閉じられた世界の片隅から(2)
3. 予兆
昨日買ってきたスープ皿は、早くも余りがひとつきりとなった。
今食卓では、僕、フィズ、スー、ばーちゃん、に加えレミゥちゃんがばーちゃん特製の具沢山のスープをおいしそうにすすっている。スーは妹分ができたのが嬉しいのか、レミゥちゃんにひっきりなしに話しかけ、やれ水はいらないかおかわりはどうかと、嬉々として構っていた。その様子を微笑ましくは思うものの、そのふたり以外の間に会話はなかった。ばーちゃんは無言でレミゥちゃんを見ているし、フィズはうつむいたまま何かを思案している顔をしている。このふたりは何か、この後の状況の変動に関わることを知っているのではないかと僕は思う。スーほど無邪気にもなれず、かといってこの後何が起こるのかの予想も立たない。
どちらにも混ざれない僕は、周囲の様子を伺いながら、夕食をとり続けることしかできなかった。会話がないので食事が無駄に進む。空の皿の前に座っているのも居心地が悪いが、かといって席を立ってしまうのもなんとなくよろしくない気がする。気付けばスープは三杯目だった。
帰宅後、ばーちゃんにレミゥちゃんを預け、手短に事情を説明していると、直ぐにスーが嬉しそうな顔をして出てきて、あれこれとレミゥちゃんの世話を焼き始めた。僕はその様子に少し驚く。僕らはずっと、スーがフィズやばーちゃんに甘えている姿しか知らなかったから。ばーちゃんは、「あれでお姉ちゃん、に憧れてたんだよ」と、優しい声で呟いた。スーは直ぐにお菓子を用意し、お茶を淹れ、食べながら待っているように言うとお風呂の用意を始める。その間に、ばーちゃんはレミゥちゃんにいくつか質問をした。
名前は、レミゥ・ラングベル。年齢は六歳。出身は、僕らは地名を聞いてもわからなかったのだが、ばーちゃんによると、この街よりもずっと西にある農村のようだった。暖かく気候が良いが、土地と水にはあまり恵まれておらず、村人は農閑期になると男も女もなく出稼ぎの旅に出る土地で、旅慣れているのは農業を諦めた両親と共に大道芸をしながら旅をしてきたからだという。また、自分は貰われっ子で、両親が旅の途中に拾った子だと聞いているとも言った。
このあたりは、わりと話してもらいやすい内容だ。拾われ子であるという事情をあっさり話してくれたのは、長旅を続けるものに様々な事情を持つものが多いゆえか、それとも外見で僕らきょうだいの間の誰にも血の繋がりがないことを理解したからか、それとも幼くてあまりよくわかっていないのか。ともかく、負い目や差別意識を感じている様子はなかった。
ここから先が、聞きづらい内容となる。普通の拾い子であれば、もう少し安心できる環境を成立させてからのんびり聞いていくほうが良いかもしれないが、レミゥちゃんの場合、事情が事情だ。たかが六歳の大道芸人の子どもひとりを重装備をした軍人が追い回すなどただ事ではないし、先程フィズが追い払って全部解決したという様子ではなさそうだった。
そのあたりを聞こうとしたときに、スーが現れて、レミゥちゃんを風呂場に連れて行ってしまった。残されたのは僕ら三人。
「さて」
ばーちゃんが口を開く。先程レミゥちゃんに話しかけていたような、やわらかい口調ではない。
「お前たちが見てきたことを、話してもらうよ」
僕らは頷く。道で必死で逃げるレミゥちゃんを見つけたこと。僕がレミゥちゃんを保護し、フィズが追っ手たちとの交渉に当たったこと。
「追っ手は、国軍の軍人共よ」
フィズははっきりとそう言った。ばーちゃんはため息をつく。
「そうかい」
「でも人を追ってるにしては変な雰囲気だった。いくら相手が子どもとは言え、いや、子どもだからこそ、あんなに重装備で追いかける意味がわからない。でも今すぐ殺そうとしているわけではないと思う。それだったら、魔法で殺せないのはわかるにしてもそれこそあんな重装備の連中よりも、暗殺者ひとり放ったほうが効率がいいと思うし、あいつらはあの子の引渡しを要求してきた」
「多分、レミゥちゃんを恐れてるんだと思う」
フィズの言葉で、推測がなんとなく確信に変わっていく。無理やり傷口をふさいだせいか、若干引き攣れた膝が小さく痛んだ。
「どういう意味?」
僕はズボンを膝の上まで捲り上げた。凝固した血液がぺりぺりと剥がれ落ちて、床に赤い埃が残った。あとで掃除をしなくてはと思う。
「さっきあの子を追いかけて、転んだときの怪我……治したのはレミゥちゃんだよ」
フィズとばーちゃんは地面とズボンに残る血の跡、それから傷跡を見比べて、だいたいの傷の具合を掴んだのだろう。一瞬、言葉を失った。
「あの子が?」
僕は頷く。ついでに掌を広げてみせる。こちらにも傷跡が残っていた。
「これも、そう」
「…………」
間違いない。六歳の子どもの魔法の技量がどの程度のものかなんてわからないけれど、多少雑なところがあるとはいえ傷を塞ぐ速さは相当なものだったし、フィズのこの表情がなによりの証拠。あの子の能力は、とんでもないものなのだろう。
「なるほど。ある程度推理の材料は揃ってきたね」
フィズは呟いた。
「まず第一に、国軍にレミゥちゃんを今すぐ殺すつもりはない。これは、送り込んできた人員の種類から推定できる。次に、連中はあの子を恐れている」
そこで一瞬言葉に詰まって、そして首を振った。
「……それから、連中はあの子をなんとしてでも確保するつもりだと思う。でなきゃ、私たちと揉めるのを覚悟であんな目立つ格好で来るわけがない」
そこには僕もばーちゃんも同意する。ばーちゃんがかつて結んだ協定のため、軍人はこの街において一切の身分を保障されない。それはつまり、この街に侵入し、なにかをしでかして制裁を加えられても、そのことについて、軍や国家が文句を言う権利はないということだ。その代わり僕らがこの街を出ても同じ状態になるけれども。
明らかに軍人だとわかる格好で、小さな女の子を追い回す。僕らに見つかれば、武力を用いて追い出される、或いは何らかの罰を科されてもおかしくない状況。今回はフィズが名乗り出て交渉し、穏便に追い返したとのことだけれども、それだけのリスクを冒してもあの子を追って此処に来る理由が、レミゥちゃんにはあるのだ。簡単に諦めてくれるとは、思えなかった。
「……で。連中はあの子を捕まえて、どうするつもりだと思う?」
フィズはなんとなく予想がついているのだろう。僕は答える。
「研究材料?」
フィズは頷く。
「ハイブリッドで、強大な力を持っていて、しかもいなくなっても周りから怪しまれることもない旅芸人の娘。その上言うことを聞かせやすい小さな子ども。状況としては整いすぎなぐらいよ」
そして、私やイスクだとちょっと手が出し難いからね、と付け加えた。
「解せないのは、別に今までハイブリッドなんていないわけじゃなかったのに、なんで今更、こんなに危険を冒してまで、血眼になってあの子を確保しようとしているのか、ということだね」
ばーちゃんが呟いた。そして、表情が暗くなる。
「なんか動きがあるのかね」
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい