閉じられた世界の片隅から(2)
お店の少し奥まった部分にある棚に、スープ皿がぎっしりと並んでいた。デザインがあるわけではない。材質と、それから大きさの違いぐらい。城下町の貴族やある程度裕福な人たちは、普段使いの食器ひとつに数日分の食費と同じぐらいのお金をかけるというけれど、それは想像もつかない世界だ。機会があったら、イスクさんにジェンシオノ氏の使っている食器がどんなものかを尋ねてみたい。
「これで良いよね?スーの分もこれにしていいと思うし」
僕は棚に積み上げられた皿のひとつを指差し、フィズを見た。今まではスーだけは少し小さなものを使っていたのだけれど、スーももう大きくなってきたし、いい機会だろう。フィズも頷いた。
「じゃあこれを七枚ね」
そう言って、するりとフィズの手が解けた。思わず手が追いかかって、なんとか留める。
「ん? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
僕はポケットに入れておいた手袋を取り出し、背の低い商品棚の上に置いた。フィズは僕に取り出したスープ皿を渡すと、それを右手に付け直す。そのまま、隣の棚にあったコップから適当に三つほど選んで、手に抱える。
冷たい焼き物の皿に、手に残るフィズの体温が吸い取られていくような気がして名残惜しかったけれど。できるだけそれを顔に出さないように、僕らは会計へと歩いた。
帰宅すると、珍しい客人がいた。スープ皿を多めに買っておいて良かった、とばーちゃんが言う。
「やーフィズラク、サザ、お邪魔してるよ。久しぶりだねえ」
ニコニコと軽い笑顔で手を振っていたのは、一見二十代後半ぐらいの、黒髪の男の人だった。長旅の途中なのか、衣服はボロボロで薄汚れているが、入浴させて衣服を取り替えればそれなりに女性にもてるだろうと思わせる、ほどよい固さとゆるさの入り混じった雰囲気。酒が入っているようで、やや顔は赤い。できれば酒を飲んで夕食を取るより前に、風呂に入ってもらいたいんだけどなぁ、とふと思った。
そしてこの一見若い人物に対して、僕らはとてもとてもその見た目からは想像もつかないような呼び名を使う。
「「じーちゃん!」」
じーちゃん、どころか僕らの父親にしてもまだまだ若い。外見だけなら、ジェンシオノ氏よりも若いぐらいなのだから、僕らの兄であっても良いぐらいだ。けれど。
「久しぶりじーちゃん!何年振り?」
訊ねると、彼は手をひらひら振りながら答える。
「ニ年振りかな。人間七十過ぎると故郷が恋しくなるもんでねえ。前は十年帰らないことぐらいざらだったのに、歳を取ると里心がついて困るよ」
そう。この人の実年齢はばーちゃんとほぼ変わらない。しかも恐ろしいことに、魔人とか精霊の類ではなく、れっきとした人間である。世の人々が羨むような、究極の若作りだ。
じーちゃん、とは呼ぶものの、この人は別にばーちゃんの夫であるとかそういうわけではない。このふたりは幼馴染で、生まれたときからこの街を離れたことのないばーちゃんに対し、じーちゃんは若い頃から各地を放浪していて、旅を始めた頃からあまり歳を取らなくなったらしい。フィズが拾われた前後と、僕が四歳ぐらいの頃にも街に戻ってきて、それぞれ一年ほど滞在していた為、僕らにとってはばーちゃんに次ぐ保護者となり、なんとなくじーちゃんと呼ぶようになっていった。その後もそれほど長期ではないにしろ、数年に一回ぐらいは戻ってきていた。
じーちゃんは名前をタクラハ・ノアウォーンという。とてもそうは見えないが現時点ではフィズをも凌ぐ魔法使いだ。行商人でもないのに放浪の旅などという人生を送ることが出来ているのも、その技量で行く先々で何でも屋のようなことをして路銀を稼いでいるかららしい。
それゆえ真偽不明の武勇伝は数多く、小さな頃はこの街に戻ってくるたびに、面白い話をせがんだものだ。じーちゃん自体なんでもかんでも面白おかしくしてしまうタイプだし、その場に居合わせていないのでどれだけ話が大きくなっているのかはわからないけれど、おそらくその七割程度は真実なのだろうと思う。じーちゃんの力量の何よりの証明が、何処からどう見ても二十代にしか見えないあの不気味なほどの若々しさだ。人間の魔力の量のピークは二十代半ばぐらいであるらしく、それを維持するために魔法で細胞の若さをキープし続けているらしい。例によって原理はよくわからないけれど。魔力の量を保つために魔法を使い続けてもおつりが来るくらい、年齢による魔力の低下は大きいそうだ。生命力は普通に消費しているので、そのうち寿命が来たならば、この外見年齢の若さで老衰で逝くことになるのだとじーちゃんは語っていた。そしてこの魔法がもしも一般化していれば、世の中に老いを嘆く人などいなくなるに違いない。つまり、それだけ高度な魔法だということだ。
小さい頃のフィズに魔法を教えたのはじーちゃんだ。その領域において飲み込みの悪かった僕には、代わりにいろいろな道具の扱い方を教えてくれた。旅慣れているじーちゃんは、普段の包丁の使い方から、魚の捌き方、釣りの仕方、金槌の使い方など、旅で必要な様々な知識を持っていた。数年に一度ふらりと帰ってきては珍しいものをお土産に持ってきてくれたり、面白い話を聞かせてくれるじーちゃんの来訪を、僕らはいつも楽しみに待っていた。
「今度はどれぐらいいるの?」
フィズが嬉しそうに聞くと、じーちゃんも笑って答えた。
「今度は長くいるつもりだよ。やっぱり長旅が老身には堪えるしねえ。もしかしたら、いよいよ終の棲家を探すときが来たかも知れんとも思ってるよ」
「やだなぁじーちゃん、ポックリ逝くにはまだ早いでしょ。長生きしなきゃ」
フィズはぽんっとじーちゃんの肩を叩いた。体力的には二十代後半のはずなので、その勢いで前のめりになることもなく、楽しげに笑っている。傍目には兄妹か、或いは少々年齢の離れた恋人同士にしか見えないだろう。この街でじーちゃんの話題が上るときにはほぼ確実に「ああ、あの若作りの」という形容がなされる。しかしそこにある人間関係は、紛れもなく祖父と孫娘のそれだ。
「いやぁ、嬉しいねえ。そんなことを言ってもらえたらじいちゃん冥利に尽きるよ」
そう言って笑うじーちゃんの姿は、たとえどんなに外見が若々しくとも、祖父以外の何者でもない。
「診療所もふたりが継いでくれたんだろ。カラクラ、こんな孝行な子達に育って良かったじゃないか」
言うと、先程買ってきたばかりのスープ皿にたっぷりと盛って、ばーちゃんが台所から歩いてきた。ばーちゃんが手にしたお盆に載っているのはニ人分で、冷めては勿体無いので僕も台所に走る。
「まだまだだね。フィズラクは相変わらず後先考えないし、サザはフィズラクを甘やかし放題だし」
「あー、またそういうこと言う……」
「あたしはー?」
スーが割って入る。話に加わるタイミングを見計らっていたのだろう。
「スゥファは可愛いに決まってるだろ?」
途端に表情が表情を崩すばーちゃん。スーにだけは特別甘いのを知っているので、じーちゃんも半ば呆れたような笑顔で見ているのだろうなと、なんとなく背後の雰囲気で考える。全員分に均等に盛り付け、お盆に三つ皿と匙を載せ、居間へ戻った。各人の前にスープと匙を配って、僕も席に着く。
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい