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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(2)

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 飲み込んでも口に残る甘みだ。今、フィズと僕は同じ甘みが口の中にあるんだろうかと考えてしまって、また顔に血が上ってしまいそうだった。
 赤い顔を見られたくなくて、顔を逸らした。その瞬間、フィズのあっという短い声で、向き直る。顔は夕日が当たって色まではわからないだろうと信じて。
「あー……」
 フィズの視線の先、そこにいたのはよく見知った人だった。
 ふわふわのボブヘアーに尖った耳、フィズと同じ柘榴石の両目。イスクさんだ。その横に立つのは、この街の持つ雑多な熱気のようなものとはいかにも不似合いな、両家の子弟なのだろうということが一目でわかる、長身の男性。間違いない、ジェンシオノ氏だった。
 勿論、このふたりを偶然別々に目撃したわけはない。
「……………」
 イスクさんは、可愛らしいデザインの、薄緑色のコートに、良く水を撥く、上等の皮のブーツを履いていた。どちらも、このあたりの店ではあまり見ない上質のもの。ジェンシオノ氏が買ったものなのだろうか。ジェンシオノ氏は、泥水が撥ねることを考えていないのか、白いジャケットで、当然こちらも城下町でわざわざ仕立ててもらったような品物だろう。その上途方もない額を研究所に引き入れる原因となったジェンシオノ氏の貴族的な風貌。ふたりは嫌でも人目を引くし、ちらりとあたりの様子を伺っただけでも、あのふたりの金品だったりなんだりを狙いたいという雰囲気のひしひしと漂うあまり穏やかでない人たちの姿が数人目に入る。ただ、この街に数年でも暮らしたことのある人間であれば、イスクさん相手にそのような手段に出ることはないだろう。なにせ街に広がる彼女のついての噂は、「あのフィズラク・シャズルが逆らえない子」に始まり、現在では更に「研究所で日夜怪しい実験を繰り返している」などというものまでが付随してしまっているのだから。
 フィズは声をかけることも、後を追いかけることもなく、ただふたりの後姿を見ていた。目線を追う。多分、フィズが見ていたのは、ふたりの繋ぎあった手、絡ませた指。
「……………」
 フィズの表情を見る。そこには多分、いつか酔っ払って泣き出してしまったときのようなものはない。多分、羨望と寂寥感。僕はあまり人の表情が読めるほうではないので、思い込みかもしれないけれど。
 僕は残りのケーキをとりあえず口に放り込んで、喉に詰まらせないように気をつけながら飲み込んだ。すべてを塗りつぶすぐらいの強烈な甘ったるさが口の中に残る。ケーキを持っていた手が空く。包み紙を畳んで、ポケットに仕舞った。
 泣いてしまうことはないだろう。多分。それでなくとも、誇り高いフィズが他人の前で泣くことなんてほとんどない。けれど、他人が見ていないところではどうなのだろう。わからない。フィズは僕の前では辛さや悲しみを隠してしまう。それは、単に弱みを見せたくないだけでもあるだろうし、僕が頼りないせいもあったと思う。そしてそれを見抜けなかった僕の考えの浅さも。
 特に深い考えがあったわけではない。フィズの右腕を軽く掴んで、手袋を引き抜いた。「何?」と聞かれるより先に、柘榴石と猫睛石の目が、驚きに見開かれる。
「ちょっ……、サザ?」
 咄嗟に繋いでしまった手。その指は華奢で細くて長い。器用そうに見えるこの手が、実は物凄く不器用であることを、僕は知っている。目があまり良くないせいかもしれない。
 ずっと手袋をしていたせいか、フィズの手は温かかった。外した手袋は僕の上着のポケットの中へ。なんでもかんでもポケットに入れてしまうのは、フィズの影響かもしれない。フィズの手が離れようと小さく動くけれど、離さなかった。
 わかっている。先程の比じゃないくらい、僕の顔は赤いはずだ。
 ああ、なんでこんなことしてしまったんだろう。理由を明確に説明できるのには時間がかかる気がした。直感では、わかっているのだろうけれど。
「手、繋いでるの……羨ましそうに、してたから」
 フィズの顔が見れない。僕の顔を見られたくないから。声も途切れ途切れで、フィズじゃなくたって、僕が自分で自分に動揺しているのは直ぐにわかるだろう。
「はぁ?」
 呆れたような、フィズの声。
「いやそれは、なんか手段と目的が思いっきり違うというか……なんか逆に悲しいというか……」
 わかっているよ。それぐらい。
 わかってるけれど、それでも。
「……あんたらしくもない」
 握り返してくれた手が優しくて、僕はフィズの方へ向き直った。フィズの顔も少しだけ、照れたように赤いと思ったけれど、ただ単に夕陽が反射しただけかもしれない。
「ありがと、サザ」
 何に対するお礼なのだろうか。先程の言い訳をそのままの意味で取ってくれたのか、あるいは、元気を出させようと思ってのことだと考えたのか。それとも、別の理由か。
 お礼を言われるようなことはしていない。ただ、その手に触れてみたかっただけ。あのふたりが羨ましかったのは、フィズじゃなくて僕だったのかもしれない。
 あの時フィズが羨んでいたとしたら、誰かと「手を繋ぐ」という行為そのものじゃなく、その「誰か」が誰であるかなんだろう、とは思う。それはもうジェンシオノ氏という個人ではないのかもしれない。明確な個人ではなく、「恋人」という存在に対する羨望かもしれない。
 知っていて、気付かない振りをしている振りをしている。どこまでフィズに見抜かれているかはわからない。それでも、目的の店につくまで、フィズは僕の手を振り解かないでいてくれた。
 平静を装おうとすれば装おうとするほど、心臓が無駄に早く打っているような気がする。繋いだ手からそれが伝わっていないか、なんということに意識が向く。考えないように、考えないように。
 周りの人にどう見えているかだとか、今自分が何処にいるのかだとか、そんなことがどんどん意識の端に追いやられていく。やっぱり僕は、少し壊れかけているみたいだ。
 フィズも普段だったらばーちゃんから何本釘を刺されて穴だらけになろうともやめられない露店覗きをしないで真っ直ぐ歩いている。手を繋いだまま目を合わさず寄り道もせずすたすたと歩く二人連れは、さぞや異様な光景なのだろう。その上片方はフィズで、その手を取るのは「弟」であるはずの僕。明日以降噂になるか、あまりに異様過ぎて話題に上らないか。どちらもわりと嫌だができれば後者であってほしいような気もする。ひょっとして僕は結構大変なことを仕出かしてしまったのではないかと思ったときにはもう遅い。フィズがいつぞや使っていた例の魔法を僕も習得したほうがいいだろうかなどと考えてしまう。それでも、不思議と後悔の念だけは沸いてこなかった。手を離そうという気持ちにもならなかった。
「サザ、どこまで行くつもり?」
「え? あ」
 声を掛けられて、はっと顔を上げれば、目的の店の前を一メートルほど通り過ぎたところだった。完全に周りの景色が僕に入ってきていなかったようだ。
「ほら、食器買うんでしょ」
 フィズは僕の手を握ったまま、すたすたとお店の中へ入っていた。手が離れないように、僕もそれに続く。少し早足で歩いて、なんとか隣へ。