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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(2)

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 寒いのが嫌いなフィズらしい言葉に、僕は平静を取り戻す。動揺したのを見られていただろうか。さりげなく、フィズの顔を覗き込んだ。冬の尖ったような鋭い光ではない、柔らかな陽光が柘榴石と猫睛石の瞳に反射していた。宝石のような不思議な瞳の色につい目を奪われる。慌てて目を逸らした。
 逸らした、その視線の先。
「フィズ、あれ」
 僕は指を指す。フィズがそれを目で追う。ある一点で焦点が合う。
 僕らの見ていたもの。それは、必死で走る小さな少女の姿。それだけなら、別になんとも思わないかもしれない。鬼ごっこの最中かもしれないとか、お使いの帰り道とか。
 けれど、僕らが決定的に違和感を持った理由は、彼女の服装。女の子は旅装、それも暖かい地方からの旅人なのか、この季節にしては薄着だった。茶色い長い三つ編みは、このあたりの地域では子どもの髪型としては相当珍しい部類に入る。この街では小さな女の子はスーのように髪の毛を首元で切るか、リボンで結っていることが多い。
 別の地域からやってきたと思しき旅装をした小さな、おそらくはスーよりも年少の女の子が全力でこの街を走っている。その姿から穏当な想像を膨らませることができない程度には、僕たちはこの街のことを知っている。フィズと目が合った。言葉を交わす必要もなく頷きあう。
 僕は走り出す、フィズは、女の子の後ろ十数メートルのところで小さな砂煙を起こした。彼女に追っ手がいるとすれば、確実に目くらましになる。僕は耳を澄ます。いくつもの硬い足音が聞こえる。こんな靴を履いている職業はひとつしか知らなかった。
「フィズ」
 一歩遅れて僕の隣についたフィズに呼びかける。僕らの位置は、女の子より少し後ろ、砂煙よりも前。後ろから迫ってくる足音の速度が鈍ったのがわかった。
「サザはあの子を保護して。私が交渉する」
「了解」
 僕はスピードを上げる。必死で走る女の子に追いつくように。追ってきているのは大人で、しかも男ばかりだ。よく逃げられたものだと思う。足音を思い出して、僕は少しだけ合点がいった。重装備をしている者特有の重たい足音。小さな子どもは意外とすばしっこいので、彼らが入り難い場所を選んで逃げてきたのかもしれない。
 しかし、だとすると、あまりにも効率が悪い。事情はまったくわからないが、女の子ひとりを捕まえるのに、何故重装備が必要なのか。
 この街には様々な事情を抱えた人が多く集まる。それゆえ、こういった光景もそれほどまでには珍しいものではない。しかし、追っ手が鎧やら甲やらを着こんで、足音もやかましく走っているというのは、聞いたことがなかった。女の子がどこぞの世間知らずな貴族の子女で、追っ手は追っ手で平和ボケしきったその家の私兵、とかいうのならまだありえるかもしれないが、そんな雰囲気ではなかった。振り返って彼らの姿を確認したいところではあるけれど、まずは女の子の保護が先決だ。どんな姿であったかは、フィズに後から聞けばいいし、だいたい予想はついている。
 彼らのことは、フィズに任せておけば大丈夫だろう。これは投げっぱなしなのではなく、フィズの実力に対する信頼。僕は僕のすべきことをする。形としては多分以前同じ状況に置かれたとしても同じ行動を取っただろうけれど、そこでの心持ちは大分違っている気がした。前だったら、なんでもフィズに任せておけばなんとかなると思っていた。今は違う。
 思った以上に女の子はすばしっこかった。逃げることしか考えていない人間は、此処まで上手に逃げられるものなのかと感心するほどに、道の選び方も何もかも適切だった。追っ手が近いうちは人目がある道を、遠くなってから人気がなく、目撃され難いルートを確実に選んでいる。ただ、彼女を追う大人たちはともかく、僕は土地勘がある。少なくとも、この女の子よりは。ちょうど上手く大通りをうちの方角に向かって走ってくれている。どうせ保護したら一度はうちに連れて行くことになるはずなので、都合が良かった。どうして逃げているのかはわからないけれど、追っ手の性質と、この子がまだスーよりも小さい、まだ五、六歳の子どもであることを考えれば、ほぼ間違いなく、ばーちゃんはこの子をうちで匿う方向で動くはずだ。
「待って。僕は怖い人じゃない」
 女の子に呼びかける。聞こえているかはわからない。それどころか、この国の言葉が通じるかさえわからない。後ろのフィズや女の子を追う連中とは、大分距離が開いている。声を掛けても大丈夫だろうとは思う。
「僕はただのお医者さんだ。君を助けようと思っている」
 少しだけ、女の子の走りが、遅くなった、気がした。できるなら捕まえて保護というよりは、穏便に自分の意思で歩いてついてきて欲しい。ただでさえ恐ろしい思いをしていたのであろう小さな子どもを、これ以上怖がらせるような真似はしたくない。
「僕の名前はサザ。今後ろで君を追ってきた人たちを追い払ってくれてるのは、フィズラク。君を追ってきた怖い人たちから、僕たちは君を助けようとしているんだよ。信じてほしい」
 なるべく小さな子に通じるように、言葉を選ぶ。走っているため頭に酸素が回っていない気がするが、それは女の子も同じに違いない。
 彼女がどれだけ走り続けているのかはわからないが、さすがに疲れたのだろう。前を走る女の子との距離が縮んでくる。あともう少し、と思ったところで、僕は思い切り、こけた。目と言葉に意識を集中するあまり、足元がおろそかになっていたようだ。前につんのめり、かろうじて地面にキスをすることだけは避ける。それでも、掌を思い切り擦りむいて、血が出た。膝も打ってしまって、じんじんと骨か筋肉が痛む感覚と、膝の表皮をむいてしまった痛みとが同時に襲ってくる。ズボンにじわりと血が滲んだ。更に間抜けなことに、転んだ表紙に口内炎に思い切り歯が当たってしまい、僕は思わず叫びだしそうなほどの痛みを覚えた。しかし、痛すぎて逆に声が出ない。
 それでも、あの子を追わなくては。なんとか痛みを振り払おうとしつつ、顔を上げると、僕の目の前に先程の女の子が立っていた。
「だいじょうぶ?」
 僕は、女の子を正面から初めて見て、少し驚いた。年齢は最初の見立て通り、おそらく五歳か六歳に間違いない。それにしてはやけに大人のような昏い目をしているが、苦労のためだろうか。具体的にどういう事情があったのかは、後でゆっくり聞けばいいだろう。僕が驚いたのは、そこではない。こんなような目をした子どもは、この街には少なからずいるし、もしかしたらフィズに保護されたばかりの頃の僕もこんな感じだったのかもしれない。