閉じられた世界の片隅から(2)
僕は苦笑いした。間違っても居眠りなんかする気にもならないぐらい、目はすっきりと冷めている。その代わり、今日はやるべき用事をすべて八時までに済ませなくてはならなかった。その上明日の十時まではおそらく起きられないということもあって、明日の午前中やってくる可能性のある、僕が診ている患者さんの資料を纏めておかなくてはならない。午後は忙しくなりそうだった。
「さて、始めましょうか」
「はい」
僕は気持ちを引き締めた。幸いにも目はいつにないほど覚めている。今日ははかどりそうだった。
魔法工学の、というよりも魔法そのものの基礎の基礎。精霊と魔人の違い、契約の際の代償。あの一件のときに大幅に省略して説明してもらった内容を、改めてしっかりと学び直す。
人間が魔法を行使する際には、必ず精霊か魔人との契約が必要。人間に、彼らのような現象を起こす技術はないから。
その際に必要な代償は、精霊であれば魔力、魔人であれば生命力。また、代価は彼らが実際にそれらの現象を起こすのに必要なエネルギーに加え、お礼として少し上乗せした分を渡す。勿論、渡せる上乗せ分が多ければ多いほど、相手が契約に応じてくれる可能性は高くなる。このあたりは普通の商売と変わらないだろう。原価と、売る側の利益を足した額が商品の実際の価格だ。利益分をケチって限りなく原価に近い価格で買おうとする客よりも、より利益分を上乗せしてくれる客に売りたいと考えるのは当然だ。このため、持っている魔力の高い魔法使いほど、同じ魔法であっても契約が容易になる。そして、高度な現象であればあるほど、原価、即ち必要なエネルギー量が大きくなる。こうなってくると、それを行使できる精霊や魔人もかなり高位の、場合によっては人間よりも知能の高い相手となってくるため、要求される「お礼」の量も上がってくる。高級品ほど原価も高いが、原価と商品価格の差額も大きいのと同じで、なるほど、精霊や魔人との契約も、人間同士の売買契約とあまり変わらないのだなと思うと、すっと頭に入り込んでくる。
魔人と精霊の大きな違いはである代償として渡すエネルギーの違い。これはそのまま、この二種族の生命のありかたの違いに拠るものだ。魔人はエネルギーとして魔力だけを持ち、精霊は生命力だけを持つ。人間はその両方を持つが、生命維持に必要なのは生命力だけで、魔力は何百年か前に突然変異かあるいは魔人との交雑で得た可能性を指摘されている。魔力をまったく持たない人間も珍しくはないし、仮に枯渇しても命に別状はないし、多くの魔力を持つ人間は、消費しても休養を十分にとれば回復するらしい。ただし、生命力は即ち寿命であるので、使ったら使っただけ、二度と回復しない。魔人は魔力、精霊は生命力を、それぞれ完全に使い切るとその一生を終える。また、それらは人間における生命力同様、回復しない。さらに現象を起こすにはこれらのエネルギーを消費するため、あまりそういった力を行使しすぎると、直ぐに老衰で死んでしまうこととなる。そのため、魔法使いが契約の際にエネルギーを渡す。
人間は生命力さえ残っていれば大丈夫なので、契約相手として代償が魔力で済む精霊を選ぶことが多い。また、精霊のほうが数が多く、力もピンキリで、ちょっとしたことなら精霊でも十分であるという事情もある。その代わり、魔人はかなり下級のものでも、中級クラスの精霊以上の実力をもっていることはざらであり、また、契約相手を自力で見つけ出さなくてはならない精霊に対し、召喚という形で世界の何処に居ても呼び出すことができる魔人は、なにか大きなことをしたいときの切り札として契約相手に選ばれることが多いらしい。例えばそれこそ、死者の蘇生であるとか。また、魔人との契約には魔力は必要ない。強いて言えば召喚の儀式のときのみ僅かに必要だけれど、魔法鉱石ひとつ分の魔力で十分に足りる程度だ。
魔人は魔力を、精霊は生命力を持つはずなのに渡すエネルギーが逆なのは何故か。教本を読んでもしっくり来なかったのだが、そのこともイスクさんはわかりやすく説明してくれた。
「人間は血の材料になる食べ物だったら大体どれを食べても平気だけれど、直接血をもらうときは、いろいろ細かい条件があるでしょう? それと同じで、直接同じエネルギーの形でもらうと、アレルギー反応が起きてしまうことがあるのよ」
他の人間の血が入ると、場合によっては血が固まって死んでしまうのと同じように。だからこそ、一端違う形で受け取って、それを自分に合わせて変質させていくのだという。人間が有機物を摂取して血肉に変えていくように。
イスクさんの例えはわかりやすく、魔法、精霊、魔人と、なんだか遠いものにしか思えないものを身近に手繰り寄せてくれる。研究者として類稀な才能を持っているといわれるイスクさんだけれど、教育者も向いているのではないかと思った。
「ここまではいいかしら」
「はい、すごくわかりやすいです」
素直に感想を述べると、イスクさんは嬉しそうに笑った。時折、目元の感じがフィズと似ているような気がするのだけれど、笑い方は違う。
「それは嬉しいわ。なにか質問は」
大丈夫だと答えると、続いて魔法工学と魔法鉱石の説明に移る。
この世界の物質は、すべて強さの差はあれ、魔力を持つ。魔人と精霊は物質の中にある魔力の流れや量をコントロールすることで、様々な現象を起こすことが出来るのだそうだ。その法則は、人間にも徐々にわかりつつあるらしいが、それをコントロールすることはできない。それを代替しようとしているのが、魔法工学の分野らしい。
魔法工学に欠かせないものが、魔法鉱石だ。魔法鉱石は以前ファルエラさんの召喚儀式を成立させるのに使った石で、圧力をかけることによって魔力を放出する。記録鉱石もこれを応用したもののひとつだ。魔法鉱石は、天然のものは空気中やその他の物質の中に存在する魔力の破片が堆積し、周囲の鉱物を巻き込んで結晶化したものであるらしい。ひとつひとつの物質の中にある魔力はごく僅かなものであるため、それが人間の目に見える結晶になるのには長い長い時間がかかる。そのため、天然に産出する魔法鉱石は非常に稀少なもので、余程のこと、例えば、戦争における兵器の開発用などという用途以外では研究者の手にすらなかなか渡らない代物だそうだ。
状況が変わったのは二十五年ほど前の事。この国の軍属の研究者が、魔法鉱石の人工的な合成法を開発した。物質の魔力が蓄積するのを待つよりは、人間が魔力を注いだほうが遥かに効率よく結晶化が進む。これにより、魔法鉱石の数は急増し、魔法工学の発展の礎となった。現在でも少しずつ改良を加えながらも基本的には同じ方法を用いているらしく、合成工場の付近では、比較的魔力の多い人が、小遣い稼ぎに魔力を注ぐ仕事を短期でしているらしい。ただ、人の持つエネルギーを原料にするという方法ゆえ、他国との戦争での捕虜や囚人、あるいは奴隷にやらせて鉱石を合成しているという噂も当然のように飛び交っているそうだ。
作品名:閉じられた世界の片隅から(2) 作家名:なつきすい