閉じられた世界の片隅から(1)
そんなようなことを考えていると、いつの間にか戻ってきていた姉が、大量の植物ポットを抱えて僕の前に立っていた。それを一端ベンチの上に降ろすと、ふうっと息をつく。僕はそれらのポットを籠に詰めた。その間にもう一度姉は店内に戻り、肥料やらなんやらを運んできた。一度詰めたポットを取り出したり配置を動かしたりして、なんとかぎりぎり籠にすべて入りきる。姉の買い物に計画性というものは皆無なので、持って帰るためにその場でリアカーを借りてしまったりすることもしばしばであることを考えれば、今日はおそらく予定の範囲内+αの買い物しかしなかったのだろう。
「何買ったの?」
「ん、なんか新種の薬草が軍部の研究所から払い下げられたっていうからもらいにきたのよ。あと、ほら」
と、姉は小さな苗を指し示した。まだ蕾もついていない。
「これは何?」
「あー、花見ないとわからないか。じゃあ、花咲くまで楽しみにしててよ。春の月には咲くからさ」
そう言って、姉はすたすたと歩きだした。その後を追おうとして、危うく何かに躓きかける。
「なあ、フィズ」
「ん?」
姉は振り返る。僕は足元を指差す。姉の視線がそれを追う。
「この人、どうしようか?」
「あー」
先ほど姉の一撃を喰らって以来今だ昏倒したままの男をちらりと見やる。姉は僕の手にある籠と、男との間で視線を行ったり来たりさせながら、うーんと唸って暫く考え、しょうがないなぁ、と呟いた。
「私その籠持つから、サザはそいつ担いで。ばーちゃんとこに突き出し行こっか」
今度は僕が、僕の手にある籠と、姉の細く華奢な腕を交互に見やる。籠はポットに入った土の重量の分だけずっしりと重い。姉がすっと僕の手から籠を取った。途端、「うっ」という腹の底から響くような呻き声を挙げて、姉の手が下に下がる。予想していたので同時に手は動いた。落下する前に籠の下に手をやると、姉はふう、っと安堵のような、なんだか落ち込んでいるような息を吐いた。
「あんたこんなのよく平気で持てるね…」
「そりゃ、毎日毎日フィズの買い物に付き合ってたら持てるようになるさ」
「ん?」
姉がちらりとこちらを見る。そのことに僕は気づかない振りをする。丸腰で姉と戦って無傷で済む自信はない。純粋な腕力だけならば、勝てないわけはないけれど。力仕事を魔法で片付けるか僕に丸投げするかで済ませてきた姉は、多分同世代の平均と比べても、腕の筋力はないはずだ。
姉は買い物した荷物と哀れな強盗未遂の男を見比べ、至極真面目な顔でこう口にした。
「お骨って軽いよね?私でも持てるくらい」
「なんてことを!」
「冗談よ」
わかってはいても、一瞬焦る。あまりにも真顔でそういうことを言うから。しかもそれが姉にとっては、少なくとも能力的には簡単に実現可能なことで、そして必要とあらば実力行使も辞さない性格は、知りすぎているくらい知っている。そんなくだらないことのために人命を奪うような人でもないということも。
「冗談を真顔で言うのはやめてくれないかなぁ」
「だって笑って言ったら巫山戯ているのがまるわかりじゃない」
「まるわかりでいいんだよ、冗談なんだから・・・」
「ん、そういうものかな」
姉は納得したのかしていないのか、どこまで冗談でどこまで本気なのかもつかぬ口調だけれど、さすがにこの場で火葬する気はないらしい。
「どっちも、僕が持つよ」
昏倒し、簀巻きにされている男は栄養が足りていないのか、だから僕を襲ってでも金目の物を奪おうとしたのだろうか、がりがりに痩せ、背中に負ぶえば、なんとか手に荷物を持つことはできそうだった。少なくとも、どちらかを姉に持たせることよりは、余程現実的な対処に思える。僕は一旦籠を地面に置き、背中に簀巻きの男を背負った。
「さすがに重くない?」
「でも持てないだろ」
「んー…」
「この人たぶんフィズより軽いし」
「ん?」
一瞬姉がこちらをぎろりと睨んだ。でも実際に、
「今現在の総重量だったら、そうだよ」
「あー、まあねぇ…」
姉は特に痩せているわけではないが細身ではあるし、背丈もこの男より低い。それでも、姉が一歩歩くたびに聞こえる音が、姉の総重量の重さを表している。じゃらじゃら、とかしゃんしゃん、とか、ごろり、などという、大凡足音ではない音。日によっては更にこれににゃーにゃーとか、ワン!とか、そんなような音までもが加わる。姉はポケットのある服ばかりを好んで着るが、家を出てしばらく歩けば、直ぐにそれはいっぱいに溢れ返る。魔法鉱石の特売を見かけては家にどれだけストックが余っていてもありったけ買い込み、行商人が持ってくる異国の魔法具や民芸品に気をひかれ、記録鉱石を片っ端から試聴しては「これください!」。勿論、姉の部屋はとっくのとうにそのポケットと同じ状況に陥っており、行き場を失った荷物たちは空き部屋を占拠し、それでも収まり切らない一部は僕の部屋にその勢力を広げつつある。僕自身、荷物の少ない方ではないため、僕の部屋も徐々に姉の部屋と同レベルの状態になりつつあり、現在ではなんとか作業スペースだけを死守している状態だ。一年前に姉が診療所を継いでからは僕らは診療所を併設した離れに暮らし、養母と妹は母屋に住んで夕食のときだけ僕らが母屋に行く形になっているため養母たちは姉の部屋を見たことはないが、薄々その惨状については察しているようだ。養母が診療所を営んでいた頃に物置として使っていた部屋に養母の荷物が未だ置きっぱなしになっているのは、面倒だからでも母屋に置き場所がないからでもなく、これ以上姉の荷物を増やさせない為ではないだろうかと僕は考えている。今日の格好であれば大きめのポケットが4つぐらいはあるはずだが、ここに来るまでに立ち寄った店や屋台の数を考えれば、既に布地が痛むのではないかと思われるような状態になっているに違いない。加えて夏でもマントを羽織る程の極度の寒がりである姉が、今日は一体何枚重ね着しているのだろうか。帽子にしても、小さな金属や鉱石で出来た飾りが幾つも付いており、姉の黒く長い髪によく似合っているけれども、こんな重たいものをいつでも頭に乗せて平気な顔をしていることが、僕には理解できない。下手をすると布団より重いような衣類と小物たちを持って平気な顔をして歩いている姉は、もしかするとかなりの力持ちなのではないかと思うことすらある。
そんなことを考えながら、籠を持ち上げる。重い。流石に辛い。こっちの男の方は、どうせ養母に引き渡すのだから、姉に先に帰ってもらって呼んで来て貰おうか、とも一瞬考えたが、此処から家までを往復する間に姉が更にポケットを重たくしてくるような気もしたのでやめた。
「重い?」
「うん、まあ…」
誤魔化しても、どうせ表情でばれる。僕は正直に答えた。
「一端籠置いて。あれやるから」
言われるままに、僕は荷物を地面に降ろす。そして、手を姉の前に差し出した。一瞬だけ、世界から音が消えて、異常に腕が軽くなったような感覚。
「ごめんね、サザ。痛くなったらすぐ言うんだよ」
さすがに、少し済まなさそうな顔で、姉が言う。
「いいよ、慣れてるから。今回はフィズのせいじゃないだろ?」
作品名:閉じられた世界の片隅から(1) 作家名:なつきすい