閉じられた世界の片隅から(2)
何かと禍々しい背後関係はともかく、人的資源さえあればいくらでも鉱石が作れるようになり、魔法工学は飛躍的に発展した。現在、魔法工学は大きく二つの分野に分けられる。ひとつは、魔法の契約を代替するもの。もうひとつは、魔法そのものを代替するものだ。
前者は、魔力を持たない人や、契約の方法を知らない人のための技術。魔法鉱石から供給される魔力を利用して、自動的に精霊との契約を行い、なんらかの現象を起こす。契約の儀式を回路に刻んで、代替するものだそうだ。契約と召喚の儀式という違いはあるが、ファルエラさんとの一件のときに、彼女を召喚するのに使った回路がこれに相当する。
後者は、精霊の力に頼らず、精霊や魔人がエネルギーに干渉する仕組みを人為的に再現することを目的としている技術。まだまだ研究段階であり、あまり実用化はされていない。というのも、本質的な仕組みがまだ十分に解明されていないからだ。イスクさんの専門はこちらの分野であるらしい。工学とはいえある意味、本質的な魔法の原理を追究する学問といえる。これも原動力として魔法鉱石を使い、明らかになった法則に従ってエネルギーをかけていく。まだまだ大したことはできないとイスクさんは笑うが、なんとなく凄いことをしようとしていることだけは、わかった。この研究の行き着く先は、人間が精霊や魔人と同等の能力を持つことなのかもしれない。
「はぁ……なんか凄すぎて、あんまりピンと来ません……」
「いいのよ。まだまだ始まったばかりの分野だし、この分野が発展したらそのうち人が自由自在に新しい世界を創造できるようになるわ」
それはあながちたとえ話でもないのだろう。なにせこの間目の前にいて、手の届きそうな距離で邂逅を果たしたファルエラさんは、この世界の創造者たちのひとりだというのだから、世界の創造という言葉が、そんなに遠く聞こえない。
「そうだ。せっかくだから、サザ君にわたしのとっておきの大発見を教えてあげるわ」
そう言って、イスクさんは悪戯っぽく笑った。
「わたしの一番最初のお弟子さんだもの、特別よ」
取り出したのは、小さな回路。
「これで、フィズラクなんか恐るるに足らずよ」
「はい?」
元々イスクさんがフィズを恐れる必要など何処にもない。何しろ、フィズはとりあえずイスクさんと養母にだけは長年の経験から逆らえないのだから。
それはすぐに冗談だと、ちょっと悪い笑顔を浮かべたままのイスクさんの様子から察することが出来る。つまりは。
「魔法を使えなくするとか?」
「惜しい。魔法封じだけならもう結構前に実用化されてるわ。……一度発動した魔法を、逆から辿って解除するのよ。原理としては、発生した結果から、そこに至るまでのエネルギーの干渉を逆に辿って、初期値に戻すってところね」
思い当たった。そういえば、ファルエラさんの一件のときに。
「あの時、フィズのことを忘れたときに、なんとかできるかもしれないって言ってたのは」
イスクさんははっきり頷いた。
「これのことよ。結局、あの時は間に合わなかったけど、これでファルエラさんとの契約も、あの子のやらかした馬鹿な魔法も、なんとかできないかと思ったのよね。まだ時間がかかるし、ひとつにつき一回ぽっきりの使い捨てだから、とてもとても無数の魔法が飛び交うような場では使えやしない。…でもこれは、実用化すればすごいことになるわ。今いろんな国が血道を上げてガンガン税金投入して作ってる兵器の何割かが、無効化できるんだもの。いま使われてる対魔法技術は、魔法の契約と発動自体を封じてしまうものだけど、あれは各方向から結界を張らなきゃいけないから、建物の構造そのものを回路にしてしまうぐらいのことをしないと使えない。一度発動してしまった魔法は取り消せないしね。あの手の施設は設計図だけを見れば一瞬回路図かと思うほどよ。それに比べてこれは、何処でも使えるから、実際の戦場でも使われるんでしょうね。だから正直、この技術は当分未完成でいても構わないぐらいでいてほしいのだけれど」
それは、僕にだってわかる。イスクさんの所属する国立の研究所のお金は、何もジェンシオノ氏目当ての上流階級の女性たちばかりから流れてきているのではない。そして、国家の最大の関心事といえば、やはり戦争だ。
「国の研究所に来て実感するようになったけど……停戦協定って、あとどれだけ持つのかしらね」
イスクさんはいつものおっとりのんびりとした口調で言うけれども、冗談ではないことも直ぐにわかる。
国の領土内にはあれどその統治下には入らず、場合によっては対立関係になることもある、という特殊な状況下にあるこの街に住んでいると、国の動向はわかりにくい。ほとんど敵国のような扱いである相手に内部情報を簡単に漏らすはずもないからだ。だからこそ、イスクさんのように、この街の出身者でありながら国家機密に関わる立場の人間を、ばーちゃんは全員把握している。当然、国家にもそれなりにマークされているはずだが、情報が漏れる危険を冒してでも、イスクさんの才能は手放せるものではないのだろう。もしおおっぴらに監視するなどして不興を買い、うっかり彼女が他国に亡命するようなことがあればことだ。
停戦協定。この国は、二十年ほど前まで戦争を続けていた。相手は、人間ではない。魔族が中心となって立てた新興国家だった。自在に魔法を操る相手に国軍は苦戦を強いられたらしい。相手が相手だけに、先程イスクさんが見せてくれたような技術は悲願だったに違いない。
「まあ、せっかくだからこれひとつあげるわ。またフィズラクに記憶を消されるようなことがあれば使ってね」
「できれば使わないで済むといいんですけどね。……そういえば」
僕はふと、今までの話で聞いていなかったことをひとつ思い出した。
「魔族、ってなんなんですか?」
イスクさんの表情が更に曇る。楽しい話でないことは確かだ。特に、軍属に近い立場のイスクさんにとっては。
「どのあたりまで、わかるかしら」
記憶を辿る。例によって、大したことは知らない。魔法関係では尚更。僕が知っているのは、二十年前の戦争の話ぐらいだ。
「魔人でも精霊でも人間でもない種族で、物凄く高度な魔法を操り、二十年前にこの国と戦争をやらかした、ってことぐらいは」
イスクさんは、小さく頷いた。
「そうね。魔族は、魔人の変異種とも、魔人と人間や精霊が交雑して生まれたとも言われる、この世界の第四の住人と呼ばれる存在よ。見た目は人間や魔人とほとんど変わらないけれど、頭に二本の小さな角を持つのが特徴よ。魔人が元であると推測される理由は、その命の源泉が魔力であること。多分似たような存在は今までに何度も生まれてきたのだと思うけれど、種として独立したのは、三百年ぐらい前の話ね」
そこまでは、かろうじて知っていた。けれど、それ以上踏み込んだことを書いた本は、専門書でない限りなかなか出会えない。
「厳密にどういう進化や交雑を遂げてああなったのかはわからないけれど、魔族の特性は、魔人や精霊を遥かに上回る物質との親和力の高さ。要するに、より効率よく物質に流れるエネルギーに干渉できる、ということね」
どういうことかわかる? と目で聞いてくる。僕は頷く。
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい