閉じられた世界の片隅から(2)
驚いたのは、その瞳の色。フィズの右目や、イスクさんと同じ、柘榴石の瞳。もしやと思って耳を見る。フィズほどはっきりとではないが、やや尖り気味の耳殻。別に僕にとっては見慣れたもので、珍しいものではないけれど。年端の行かない少女を国軍が全力で追いかけるという奇妙な状況では、何か関連があるのだろうかと考えても不思議はないだろう。魔人か精霊、あるいは魔族の血を引く人間は少し変わった体質や能力を持つことが多い。フィズもイスクさんも魔法に対する耐性があり、イスクさんに至っては本人のみならずその周囲で起きる魔法まですべて無効化してしまう。フィズの常人とは桁違いに強力な魔法も、それらの血による強大な魔力があってのことだ。もしかしたら、そのあたりを狙われているのかもしれない。そんなことを考えるうちに、果たして交渉役をフィズに任せて大丈夫だったのだろうかという不安がよぎった。
「ああ、うん、大丈夫だよ。心配してくれたの? ありがとう」
僕の視線に一瞬怯えた女の子を怖がらせないように、僕は出来る限りの優しい笑顔を作って笑ってみせた。
「名前を、聞いても良いかな?」
しゃがんだまま、目線を同じ高さに合わせて、僕は女の子に尋ねた。膝やら掌やらが痛いけれど、声には出さないように気を配る。
「僕は、サザ。サザ・シャズル。君は?」
女の子は僕が信用できるかどうか迷っているのだろう、数秒逡巡した後に、小さな声で、しかしはっきりと名乗った。
「レミゥ・ラングベル」
「レミゥちゃんだね。初めまして、レミゥちゃん」
僕はすっと手を出す。握手という習慣が女の子、レミゥちゃんの居た地域にあるかどうかはわからないが、少なくとも言葉は通じた。そう文化的にかけ離れた地域でもないだろう。少なくとも、この国か、せいぜい隣国の育ちのはずだ。言葉遣いには、やや耳慣れないアクセントが混じっていたが、それは方言というのだとじーちゃんに教わったことがある。
レミゥちゃんも手を差し出そうとして、ふと、僕の手を見た。一瞬顔をしかめた後、僕の掌、それから膝に手を翳した。
一瞬で、痛みが引いた。少し痕が残ってはいるが、傷口も塞がっている。僕はぽかんとした顔でレミゥちゃんを見た。レミゥちゃんは、にっこりと笑って、僕の手を取った。
「もういたくない?」
速さだけなら、フィズより上かもしれない。こんな小さな子が。僕はなるべく驚きを表に出さないように、「大丈夫だよ、ありがとう」と言うと、レミゥちゃんは笑ってくれた。僕は敵ではないと判断してもらえたのだろう。
「サザ!」
フィズの声がして振り返る。足音は聞こえないけれど、一応確認を取っておく。
「連中は?」
「ん、大丈夫。とりあえず今のところは一端引き返したよ」
予想通り、フィズは完全に無傷だった。重装備で動きのとろい連中が、フィズに指一本触れることなどできないだろう。
「あの子は?」
「こっちも大丈夫。……レミゥちゃん、このお姉ちゃんが助けてくれたんだよ」
そう言って手招きをすると、僕の影に隠れていたレミゥちゃんが、すっと姿を見せた。
「初めまして。私はフィズラク。あなたは?」
フィズは相変わらずの子ども受けする笑顔で、レミゥちゃんと目を合わせて手を伸ばした。フィズはレミゥちゃんの姿を見てもまったく動揺しなかった。自分と同じような姿であったからか、それとも、さっきの連中から彼女の素性を既に聞いていたのかもしれない。それか、僕と同じように、気取られないようにしているかだ。小さな子どもはそういったネガティブな感情に強く反応するから。
レミゥちゃんも僕からフィズの名前を聞いていたせいか、それともフィズの人徳によるものか、ほとんど警戒することなくその手を取って、少しだけ笑いながら「レミゥ」と名乗った。
「よろしくねレミゥちゃん。大変だったでしょう。うちに来れば暖かいお風呂とご飯があるよ。甘いお菓子もあるよ。少し休んでいかないかな?」
普通の子どもだったら誘拐を疑うような誘い文句だが、今のこの子に選択肢は他にないのだろう。痩せた手足はまともなものを食べていないことを伺わせるし、衣服はボロボロで何日洗っていないかわからないぐらいだ。それに、一応僕らは敵ではないと見なされたらしい。或いは、誘拐犯のほうが、先程の連中よりは遥かにましだと思っているのか。すぐにレミゥちゃんは頷き、僕らの隣を歩き始めた。
警戒さえ解いてくれれば、そこにいるのは普通の小さな子どもだった。けれど、僕は見た。こんな小さな子どもひとりを、必死で追う国軍の小隊を。そして、この子の強大な魔法の才を。
僕は念のため回りに注意を払いながら、三人で家路を急いだ。
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい