閉じられた世界の片隅から(2)
どうしてこの施設内で魔法が使えたのかはわからない。けれど、多分スーはこの施設が何なのかを知らないので、説明する必要はないだろう。スーはにまぁっと質の悪い笑みを浮かべた。
「何、あんたフィズラクに怒られたの? 大人のクセにカッコ悪ーう」
「そうだね、カッコ悪いよ」
「はぁ?」
僕があまりにもあっさりとそう返すから、一瞬呆気に取られたようにきょとんとした顔になった。いつもだったら聞かないはずのスーの毒が、逆に今は薬になる気がした。
そう。このままだなんて。結局フィズの足を引っ張って、一番大切な人をあんなにも簡単に奪われて。
格好悪い。わかってるよ。だから、このままで居たくない。
「だから、ちょっとフィズと仲直りしてくるから、頼むよ、スー。スーだって兄ちゃんが格好悪いよりか、格好良いほうが良くない?」
「誰がお兄ちゃんよ! あんたなんかフィズラクの金魚の糞のくせにっ」
まったく、そんな言葉をどこで覚えてくるんだろう。こんな状況なのに、さっきから、どういうわけか、顔が笑ってしまう。
多分、スーを心配させたくないからなんだろうな。一応、兄ちゃんのつもりで僕はいるんだし。フィズが僕に心配をかけまいと必死で虚勢を張るその理由が、やっとわかった気がした。
フィズのときと同じだ。僕はいつもと違う状態になってみないと、僕自身がまわりの人たちをどう思っているのかを理解できない。馬鹿にされてもないがしろにされても毒を吐かれても、なんだかんだで、僕はスーを、大事な妹として可愛く思っている。
それがわかったら、そして、自分自身で言われていることの正しさをわかっているから、僕はあの言葉を受け流す必要はなかった。
「スーも、レミゥちゃんの姉ちゃんになったら、わかるよ」
言い返されも無視もされないことで調子が狂ったのか、僕の顔を見ないようにしながら、スーは回路を渡してくれた。
「ありがとう」
回路のボタンを押す。一瞬その回路が光って、それから煙を出して回路が焼き切れた。同時に、鉱石に思い切り罅が入って、ニ、三秒の後に大きな音を立てて割れた。その破片を、僕はしゃがんで拾うことができた。
いくつか持ってきていた回路の中に入っていた、この間の授業のときにイスクさんがくれたもの。起きてしまった魔法の結果を逆に辿って解除する。同じ姿勢で硬直していたせいか、膝が少し痛い気がしたけれど、後は元通りだった。
「じゃあ、スーはあっちの方向に、全力で走って。多分悪い人はもういないよ。起きたばっかりでちょっと疲れるかもしれないけど、外でばーちゃんとじーちゃんとレミゥちゃんが待ってる」
「……フィズラクは?」
笑顔を保てただろうか、あまり、自信がなかった。
「ひとりで逆の方向に行っちゃった。仲直りして連れ戻してくるから、先に戻って待ってて」
「……サザ、なんか変だよ? 大丈夫?」
僕は、多分、笑えているはずだ。笑えていないなら、笑わなければ。
「何言ってんだよ。スーが僕の心配するなんて。眠り薬のせいでスーが変になってるんじゃないか?」
いつもだったら、間違いなくかんかんに怒りそうな言葉を、わざと選んで返したはずなのに。
スーは突っかかっては来なかった。そんなに僕の芝居は下手だったかな。こんな小さな妹に、状況を直ぐに飲み込まれてしまうぐらいに。まだまだ、立派な兄ちゃんへの道は遠いな。そんな気がした。
「だから、先に戻って休んでなよ。ばーちゃんたちが、心配してる」
ああ、フィズはこんな気持ちで、笑っていたんだろうか。もっと苦しいか。
わかってるはずなんだけどな、そうやって無理に笑ってもらっても、ちっとも嬉しくないことぐらい。
フィズを連れ戻せる保証なんてない。用済みになった僕があの男と対面して、無事では済まないかもしれない。またもう一度フィズに同じ手を食わされたら、さすがに立ち直れないかもしれない。
でもその可能性を伝えて、心配させたくなかった。
「ほら、早く」
スーは動かなかった。そんな神妙な顔をされると、本当に自分が生きて帰れなさそうな気がして、逆に笑いそうになる。
それでも、僕は行く。
「早く、あんまり待たせるとばーちゃんが心配のあまり血圧上がって倒れるだろ?」
暫く逡巡していたようだったけれど、やがてスーは小さく頷いた。
「わかった。……待ってるからね」
「うん」
「フィズラクのことよ」
「はいはい」
まったく、可愛くなくて、可愛いな。
僕はスーに背を向けて、走り出した。同時に、後ろからも振り返らないで走る、小さな足音が聞こえた。
僕はこれでいい。だけど、フィズにはそうあって欲しくないと願うのは、ただの我侭だろうか。
それとも、スーは僕の大事な妹で、僕は兄としてそれを大切にしたいと思っているけれど、フィズには守られてばかりの弟としてではなく、支えるためにその隣で立っていたいと望んでいるからだろうか。
ほとんどわかりきっている答えを抱えたまま、僕は唯一無二の大切な人を取り返すために、もう一度、全力で走り始めた。
どれだけ走っただろうか。もう息なんかとうに切れていて、それでも足はまだ止まらない。呼吸が苦しい。肺が破けたみたいだ。それでも、走り続けた。フィズのその背が見えるまで。
「フィズ!」
名前を呼んだ、つもりだった。さっき散々叫んで痛めた喉は、まともな声なんか出してくれやしなかった。それでも多分、耳には届いたはずだ。歩みが、ぴたりと止まったから。
振り返ってはくれなかった。だからもう一度、呼びかける。
今度こそ、確実に届いたと思う。横にいたあの男の足が止まって、こちらを振り返ったから。
銃を構えられる。その場で立ち止まって、僕も銃を構えた。
今呼びかけるのは、この男に対してじゃない。こいつにいくらフィズを返して欲しいと言ったところで、フィズは取り戻せない。フィズに帰ってくる意思がないのだったら。
だから。
「フィズ、聞いて」
掠れた喉から声を絞り出す。絶対に聞き間違えられたりすることのないように。
「僕たちの誰一人、フィズが犠牲になって助かって、喜んだりなんかしないよ」
「…………………」
「ばーちゃんが、スーと僕の命と、フィズを天秤にかけて、簡単に人数が多いからってスーと僕を取ると本気で思ってる?」
「…………………」
「自分の命の重さもわからない? フィズが連れて行かれて、それで全部丸く収まると本気で思ってるんだったら、フィズは相当の馬鹿だ」
「…………………」
「大馬鹿だよ」
「………………だって」
やっと、フィズの声が返ってきた。
「いつも私のせいで、みんなが大変な目に遭う……」
そのフィズの声は、小さかった。
「ああ、そうだな」
シフト少将が割り込んできた。あなたの声なんか聞きたくない。
「八年前も、出世目当てでこの娘を狙った軍の若い連中の暴走で、お前は殺されたんだからな」
「…………………」
「確かにお前のせいだな。だが、その後」
「言わないで!」「黙れ!」
僕とフィズの声が重なった。
「もしそうだとしても、僕はフィズに迷惑かけられたなんて少しも思ってない! それよりも、フィズにもらった良かったことのほうが、ずっとずっと多いんだ」
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい