閉じられた世界の片隅から(2)
「しかし子どものニ年は長いなぁ。フィズラクは別嬪に育ってきたし、サザも随分男前になって、スゥファもお母さんに似て可愛くなってきたねえ。カラクラはもうここ十年ぐらい変わってない気がするけど」
「誉めてるのかけなしてるのかしらないが五十年近く変わってない奴に言われたかないね」
「ははは、そりゃそうだ」
長く空けて帰ってくるたびに繰り返されるやりとり。じーちゃんもまた、スーの実母を知っているらしい。僕にとっては今更産みの親なんてどうでもいいし会いたいとも思わないし今どうしているのかについての関心もないけれど、やはりばーちゃんたちから実の親の人となりを聞かされているスーにとっては特別な感慨を持つものなのだろう。「お母さんに似て」という言葉に、少し目を輝かせた。
「そうだ! 変わったといえばじーちゃん、サザが魔法工学の勉強始めたんだよ」
「へえ」
急にフィズから話を振られ、僕ははっと顔を上げた。
「ああ、うん。まぁ……初歩の初歩だけど」
フィズやじーちゃんといった、国軍にだってそうはいないぐらいの魔法使いたちを前にして、魔法関係のことを勉強しているとはとても言えない程度の初歩の初歩だけれども。
「そうかそうか。あれだけ魔法がわかんないって泣いて教本開かないで投げちゃって教えようとしたらいなくなってたサザがねえ」
「……それ、何年前の話?」
「まぁ八年ぐらい前だろうな」
「……………もう忘れてよ」
育ての親のひとりだからなのかもしれないが、フィズとじーちゃんは時々物凄くそっくりな受け答えをすることがある。フィズはそういう話を僕とふたりだけのときにからかうのに持ち出すか、せいぜいがいてもイスクさんなのだけれど、いまだ僕と妹の力関係を把握していないのか、それともまったく考えていないだけなのか、じーちゃんはスーがいても平気でそういう話をしてくれる。ちらりと視線をずらす。ああ、予想通りスーがからかうネタが出来たとばかりに目を光らせていた。
出所の怪しい武勇伝が多いところも、それを笑って完全には否定しないところも似ている。それでも、問題解決の方法はかなり違っている。フィズが力任せに問題に突っ込み、結果オーライになることが多いのに対し、じーちゃんは非常に慎重で抜け目なく、周到に作戦を練り上げてから一気に解決するという方法を好む。だからこそ恐れられ方も違う。フィズが半ば怪獣か猛獣の類のように語られがちなのに対し、じーちゃんはその抜け目のなさと実力を以って、時に魔人よりも手強いと評されている。
「でもなんでまた。俺はてっきりサザは医者一本に絞ったのかと思ってたよ」
「基本的に医者でやっていくつもりではあるよ。元々道具いじりは好きだし、それに医者やっていくにしても最近は魔法工学系の医療器具も増えてきてるって話聞いて。どうせまだ買えないし多分使えないことはないけど、やっぱり機構を理解したほうが面白いし、これからは魔法工学の時代が来るんじゃないかと思ってさ」
嘘ではない。けれど、真実でもない。あと道具いじりが好きなのは多分じーちゃんの影響だ。
じーちゃんは暫し僕の顔をじっと見る。スープでもついているかと思って口の端を拭った。別に何もついてはいない。その様子を見てじーちゃんはにやりと不穏当な笑みを浮かべた。
「へえ。俺はてっきり、魔人か精霊の彼女でもできて、その娘のために魔法を勉強しようとしてるのかとでも思ったよ」
「…………じーちゃん、相変わらず発想が若すぎるよ」
というか、どうやってそんなのと出会えと。まぁフィズやイスクさんのような、人間とのハイブリッドと推定される人ならそこらへんにたくさんいるし珍しくもなんともないけれど。それでも、純血の魔人や精霊、それも精霊では人間と会話できるほどの知性を持つ相手と出くわす機会なんて魔法使いであってもそうそうあるものではないという。
「男が何か苦手なことに取り組む時は、女の子絡みと相場は決まってるからなあ」
発想が若いのかそれとも老けているのか或いは年の功か。じーちゃんの指摘は完全に的外れというわけでもないのが恐ろしい。或いはこの人の実力を持ってすれば、僕の内心を読み解くことも可能なのかもしれない。そんな魔法があるのかどうかは知らないけれど。
「この子に彼女ができる余裕なんかあるかい。もう少しフィズラクがしっかりしてくれたら、あるかもしれないけどさ」
「ばーちゃんそれどういう意味?」
じとっとした目でフィズがばーちゃんを睨む。なんとなく返事はわかっている。
「この子はフィズラクのお守りで他の娘に現を抜かしている余裕なんかないからねぇ」
「またそういうこと言う……」
怒鳴りつけたいのだろうけれど、そんなことをすれば速攻で痛烈なカウンターを食らう相手であることはわかりきっている。フィズは少し不満そうに呟いた。
「でもフィズラクに彼氏ができないのもサザがいっつもフィズラクにべったりなせいじゃないの?」
スーが隣にいる僕にだけ聞こえる声で言う。否定できない。スーからの精神攻撃は何時ものことなので、なんとか受け流そうとは思う。
「なんか言った、スー?」
「ううん、なんでもないわ」
フィズに訊ねられて、別人のように愛らしい笑顔で返すスー。相変わらず、うちでスーになめきられてるのは僕だけのようだ。小さい頃のことを考えると、仕方ないのかもしれないけれども、それにしても恐ろしい二面性だと思う。イスクさんの僕とフィズへの態度の違いといい、僕の周りには全体的に振り幅の極端な人が多いような気がする。それとも、みんなこんなものなのだろうか。なんだかため息が漏れてしまう。
「ははは。女の子というのは往々にして手強いものだよ、サザ」
「……じーちゃん」
本当にこの人は僕の考えていることを全部読み取っているのではないかと思うことがしばしばある。ただ単に僕の表情とスーの態度から推定しただけなのだろうけれども。これぐらいの芸当が出来なくては何十年も放浪の旅などできないということなのだろうか。
「ごちそうさまでした」
真っ先に食べ終わったのはスーだった。食事を摂って元気になったのか、それとも僕がじーちゃんにいじられ通しなのを見たのが楽しかったのか、できれば前者であってほしいのだけれど、ともかく先刻の食器棚の件の時とは打って変わっていつも通りの明るい様子に戻っていた。続いて僕、フィズ、ばーちゃん。長旅で空腹だったのかお代わりをしたじーちゃんが一番最後だった。
「いやあ久々にまともなものを食べたよ。急だったのに悪いね、カラクラ」
「まったくだよ。多めに作っておいたから良かったけど」
不思議なことに、じーちゃんが急に帰ってきて、食事が足りなかったことは未だかつてない。別に連絡を取り合っているわけでもないのに。日常的に多めに作っているわけでもない。長年の勘のようなものなのかもしれない。じーちゃんは若い頃から旅を続けているせいもあるし、高齢であることもあって、うちの家族以外で身内と呼べる存在はもういないそうだ。
「まあ今回は長く居るつもりだから、いつまでも世話になって居ちゃ悪いし、近くに家でも借りるよ。とりあえず今日は何時もの部屋を借りても良いか?」
「あ」
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい