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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(2)

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 この先は分かれ道。今日此処で見つけられなければ、もう二度と会えないかもしれない。焦ってしまって、店の人に頼む口調も少し荒くなってしまい、直ぐに後悔した。
 家々の窓から漏れる暖色の灯りを、羨ましいなんて思ったのは、初めてだ。
 何処に居る。歩いて、見渡して、自然と歩調が速まっていく。いない。
 会いたい。このまま二度と会えないなんて、絶対に嫌だ。
 会いたいよ、フィズ。こんなにも、何にも代えられないぐらい。
 名前を叫びだしたかった。叫んで、フィズが振り返ってくれるなら。
 それがフィズに届くなら。
 だから、あの長い髪が目に映った瞬間、僕はまわりの人たちの視線も、なにもかも忘れて、その名前を呼んでいた。
「フィズ!」
 僕の五十メートルぐらい先。石造りの街の中、雑踏に紛れていても、わかる。
 街の中心に立つ時を告げる鐘を見上げていた、大きな帽子の女の人。
 そこだけが、輝いて見えたと思った。どれだけたくさんの人ごみの中でも、直ぐに見つけられる。
 僕は走り出した。途中で何人かにぶつかったけれど、すみませんとだけ謝って走り出す。多分睨みつけられたと思うのだけれど、止まらない。止まれない。
 雑踏を掻き分けて、一歩踏み出して、ぎゅっと、フィズの手を掴んだ。驚いたように振り返る。目深に被った帽子に隠れて、あの宝石の瞳は見えない。騒がしい街の賑わいに紛れて声は聞こえなかったけど、その唇は確かに「サザ」と動いた。
「フィズ」
 ぐっと握った手を、フィズが振り解こうと手をぶんぶんと振った。手のところにばちんと静電気を強くしたみたいな衝撃が走る。ひるんだ隙にフィズは真っ直ぐに逃げ出した。先程の静電気のような痛みは魔法によるものだったようだった。
 振り払われた手は、それでも痛くはない。僕は迷わずにフィズの後を追った。
 レミゥちゃんを追いかけたときのことを思い出す。雑踏の中、入り組んだ道を駆け抜けて、駆け抜けて。やっと、追いついた時には、町外れの、時折小さな民家がぽつぽつと点在するだけの区画まで来ていた。
 先程までの喧騒が嘘のように静かで、夜に啼く鳥の声しか聞こえない。それと、木々を揺らす風の音と。
「フィズ」
 手を振り解かれないように、後ろから捕まえて抱きしめた。
「離してよ」
 手をばたばたさせてもがく。もう離さない。ぎゅっと腕に力を込める。これ以上力を込めると、華奢な身体が折れてしまうんじゃないかと思うほどに。
「嫌だよ」
「離してって!」
「嫌だ!」
「どうして」
 フィズの腕から抵抗が消えた。同時に、全身から力が抜けたように地面にずるずるとへたり込んでしまう。その背を抱えて、ゆっくりとしゃがみこませて、僕はフィズの正面に回った。
「どうして、こんなところにサザがいるのさ……」
 呟く声は、くぐもっていて。顔が見えなくても、泣いているのがわかった。
 手を伸ばして、目元の涙を拭う。振り払われることは、なかった。
「迎えに来たんだよ」
「どうして」
「どうしてって……」
 フィズは顔を上げた。帽子に隠れて見えなかった目元が見えた。涙で潤んだ瞳が愛しくて、だけど、泣いているところをこれ以上見たくなくて、僕はまたフィズを抱きしめる。
「フィズと一緒にいたいから」
「あんた、私の手紙……」
「読んだよ」
「だったら」
 ぐっと腕を伸ばして、僕を押しのけようとする。
「ひとりにして。放っておいて。……サザに、サザがあのクソ男に撃たれたとき、私がどんな気持ちでいたか、あんたにあの姿を見られたときの私の思いが、わかるわけないんだ」
「わからないよ」
 腕を押さえ込むように、抱きしめる腕に力を込めた。
「わかるわけない。僕は、フィズじゃないから。でも、フィズにだってわからない。僕が、フィズがいなくなったときにどんな気持ちだったかなんて」
 こんなに、愛しくて、愛しくて、どうしようもないということも。
 わかるわけがない。決して。
 どんなに思いを言葉に乗せたって、行動で表現しようとしたって、そこに嘘を吐く余地が存在する以上、百パーセント確実に伝えることなんて、できるわけがない。
 だから、すれ違う。平行に並んでいると思っていた二つの直線が、僅かな傾きの違いで、やがて離れていくように。
 ほんのわずかなひび割れの積み重ねが、やがて大きな亀裂になってしまうように。
 だけど、人の生き方は、直線なんかじゃない。少しずつ、少しずつ、角度を修正して、またふたりで並んで歩けるはずだ。
 そのために言葉が存在するのだと、僕は信じたい。
「人の心を読める魔法が、あればいいのにな」
 それはどんなに高度でも構わない。どうせ、使うのは僕じゃない。
「そしたら、僕がフィズを嫌ったりするわけなんかないって、伝わるのに」
「それでも、未来のことはわからないよ」
「じゃあ、未来がわかる魔法があればいい」
 どんな方法でも良い。心の中をすべて覗かれてしまっても構わない。未来のことがすべてわかってしまっても構わない。
 心の中を全部見せることなんて出来ない。未来に何が起こるのかなんて、一秒後のことですらわからない。
 それでも、自分の思いだけは、ずっと変わらないと、信じている。
「昔も、今も、未来も、ずっと変わらずに……、僕はフィズが、好きだよ」
 口に出してみれば、その言葉のあまりの軽さに吃驚した。
 言葉に出した途端、急に思いまで軽くなったように思えて、実感した。言葉なんかじゃ足りない。だけど、言葉がないと、伝わらない。やっぱり、自分の思いをすべて相手に伝えることなんてできない。
 好きだよ、じゃ軽すぎる。愛している、もしっくりこない。この気持ちを適切に表現できる言葉は多分ない。
 だけど伝わらないことで生じる小さな罅を埋めるのも、また言葉なのかもしれない。
「だから、一緒にいてほしい。ずっとずっと、フィズを好きでいるから。早く大人になって、フィズに追いつくから。追いついて、フィズが抱えてるつらいことや、悲しいことを、僕に半分、預けてほしいんだよ。僕に心配をかけないようにとか、いろいろ考えて、フィズが一人で抱え込んじゃうことが、すごく、つらいから……」
 どんなに言葉を繋げても、足りない。フィズの存在すべてが、僕にとって愛しくてたまらなくて、絶対に不可欠で、――ああ、言葉にすればするほど、実像から遠のいていく気がするのは、どうしてなんだろう。
 抱え込んでいるから、フィズの表情は見えない。
 今、どんな顔をしているんだろう。
 今、どんな思いでいるんだろう。
「あんた……何言ってんの……」
 呟く声は、微かに震えていた。
「好きって……どういうこと」
「どういうことって言われても説明できない。言葉じゃ、全然足りない」
「そういう意味じゃなくて!」
 震えているのは、言葉だけじゃなかった。
「私は、あんたのお姉ちゃんで、あんたは、私の弟で……ずっとずっと、姉弟で……」
「わかってる」
 言うべきじゃなかったかもしれない。
 でも、伝えずにいられなかった。
 伝えないで、戻ってきて欲しいとだけ言っても、本心じゃない気がして。
 もう、誤魔化せない、偽れない。
「ごめんね」
 僕は言った。