、フィズラクの心は支えられないんだよ」
じーちゃんは、唇を噛んだ。
「確かに制限なしで魔法をぶっ放していい状況で、フィズラクに勝てる人間はまずいない。あの子は自分の身の安全ぐらい簡単に守れる。むしろサザがいたほうが、逆に危ないかもしれない」
そこまではっきり言われると少しだけ悔しかったが、事実なので言い返さない。ついこの間も、そして七年前の事件も、僕はあっさりと瀕死の重傷を負わされた。足手まといにならないと言える自信は、まだない。
「だけど、フィズラクは簡単に、自分の事を諦める。つらい旅になるだろう。俺たちの行方や、カラクラの安否を知る術はなくなる。行く先々で化け物と罵られるかもしれない。戦争が進めば、尚更差別は強まるだろう。追っ手から逃げるために、相手の命を奪ってしまうこともあるかもしれない。たったひとりで、あの子が耐えられるとは思えない。だから、身の危険からはフィズラクに守ってもらえばいい。その代わりあの子を守ってやってくれ、頼む。もう嫌なんだよ、目を離したところで、大切なものがなくなっちまうのは」
「言われなくても……」
フィズのことは、支えたいと思う。それが、どれだけつらいことであっても。
だけど、だけど。
言葉が続かない。
作品名:閉じられた世界の片隅から(3) 作家名:なつきすい