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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(2)

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「……なかなか言うようになったじゃない、あはははは」
 そしてフィズは、堪えきれないという風に笑い出した。そのうち笑いは爆笑に変わり、手をばんばんと叩きつけ始めた。勿論、叩かれているのは僕だ。
「痛い痛い痛いっ」
「あははは、ごめんごめん」
 フィズに叩かれた肩の痛みなんて、直ぐに消える。だけど、先程のフィズの表情を思い出すと、傷口がぴり、と痛むような気がして、その痛みはなかなか消えてくれないし、当分忘れられそうにもなかった。
 昨日フィズの言った、未来のことはわからない、というのには、僕がこの間のように、誰かに傷つけられたり、あるいはうまく制御できないフィズの力によってケガをしたりすることも含まれているはずだ。
 強くなるって、思ったはずだったんだけどな。全然足りない。どこまで強くなれば、フィズを不安にさせないで済むんだろう。世界中の誰よりも強くなれれば誰にも負けないかもしれないけれど、少なくとも(魔法も含めた)腕っ節という意味では、純血な人間である以上フィズより強くなることすら難しい。
 だけど、少しでも。少しでもフィズが悲しむ可能性を小さくするために、僕は強くなろう。
 きっとできる。今目の前にある、フィズの笑った顔を守るためなら。
 できるって信じたい。変われるはず。
 少なくとも、フィズが帽子で自分を隠すことなく、僕の前で笑ってくれるぐらいには、僕も変われたはずだから。
 
 
 
 早歩きで丸二日かかった道を、三日かけて帰った。途中でフィズを見かけた屋台に立ち寄り、お礼も兼ねて昼食をそこで摂った。
 店主は僕とフィズを見るなり、
「取り越し苦労だったんだろ? こんなに姉孝行な弟なんてそうそういないんだから、もうあんまり心配掛けるんじゃないぞ」と言い、フィズは「あんた一体どういう説明をしたのよ」と睨んできた。僕は苦笑いするしかなかった。嘘はついてなかったと思うのだけれど。
 のんびりしているわけではないけれど、慌てない。僕もフィズもさすがにここ数日は無理をし過ぎだ。診療所を任せてしまったばーちゃんたちには申し訳ないけれど、身体に負担をかけ過ぎない程度に来た道を戻っていった。
 一本道のはずなのに、目に映る景色がすべて新鮮なものであることに、僕は驚いた。見たことのない植物や鳥、良く見れば初めて見る様式の建物、僕らの住む街とは違う機構で使われているらしい上下水道や、街では滅多に目にすることのない馬車。そんな面白いものがたくさん通り道に溢れかえっていることに、僕は往路ではまったく気付かなかった。
 街道はひたすら急ぐことばかり考えていたし、街の中でも、フィズの姿と、フィズの好きそうな店を探すことしか頭になかった。状況と目的と心の持ちようが変われば、同じ場所を歩いていても、見えるものはこんなにも変わる。
 フィズも、ばーちゃんたちが心配してるから早く帰らなきゃと言いつつも、いろんな目新しいものを見つけては目をきらきらと輝かせていた。その様子を見ているだけでも、僕はとても幸せな気分になる。
 ずっと、こんな風に歩いていけたらいいな。
 そんなことを考えながら辿る長い家路。フィズの隣を歩いていられることが、嬉しくてならなかった。
 街道を歩いて城下町までたどり着き、さすがに軍の膝元である城下町には入らずに、少し離れた道を北上する。此処まで来れば街はもうすぐだ。
 けれど。
 街の中へ下る谷の上から見た景色は、いつもと、なにかが違った。思わず歩みが止まる。
「なんか変じゃない?」
「うん」
 フィズは警戒心も顕に、街を俯瞰した。危険を察知した猫が背中の毛を逆立てるように、フィズの雰囲気が変わる。
 なんだろう、何かが、変だ。
 この位置からは、浅い谷の底に広がる街の全体を見渡すことができる。今の時間帯なら、誰もがそれぞれ自分の生業に精を出し、忙しなく働いている頃だろう。たった一人の行動は整然としていても、それが何十人、何百人分となると、それぞれが複雑に交錯し、雑然とした様相を呈するはずだった。
 それが、奇妙なほどに整然と、人が移動しているのが見えた。広場に集まり、列をなして、南へ向かっている。後ろの列の中には小さな子どもやお年寄りも混じっているのか、のろのろと進んでいた。中には台車を引いている人もいる。
「なんか、避難してるみたいに見えない……?」
 そう言って、フィズの方を見ると、フィズも小さく頷いた。
「やっぱりそう思う?」
「うん」
 台車を引いて、家族全員で移動。まっとうに考えれば引っ越し、悪く考えてもせいぜいが夜逃げだ。けれども、それが複数となると話は変わる。しかも今は真昼間と来ている。
 しかし街のどこを見ても、特に火の手が上がっている様子もないし、地震や大雨があったとすればいくらなんでもわかる。
「なんだろうね……」
 僕は、できる限り不安の色を顔に出さないようにしながら、一歩ずつ街へと歩みを進めた。
「ん、害虫が突如巨大化して人を食べるようになって、みんなして逃げてるとか?」
 そんなような、冗談のようなことばかり返してくるのは、フィズも不安を打ち消そうとしているからなのかもしれなかった。言葉は軽くても、声音は重い。
 足取りは自然と速くなる。一歩一歩、街へと。
 緩やかな斜面を下り、街へと足を踏み入れたそのとき、先ほど上から見えた、長い列の先頭を走っていた五十代ぐらいの人が、僕らの存在に気付いて駆け寄ってきた。
「お嬢さん、サザ坊! 帰ってきたんだな!? 良かった!」
「何かあったんですね?」
 その男の人は、僕の問いには答えずに早口で叫んだ。
「早く家に戻れ! カラクラさんたちが待ってる。大変なことになった!」
「ばーちゃんたちに何かあったんですか!?」
 フィズが血相を変えて叫んだ。フィズの頭の中では今、最悪の事態が駆け巡っているのかもしれない。いなくなった自分を探して、また連中が来たのかもしれない。フィズの話を聞く限り、少なくともあの時、フィズはシフト少将に重傷は負わせたものの、命を奪うことはしなかったようだ。復讐しに来ていないとは言いきれない。
 迂闊だった。フィズも僕も。僕はフィズがいなくなったことで頭がいっぱいで、フィズはフィズで、自分さえいなくなればそのために周りの人間を巻き込むことはないと単純に考えてしまったのかもしれない。普段ならそのくらいまでは頭が回るはずだけれど、あの時はフィズも自分も、まともな精神状態ではなかった。
「大丈夫、シャズルさんちは全員無事だ。街の住人で被害を受けた奴はまだいない。だが」
 聞きたくない言葉が、待っていた。
 近い将来、いつかは訪れる未来だと、そんな予感はしていた。だけど、現実感が涌かなかった。
「国軍が、ヴァルナムとの戦争状態を宣言した」
「!」