閉じられた世界の片隅から(2)
取引場所も、フィズ、場合によってはじーちゃん、そしてレミゥちゃんを警戒してのことだろう。魔法さえ封じてしまえば、僕らの戦力は大幅に削がれる。取引を受けたように見せかけてフィズを差し出し、施設から移送される段階で魔法で脱出する、というのも考えた。フィズはこの策を主張していたのだが、交渉が上手く行くかの懸念もあるし、移送中に結界が解かれる保証もない。まさかこの程度の策が予期されていないとは思えなかった。
かといって、スーを見捨てることも勿論できるわけがない。それでも、フィズとレミゥちゃんを差し出すわけにはいかない。
鉛を含んだような重い、重い沈黙が流れる。
「いずれにしろ三日後の、基地跡。そこでしか、スゥファを取り戻すチャンスはない」
状況を確認するように、ばーちゃんはそう呟く。
「だとすれば、そのときにできる限り確実に、あの子を奪い返す策を用意しておかなければならない」
じーちゃんの声は、冷静だった。最初に僕らを呼びにきたときこそ感情を顕にしていたものの、今は淡々と、現状だけを述べている。
「必要なものは、情報と作戦と戦力。このうち、恐らく現状からほとんど向上を望めないのが戦力だ」
まるで軍人みたいだ。一瞬僕はそう思った。でもじーちゃんが真剣になるのは国などというよくわからない括りのためでもなく、名誉の為でもなく、拉致されたスーと、狙われているフィズとレミゥちゃんのため。だから、あんな連中とは違う。大丈夫だ。
「どう考えても、連中を出し抜けるレベルの武器が二日やそこらで集められるわけがない」
ため息はなかった。今、じーちゃんは何処までも冷静に、現状を整理していた。
「だとすると、可能性があるとすれば十分な作戦を立てること。こちら側の不利を補えるぐらいの。現状、こちらの不利は、スゥファが人質にとられていること。スゥファの行方がわからないこと。交渉場所で魔法を封じられる可能性が高いこと。相手の戦力がわからないこと。交渉場所で直接戦闘になった場合勝てる可能性が低いこと。交渉場所が具体的にどんな場所かわからないこと」
「……有利な点は?」
考えても考えても絶望的な条件しか出てこない気がして、僕はそう尋ねた。
「屋外での戦闘であれば、確実に有利だよ。下手な武器を持った兵士を10人用意するぐらいなら、腕の良い魔法使いが一人いればいい。そして、凄腕の魔法使いならこちらはふたり確保できているんだから、余程のことがない限り負けない」
「……外側から施設を壊して屋外に引きずり出す、っていうのは?」
フィズが聞く。ただ、良いアイディアであるとは本人ですら思っていないのは表情から明らかだった。
「せめて内部構造と、スゥファの居所さえわかれば、それも悪くはないかもしれないけど、時間が掛かりすぎるねえ。ばれないように準備をして、一瞬ですべてを終わらせてしまえるならともかく、曲がりなりにも軍の基地がそう簡単に壊せるとは思えないし、途中で感付かれた場合、交渉の余地なしとして逃げる可能性がある。そうなると、スゥファの身が危ない」
「そっか……」
「だけど、その作戦に限らず、あの施設の内部構造がわかれば、作戦の立案のしようはある」
じーちゃんはそう言って、しかしまた肩を落とす。
「でもさすがに、解体が近いとはいえ軍の基地の設計図を盗み出すことなんて、できるわけない、か」
そんな最重要機密は一体どんな場所に仕舞ってあってどんな立場の人間であれば目にすることができるのだろうか。並みの軍人ですら、手に取ることはかなわないに違いない。戦争が近い国家なら尚更だ。
「それさえわかれば、突入ルートや、壊すべき場所も見当がつくのにねえ」
じーちゃんはそういって、深くため息をついた。
そのとき、ふと。ひとつの考えが頭に浮かんだ。
「その構造って、建物自体のつくりがわかるだけでもいいの? どの部屋に何があるかとかまではわからなくても、少しは役に立つ?」
じーちゃんが僕を見た。じーちゃんの表情は読みづらいので、どう思っているのかはわからない。
「それは、勿論あるだけで大分違う」
「多分、イスクさんなら、わかるよ」
ばーちゃんとじーちゃん、そしてフィズの顔に驚きが広がった。
「まさかイスクに盗ませるつもり? それはいくらなんでも」
「いや。危ない目に遭う必要なんかない。イスクさんなら、設計図なんか見なくても、あの建物の構造がわかるかもしれないんだよ」
そう、あの建物が、魔法封じの結界の研究施設であるならば。
「魔法封じの建造物は、建物の構造それ自体が結界の回路らしいんだ。それだけの効果を発揮する回路なんてそう何種類もないかもしれない。もしそうならだいたいの壁の位置とか階段の位置ぐらいなら、わかるかもしれない。もしかしたら、弱点とかも」
上手く行けば、イスクさんは何処にあるなんという名前の基地かすら知らなくとも、その建物を俯瞰することができる。設計図を盗む危険を冒さなくとも、目の前で設計図を描くことができるかもしれない。
そうすれば、僕らはこの街から出ることなく、重要な情報をひとつ手に入れることができる。
「……イスクちゃんに危険は及ばないかい? あの子は国立研究所にいる、国側の人間だ。フィズラクと仲が良いことも多分知られている。あの子が俺たちを裏切るとはまさか思わないけど、あの子と俺たちが接触して、そのせいであの子に何か不都合がないようにしなければいけないよ。監視されてる可能性だってなくはない」
「それは、わかってる」
八方塞に見えたスーの救出作戦を考えるよりだったら、まだ簡単な気がした。誰にも気取られずに、イスクさんと接触して情報をもらう。それで、この窮地をなんとか凌げるかもしれない。
「変装して、しかも直接会わないで、おじさんたちに取り次いでもらう、っていうのはどうだろう」
その場合、適役は多分僕だ。フィズではどう化けたところであの瞳が特徴的すぎるし、だいたい狙われているフィズやレミゥちゃんを家から出すのは賢くない選択だ。庭先で遊んでいたスーを強奪するような連中が、まだそのあたりに潜んでいないとも限らない。ばーちゃんが行動するのも目立ちすぎる。それであればじーちゃんか僕が一番見た目は地味なのだけれど、まだ若い分数年見ないと顔が変わる僕よりは、かれこれ五十年近く同じ見た目を保ち続けているじーちゃんのほうが、軍人にしっかり顔を覚えられている可能性も高い。あと、なにしろ顔立ちも髪型も地味な僕のほうが、印象が服装に引っ張られやすいはずだ。普段着ないような、それでいて然程目立つわけでもないような服装をしていれば、見つからないで行動できるような気がした。
「僕が変装してイスクさんの薬屋さんに行く。それでこの状況を説明した手紙を渡す。手紙がチェックされてまずければ、直ぐには内容がわからないように記録鉱石に録音してもいいかもしれない。イスクさんが家にいれば、その場で返事をもらってきてもらうし、いなければ後で出直す」
悪くない考えに思えた。ただ、問題がひとつ。
「でも家の周りで張られていたら、そこから家人以外が出てきたら逆に怪しくない?」
「それなんだよね」
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい