閉じられた世界の片隅から(2)
「そのお客さん、長い黒髪の女の人じゃないですかっ? いつ頃通りましたか?」
「ん?」
主人は、笑みを半分消して、ちらりと僕の顔を見た。
「お客さん、人探しの旅なのかい?」
「はい」
笑顔を半分残したまま、残り半分で僕は品定めされていたような気がした。
考えてみれば、物語とかで読んだ偏見そのままかもしれないが、旅に出る人の中には訳ありの人も多いかもしれない。なんらかの事情で故郷を後にした人を追う人に、行方を教えていいかどうかは迷うところなのかもしれない。
この言い方ならば、その先程やってきた客が僕の言った特徴を持つ人物なのかを答える必要がない。場合によっては白をきることもできるし、正直に話すことも出来る。
「……どんな相手を探しているんだ?」
「二十歳くらいの、長い黒髪の女の人を探しています。多分大きな帽子を被っていて、身長は僕より五センチぐらい低くて、わりと華奢な骨格をした人なんですけど」
フィズの最大の外見的特徴である、両目で色の違う宝石の瞳のことと、尖った耳についてはあえて触れなかった。ああいった人間以外の特徴を持つ人はあの街ではさほど珍しくもないが、他の地域では差別の対象になることも多いらしいと聞く。その上、姿を眩ましてしまった理由が理由だ。顔を隠して歩いている可能性も十分に考えられた。
「どうだったかなぁ……」
なんとか、なんとかこの店主に情報を話してもらうことはできないだろうか。
お金を積んだら話してくれるかもしれないけれども、それでは不穏な追っ手である可能性を払拭することは到底できないので、もしこの主人が、悪意を持っていそうな相手には情報を与えないといった信念を持っていた場合には本当のことを教えてはもらえないだろう。かといって、そう簡単に信用してもらえる方法は思いつかない。フィズが僕から逃げていて、僕がそれを追っているというのは事実であるのだから。
僕は屋台をちらっと見た。屋台のメニューに並んでいたもののいくつかは、この間食堂でフィズが嬉々として食べていたものだった。
「彼女が来ていたとしたら、多分この鳥のスープは注文したと思います」
店主の表情が少し動いた。僕は畳み掛けるように、続けた。
「それから、このパンを頼んだとすれば何かそれにつける甘いものを頼んだんじゃないでしょうか。あとは鹿肉と香草の蒸し焼き。わりと小食だからそれだけでも十分かもしれませんが、空腹だったとしたらこの真ん中の緑色のケーキも食べたかもしれない」
店主の目が驚いたように丸くなった。多分、当たっていたのだろう。
食べ物の好みを当てられるのは、何度も食卓を共にしている何よりの証拠だ。
「あの子の彼氏かなにかなのかい」
「弟です、一応」
僕は苦笑いした。フィズは黒い髪で、僕は灰色の髪。彼氏ですかと言われてはいとも答えられないが、ここまで似ていなければ逆に訳あり感が漂ってしまいそうな気もして、一瞬だけ返事に迷った。下手に言い訳を考えて矛盾点があるよりも、ある程度ぼかしつつ正直に話したほうが信用されそうだ。
「先日僕たちの妹が誘拐事件に巻き込まれまして、幸い妹は無事に戻ったのですが、犯人が姉の知り合いだったために責任を感じて家を飛び出してしまったんです。それで、探しに」
それほど間違いでも嘘でもないと思う。本質は違うが表向きはこれで大丈夫だろう。
「姉さんのせいじゃないし、もしそうだったとしても、誰も怒ったり恨んだりしないのに」
これは、本心だった。店主の顔から疑うような色が消えた。
「そういうときって、逆に誰も責めてくれないほうがつらかったりするものなのかもしれんよ」
「え?」
「責めてくれたら、その人の本心がわかる。優しくしてもらうと、本当は相手がどう思っているのかわからない。本当は怒っていたりするのに表向き優しくしてくれてるんじゃないか……とか、余計なことを勘繰っちまうかもしれない。お姉さんに会えたら、取り繕ったり優しくして宥めて、とか考えないで、言いたいことを全部ばーって言っちまったほうが、お姉さんのためかもしれんな」
そして店主は僕の肩をぽんと叩いて、豪快に笑ってくれた。
「お姉さんが通ったのは一時間半ぐらい前だから、飯を食ってから追いかけても、多分次の街で追いつくよ」
「ありがとうございます!」
「ほらほら、飯は食ってから行きな。途中で倒れたりしたら元も子もないし、どうせ隣町より向こうは当分なにもないから、この時間なら間違いなくそこで泊まってるよ」
皿を台に置いて急いで立ち上がると、店主は笑いながら僕を宥めた。
頼んだ食事のうち持ち運びのできないスープや焼き魚を食べて、パンは鞄に仕舞う。お礼を言って走って追いかけようとすると、「お姉さんと食べるといい」と、もうひとつパンを頂いた。僕は改めてお礼を言って、街道を東に向かって走り出した。休んだからばかりでなく、足は軽かった。
二時間も走ると、次の街の明かりが見えた。既に日は完全に暮れて、時間としてはそこまで遅くはないものの、街は夜の空気にすっかり包まれている。
しかし、それは静寂を意味するのではなく、酒場や食堂から賑やかな笑い声や話し声、時たま怒声も響いてくる。道を歩いているだけで強烈な食べ物の匂いとかすかなアルコールの香りが鼻をついた。この先で街道が二つに分岐するためか、中央、東、南東からの旅人が集まるらしく、街は今までに見た宿場町の中で一番大きかった。
昔から栄えているのか、大きな石造りの建物も見えるが、急造の安普請の飲食店なども多く立ち並び、屋台には建築に従事していると思しき屈強な男の人たちの姿が数多く見える。人の出入りが多いところだからか、活気というか、熱気に近いものがあった。空はもう真っ暗で僅かな星明りしかないのに、その星明りが眩しくてかすむほどに街はまだまだ明るい。
フィズが、この街にいる。僕より一時間半先に先程の町を出たのなら、この街についてからそんなに時間は経っていないはずだ。看板を見ると次の街には東のルートで六時間、南東のルートで七時間かかるとあるので、つく頃にはかなり夜も遅くなる。今日はこの街に泊まろうと考えているだろう。先程の街で少し遅めの昼食を摂っていたとすると、ここでは急いで夕飯を食べずに、まずは宿の確保をしているかもしれない。僕は食堂や居酒屋の立ち並ぶ地区で、フィズが現れるのを待つことにした。
一時間待っても、探しても、フィズは見つからなかった。入れ違ったかと思いもう少し捜索範囲を広げる。しかしこの街はかなり広く、外周をぐるっと一周するだけでもニ時間近くかかる。無闇にうろうろする範囲を拡大したところで、ニアミスになる可能性が高まるだけのような気もした。
フィズの好きそうな露店やお菓子屋を見つけては、何か小物を買って、長い黒髪で二十歳ぐらいの骨格が華奢な女性が来たら引き止めておいて欲しいと頼んで回ったが、そのあと同じ道を通ってもフィズはいなかった。鞄は重くなる一方で、伸ばした手は空を切るような感覚。
もう宿に入ってしまっただろうか。それとも、まさかもう先へ行ってしまったのだろうか。
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい