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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(2)

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 ぴくり、とばーちゃんの眉間が動く。僕も、表情を動かさないように必死だった。交渉の場で、簡単に感情を見せてはいけないということを、こういった場に同席する機会を初めて与えられたときに、僕はばーちゃんからきつく言われた。勿論、そのことはファルエラさんとの交渉の時には何の役にも立たなかったのだけれど。自分が思っているより気が動転しやすいということはあのときわかったから、意図して表情を作る。
「そのための活動許可を頂きたい」
「断る」
 ばーちゃんはすぐに突っぱねた。しかし、それで相手の表情が変わるでもない。
「では、シャズルさんのほうで捕獲してこちらまで引き渡していただければ、こちらが街に入る必要はない。それでいかがか」
「それであたしらに、この街に何の得があるって言うんだい」
「戦争が始まったそのときに、この街を保護区域に加えます」
「そんなもんは結構だ」
「では」
 埒が明かないと踏んだのか、男はちらりと視線を動かした。
「どうしても、というのならば代わりにフィズラクさんが来て頂いても構わないのだが」
 さすがに、上手く表情を取り繕えた自信はなかった。
 実験動物の代わりに?
 はらわたが煮えくり返る、というのはこういうことだったのか、と思うほど。
「軍が求めているのは、魔族あるいは魔人と人間とのハイブリッド。別にレミゥ・ラングベルという個体にこだわるわけではない」
 そもそも、レミゥちゃんを実験動物扱いしたあたりで、僕はかなり頭に来ていた。この男は人をなんだと思っているのかと。感情の伺えない涼しい顔が尚更気に障る。こんな人間を僕は知らない。人の命を自在に操る魔人、ファルエラさんのほうが、こういう言い方も奇妙なものだが余程人間味が感じられた。それでも、ばーちゃんの言葉を思い出して、なんとか耐えていた。ここで感情的になってしまって、事態が好転することも見込めない。レミゥちゃんの為にも、なんとか押さえつけなくてはと。
 それでも、フィズの名前をこんな形で出されたとき、僕は僕の一番奥からふつふつと筆舌に尽くしがたい怒りが沸いてくるのを、おそらく生まれて初めて感じた。
 言葉を出してしまわないように、口の端を噛む。口内炎に歯が触れて、声を出しそうなほどに痛い。
「どうです、フィズラクさん」
 男は表情を変えずにフィズを見た。僕もちらりと、フィズに目線を移す。フィズがイエスというはずないと思って。
 だけど、そこには、僕が今までに見たことがないほど、おびえ切った表情があった。思わず声を掛けそうになって、留まる。一体どうしたというのだろう。
「勿論、ただ来てもらうだけではない。軍部内にある貴女に関する資料を、すべて貴女の望む通りに書き換えるという条件で、如何か」
「…………っ」
 フィズの詰まった声が耳に入る。自分の手で両肘を押さえつけているのは、震えを押し隠している証拠。
 こんなフィズ、見たことない。この男は、フィズの何を握っているんだ。何をそんなに、怖がっているんだ。どう見ても、尋常じゃなかった。
「わ、たしは……」
 声が震える。イエスというか、ノーと答えるか、それさえ予測できない。いつものフィズらしくない、揺らいだ声だった。だから。
「お断りします」
 フィズが何か言うより先に、僕は一歩前に出ていた。フィズが振り向く。
「どう考えても条件が釣り合いません。この街は国家より独立し私たちは軍部の命令を聞く義務はないことは協定で決まっているはずです。私たちは対等な取引相手として扱っていただける場合のみ交渉の席に着きますが、このような当方に負担ばかり強いてまったく利益のない取引を受ける謂れはありません。お帰りください」
 自分の口とは思えないほどに、すらすらと言葉が出た。どうやってこの文章を考えたのか、自分でも思い出せない。必死だった。頭の回転数は急上昇していて、自分で自分の思考の流れがわからないほどだ。
 男は僕の顔を感情のない目で見据えた。気圧されてはならない。僕は必死で自分を保つ。目を逸らしたら負ける気がして、憎悪が滲み出ないように、恐怖を表に出さないように、相手を睨みつける。ふと、男の顔が、動いた。
「お前は、あのときの子どもか」
 初めて、声に感情が混じった気がした。
「そうか、八年前のことだったな。もう大人にもなるか」
 何のことだ、とは聞かなかった。聞くべきではないような気がしていた。
「生きていたのか」
 ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。心当たりがひとつ、ないわけではなかったから。
 八年前の出来事。誰も敢えて僕に語ろうとはしなかった事故。僕の記憶に残らなかった大怪我。どうして、この男が知っている。
「そうか、生きていたのか、あの子どもは。だが、」
「シフト中佐」
 言葉を遮るように、フィズが前に進み出た。震えは、止まっていた。
「今は少将だ」
「失礼。……私は、行きません」
 フィズは、シフト少将というらしい男を見据えて、はっきりとそう言った。
「この街の防衛に軍部の力を借りる必要はまったくありません。保護区域に入っているからといって確実に守っていただける保証もない。ですから、この取引はお断りします。お帰りください」
 そこにいるのは、いつものフィズだった。シャズル一家の跡取りに相応しい、凛とした態度。フィズラクという個人ではなく、この町の代表として、シフト少将に相対していた。
「そうは言われても、こちらとしてもそう簡単には引くことはできない」
「強情ですね。こちらにその取引に対する需要はないのです。お帰りください」
 フィズのそんなような言葉を聞きながら。
 僕は意識が思い切り遠のくのを感じていた。ぐらりと体が傾く。
「サザ!?」
 それに気付いたフィズが、先程までとは打って変わった、いつも通りの声で僕の名前を呼ぶ。
 しまった。この慌しい状況の中で完全に忘れていた。フィズが今朝かけた目覚まし魔法の副作用。居間の時計から、八時を知らせる鐘の音が聞こえた。背中にフィズの手が添えられるのを意識の片隅で感じる。一瞬、フィズと目が合った。柘榴石と猫睛石の瞳から、フィズが何かを懸命に考えているらしいことが、なんとなくわかる。まだ、僕は眠ってはいけない。
 次の瞬間、フィズの唇の端が上向いた。シフト少将から見えない位置で、フィズは確かに笑った。フィズは大嘘を吐いた。
「また発作!? 寝込んでたくせに、こんな無茶するから…!」
 咄嗟に理解する。僕今すべきことは、大病を患っている人間になりすますこと。少し意図して呼吸を荒くする。目は、鉛のように重い瞼を必死でこじ開けようとすれば、病人のように見えるはずだ。……多分。
 フィズがでっち上げた設定の大枠を掴んだらしいばーちゃんとじーちゃんも、その三文芝居に乗ってきた。
「サザ、しっかりしろ! タクラハ、診療所からいつもの薬を持ってきておくれ、今すぐにだ!」
「わかった! サザ、待ってろよ」
 必死の形相を作って、じーちゃんはシフト少将率いる軍人たちには目もくれずにその横をすり抜け、離れへと駆け出した。
「サザ、しっかりして、サザっ!」