閉じられた世界の片隅から(3)
フィズは黙り込んで、そして。
「……絶対、私の顔見ないでよ」
言うやいなや、フィズの喉から小さな嗚咽が漏れて来て、やがてそれは、涙声での言葉へと変わっていった。
「私……ちゃんとやったよ……」
「うん」
「ちゃんとやった、台本より酷いことも、言った……」
「うん」
「家も少し壊した。だから、絶対ばーちゃんは疑われない。どう見ても、私が……化け物の私が……ばーちゃんを裏切ったようにしか見えないはず」
「……うん」
化け物。その言葉を、本当は口にしないで欲しい。
フィズも含めた誰かがそう言葉にするたびに、フィズの心が、抉れていくような気がするから。
それに、たとえ本人でも、好きな人のことを悪く言うのを聞いていい気分はしない。
「だから……ばーちゃんは大丈夫……。だから私たち、帰れる、よね?」
「うん」
できる限りはっきりと、僕はそう答えた。
帰れるよ、必ず。
誰ひとり失うことがないように、そのために僕らはこうして、一度離れ離れになることを選択したんだから。
だからもっと、自分自身を誉めていいんだ、フィズ。こんなに、頑張っているんだから。
そう言いたいけれど、上手い言葉が見つからない。これをそのまま口にしたら、ますますフィズが無理をしてなんでも背負い込んでしまいそうな気がして。
他に手が思いつかないとはいえ、この作戦はフィズに大きく頼っている。もしなんでもない作戦だったら多少自分の負担が増えたところで、むしろ今回以上にフィズの役回りが大きかったとしても、特にそれを苦にするでもなく簡単にこなしてしまうことだろう。作業が多いことや、それの難易度が高いこと自体は、多分フィズにとってそれほど重荷にはならない。少なくとも本人は自分の能力をかなり適切に評価している。仮に今回以上に失敗が許されない命がけの状況だったとしても、失敗しなければいいだけだとあっさりと割り切って、やり遂げてしまうに違いない。むしろ難しい局面であればあるほど、気合が入るぐらいだ。
けれども、今回のような局面で、フィズに重要な役目が回ってくるとしたなら、その重荷はいかばかりだろうか。
「自分が悪いから」、やり遂げなきゃいけない。もしも失敗したら、みんなに大変な迷惑がかかる。普段だったら逆に燃える要因にすらなるような難しさや後のなさであっても、今のフィズには心労でしかないだろう。だから、普段なら言えることが、言えない。
僕にもっと、力があれば。こういう状況でフィズの代わりに実際の仕事を引き受けられるぐらいの能力があれば。こんな時にフィズの重荷を少しでも背負ってあげられるのに。
僕にもっと、言葉があれば。フィズを苦しめるこの頑固な思い込みを打破できるぐらいの言葉があれば。同じだけ身体を疲れさせてしまうのは変わらなかったとしても、それでもこんなに苦しませずには済むはずなのに。
あまりにも、僕には何もない。少しは成長できたと思っていたのに。これだけの切羽詰った状況になってみて、無力さが身に沁みた。
ごめん、何もしてあげられなくて。
「ねえ、サザ」
「何?」
嗚咽が止まって、暫くの沈黙の後、ぽつりとフィズがこう言った。
「あんたも、先に行っててもいいよ」
「……は?」
一瞬、意味がわからなくて、思わず間の抜けた声で聞き返す。フィズの声は、まるで感情がごっそりと抜け落ちてしまったかのように淡々としていて。
「私があいつらを足止めしてるから、先に行って、じーちゃんたちの後を追いかけてもいいよ」
「……どうして」
そんなことを言うんだ。沸いてきたのは、驚きではなくて。
「このまま時間稼ぎをしてたら、国境を越えてもじーちゃんたちと離れ離れになっちゃうでしょ。その後探すのは大変だし、今から追いかければきっと追いつけるよ。だから、先に行ってても」
「……フィズはどうするの?」
「全部終わってから追いかけるよ、大丈夫大丈夫」
嘘だ。追いつけるなんて思ってないくせに。本当に直ぐに追いつけると思っているなら、僕を先に行かせる理由にならない。頭の回転が速いはずなのにこんなにも矛盾したことを言えるぐらい、多分今のフィズの判断力は落ちている。
「私と一緒にいるより、危ない目に遭わないで済むし。私のせいでサザに何かあったら、私は」
「本気で言ってるなら、怒るよ」
頭にきた。こんなことを言わせてしまった僕に。こんなことを言うフィズに。
本当はどちらに対して怒ってるのだろう。多分、前者。
「……そんなに僕は信頼できない?」
そうだろうな。そう思いつつ聞いてしまって。
言わないほうがいいんじゃないか。そんな気もする。多分ここでどれだけ話しても、僕の情けなさが露呈するだけ。
でも、伝えたい。変に意地を張ると余計にすれ違う気がして。
「少しでも足手まといにならないように、頑張るよ。もし僕の不注意で怪我をしたりしたら、言うとおりにする。……だから、そうならないようにやれることをやれるだけやるだけだ。僕は、フィズといたい」
「足手まといだなんて思ってない」
「でも、僕が危ない目に遭うかもって思ってるだろ」
当然だ。大丈夫だとはとてもとても思ってもらえないような駄目な実績を、僕は十分すぎるほどに積み上げてしまっている。
子供の頃の、一度死んだという大怪我。この間の撃ち殺されかかったときのこと。どちらも、フィズの眼前で、フィズを狙ってきた連中の手で僕が死に掛かって、結局はフィズに助けられた。一回目はその為に自分の寿命を犠牲にまでしてくれようとして、二回目は、忌み嫌う魔族としての能力を行使してまで助けてくれた。
二回も前例がある。信じてもらえないのは当然だ。むしろ、フィズのネガティブな部分は、これらの体験のせいでより臆病になってしまっているのだろうに。
だけどそれでも、そばにいたいんだ。これは僕のエゴ。
「絶対に、もうフィズに心配かけるようなことはしない。それができないで僕になにかあったら、僕のことは薬でも魔法でもなんでも使って綺麗さっぱり忘れてくれていい。……だから、一緒にいさせてほしい」
馬鹿かもしれない。間違いなくどこか壊れている。正直、フィズの聴いているお使いで買いに行かされたくない類の怪しげなドラマの主人公よりも、僕はおかしいかもしれない。
それでも、フィズがいないなら、僕はなんの希望も持てない。フィズが居ないなら、生きていたいと思う理由がない。本気でそう思っているほどに、僕にとってフィズはかけがえのない大切なもので。
情けないのはわかってる。役に立てていないのも知っている。辛うじて、少なくとも今日は足を引っ張らずに済んだぐらいで。それでも、僕はフィズといたい。
「それで、あんたに何かあったら、私はどうすればいいのよ」
「何も起こさせない。大丈夫、僕はフィズのために死んだりなんかしない」
陳腐な物語で良くあるような、そんな行動を僕はしない。誰かのために死んだりなんかしても、残された人が傷つくだけ。
その残された誰かになりかけて、僕はその無意味さに気付いた。
作品名:閉じられた世界の片隅から(3) 作家名:なつきすい