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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(3)

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 フィズの顔を見る。泣いてはいない。フィズが人前で涙を見せることは、ほとんどない。
「……ごめんよ、フィズラク」
 ばーちゃんが言う。その言葉に、ますますフィズの表情が、歪んだ。
「あたしだって、こんな役割、お前にさせたくなんてないさ。だけど、あたしたちはお前たち全員を、できる限り無事に逃がしたい」
「それは、わかるよ。こんなのただのお芝居。それだって、わかってる。……わかってるよ」
 だけど、それにしても、よくもまあこれだけ考えたものだと思うぐらいの、心を抉るような言葉の数々。自分で書いていて、ばーちゃんだって辛かったのではないだろうかと思ってしまうほどの。それでも、なんとかあの他人の行動を読み、罠を張ることにかけては一流のあの男をなんとしてでも騙し抜くために、こんな心が折れそうな言葉を、ひとつひとつ、考えたのだろう。
「……言うよ。ちゃんと」
 フィズはゆっくりと、そう言った。それでも、表情は、暗い。
 ただのお芝居だよ、そう、声をかけようかとも思った。だけど、やめた。そんなこと、フィズだってわかってる。それでも、言いたくないぐらいの言葉が、この薄っぺらい紙束には詰まっていた。
「ちゃんと言う。そして、レミゥちゃんを連れて、逃げればいいんだね」
「ああ」
「それから?」
 フィズが尋ねると、ばーちゃんは今度はフィズだけじゃなく、僕ら全員に目を向けた。
「サザとタクラハは、別々に出て、後で合流してくれ。特に、サザはなるべく見つからないように此処からを逃げるんだよ。それかもうひとつ考えているのが、最初に一度フィズラクが脱出するときに、サザを連れて逃げるほうが、芝居に真実味が出るかもしれないね。フィズラクはレミゥを連れた後で、先に出たタクラハたちに合流してもらう。そこでレミゥはタクラハとスゥファと一緒に、先を目指してくれ。サザとフィズラクは、そこから別行動だ。同じルートを、なるべくゆっくり通ってもらう。一本道だから、お前たちが軍人どもを足止めできれば、タクラハたちが追いつかれることはない」
「わかった」
 先に返事をしたのは、僕。フィズも少しだけ遅れて頷いた。
 それから、どこの道に行くかについてとか、いくつか細かい説明があったけれど、ずっと、フィズは目を伏せたままで。僕はどうすることもできなくて、ただ、それを見ているばかりだった。
 だけど、昼食の準備を終える頃には、いつの間にか、いつも通りのフィズに戻っていて。
 診療所の荷物の整理をするときには、寂しげな表情をしつつも、時々鼻歌が混じるくらいには、元気だった。
 診療所にあるもののうち、応急処置の道具と、常備薬を、ふたつのパックに分けていく。勿論、片方はじーちゃんたちに持っていってもらうもので、もう片方は僕たちが持っていくもの。小さい子どもは発熱や傷が多いので、じーちゃんに持っていってもらうほうには解熱剤や傷薬を多めに入れておく。僕たちのほうは、痛み止めを多めに。フィズが不注意でケガをしたときのためだ。一応、最低限のケガはじーちゃんもフィズも、レミゥちゃんも魔法で治せるのだけれど、レミゥちゃんとフィズは魔法が効き難いので、普通の治療道具も必要だ。
 使用頻度はともかくとして、高価だったり希少価値の高い薬や、原材料は袋に詰めた。場合によっては換金するためだ。
 そして、旅の途中で使いそうにもなく、お金にもならなさそうな薬を処分していく。だいたいは、特定の病気にしか使わない内服薬だ。捨てるのは勿体無いけれども、時間を経た薬はどうせ変質してしまう。これらの薬の有効期限のうちに帰ってこれるとは思えなかった。
「……こんなに広かったんだね、此処」
 フィズが呟く。薬と診療記録を処分した診療所は、がらんと広かった。
 僕らが此処に来るずっと前から、いつだってこの診療所は人と薬と治療器具でいっぱいで、こんなにも静かなこの空間を見たのは、初めてだった。
「うん。一杯、色んなもの置いてあったしね」
 それらをひとつひとつ、旅の荷物にいれたり、或いは捨てたりしながら、少しずつ広くなっていく部屋を見ていた。
 すべての荷物が片付いてしまえば、あとはこの場所が診療所であったことの名残は、部屋に染み付いた薬の匂いだけになるのだろう。部屋のものを処分しても、匂いまでは消せない。
 嗅ぎなれた匂い。子どもの頃から馴染んできたもの。多分、ずっと忘れない。たとえ此処に戻ってこなくても、薬の匂いを嗅いだら、きっと僕はこの場所の光景を思い出すのだろう。匂いの記憶は、時に言葉よりも強く、過去の思い出を呼び起こすから。
「ね、サザ」
 フィズが僕の名前を呼ぶ。振り返ると、フィズはぐるりと、この部屋を見回していた。
「私、この家の子で良かったと思うよ」
 向けてくれる笑顔は、寂しそうではあったけれども、確かに笑っていて。
「嘘でも悪口なんか言いたくないぐらい、ばーちゃんのことも好き。ばーちゃんがいて、サザがいて、スーがいて、時々じーちゃんも帰ってきて…レミゥちゃんも居て少し賑やかになって。……この家で育てて、良かった。みんなに会えて本当に良かった。だから、大好きだから、あの酷い言葉、言えるよ。本心じゃないってわかるから」
 その顔からは、先ほどまでの暗さだとか、迷いだとか、そういったものは、綺麗に消えていて。
 僕は心臓が止まりそうなほど、どきりとする。こんな状況だというのに。
 やっぱり、フィズは笑ってるほうが、ずっと、綺麗だと僕は思う。
「さっき、ばーちゃんが言ったんだよ。あのお芝居の間は、言いたいことと、全部逆の言葉を言わなきゃいけないゲームだと思えば良いってさ。……十九歳にもなって、決められた言葉を言うのにそんな風に言われるのは情けないけど、なんか嬉しかったよ。私が、本当にばーちゃんたちが好きなのが、ばーちゃんに伝わってるって思ったんだよ」
 フィズが笑う。楽しそうに、嬉しそうに。
「前、あんたが言ってたよね。他の誰かではないんだから、他の人の気持ちなんて、わからないって。だけど、だからこそ、少しでも伝わったと思ったときに、こんなに嬉しいのかもしれないよ」
 その言葉は、すとんと胸に落ちた。すんなりと、はっきりと。
 だから、人は伝えようとするのだろうか。言葉で、態度で。
「……そうだね」
 僕はそう返す。多分、顔は笑っていた。少しだけ。
 同時に思う。やっぱり、僕はフィズが好きだ。家族として、姉として、友達として、ひとりの女性として、人間として。ありうるすべての関係において、フィズが、好きだ。どうしようもないぐらいに。
 それを今ここで実感させられたのは、その笑顔が、あまりにも、優しかったからかもしれない。その言葉が、あまりにもすんなり、僕の心に落ちてきたからかもしれない。この言葉、この笑顔。それ以上に、この空気。すべてが愛しくて、すべてが僕にとって不可欠なもので。僕はこの人のそばにいたいと、心から願った。そのためなら、なんでもする。
「それがわかったから、大丈夫だよ、私は。心配掛けてごめん」
「え?」
「たった、それだけのことなのにね。あの台本見て頭に血が上っちゃったよ。少し冷静になれたのは、あんたのおかげ」