Another Tommorow
飛鳥は無事に循環器病棟実習を終え、そんな彼らの後輩になることもなく済みそうではあった。やや欠席が多いものの、初日の一件だけでなく、通常の実習態度も良かったこと、そして欠席理由が理由だっただけに、森本師長から合格をもらったのだ。
そしてこの実習の終わりと共に、短い正月休みに入る。
休みの初日は警察署で過ごした。先日のひき逃げと今回の件、両方の事情聴取が終わっていなかった。ひき逃げの件の簡単な聞き取りは、入院している間にも少しあったのだけれど、本格的な事情聴取は退院してから、などと言っているうちにまたも事故に遭ってしまい、ここまで延び延びになっていた。
ひき逃げについては、あの子どもと飛鳥の証言、それに現場や車に残された物証のすべてが一致していること、容疑者が酩酊状態であり、尚且つ酒が抜ける前に逮捕できたことから、ひき逃げの件それ自体についてはすんなり捜査が進んでいると警察の人は言っていた。危険運転致傷罪で起訴することになりそうだという。ただ、運転していた男と同乗していた女がどちらが酒を飲ませたの、止めたのに本人が運転すると言ったのいや止めておこうと言ったのに彼女に運転するよう言われたのと泥沼の様相を呈しているそうで、同乗の女性の責任の所在については長引きそうであるらしい。
そして今回の件については、弟とふたり山で遊んでいて、洞窟を見つけたので入ってみたらあんなものを見つけた。慌てて通報しようと思って出る途中に崩落した、と、何かがあることをある程度予測していたという部分だけを隠して概ね真実を話した。嘘はついていない。
既に展示されていた大量の爆発物は回収、処理されたので心配は要らないと警察の人は言った。また、崩落の危険が高いのであのあたりにあった洞窟はすべて立ち入り禁止にしたとも。
あのコレクションは誰のものだったのかと聞くと、あれは昨年亡くなった杉宮在住の老人のものであったと、意外とあっさりと答えてくれた。
老人はずっと林業一筋に生きてきて、家族もなく、怪我で仕事が満足にできなくなってからは周辺との交流もなくなり、徐々に言動が怪しくなって晩年は杉宮南駅近くのあの古ぼけて陰気な精神病院に入院していたらしい。元々あの洞窟の周辺は、その老人が仕事場としていた区画だそうだ。恐らく、仕事中にあの洞窟を見つけ、自分ひとりのための展示室を作ることを思いついたのだろう。
老人が亡くなり、身寄りのない彼のために警察はなんとか唯一の身内である、若くして家を出たきり杉宮に帰っていなかった兄を探し当てた。連絡を受けて遺物を片付けにやってきた兄は、初めて弟が重度のミリタリーマニアであったことを知ったという。その際自宅からもいくつも重火器や爆発物の類が発見されており、やはり警察が処理を行っていた。その際採取した老人の指紋が警察に残っていたことから、このほど発見された爆発物の持ち主が直ぐに特定できたらしい。
法的な問題や危険性がなく、そのまま兄に引き取られたコレクションの中で、一番年季の入ったものは、旧日本軍の勲章であった。それは、戦死した老人の父の形見であり、二つ目に古かった軍服は、やはり軍人であったその兄が、家を出るときに弟に与えたものであったそうだ。
父はなんとか今年中に終わらせなければならない仕事の山を片付け、大晦日から元日にかけて、家族は梅山の祖父の家にいた。
4人で炬燵に足を突っ込み、寄せ鍋をつつきながら、紅白歌合戦を見る。炬燵の上には鍋と皿のほかにみかん。この上なく正しく、そしていつも通りの彼らの年越し。今年も、カウントダウンは家族で家で。晩餐だけは、例年よりかなり豪華だけれども。そんな当たり前のことが、飛鳥にはこの上なく嬉しかった。
海老の殻の出汁が出た煮汁を味わう。そんなささやかな幸せ。一応最後に年越しそばを用意してはいるものの、正直そこまで胃袋の容量が持つかどうか。紅白も8割方は聞き流している。それで、いい。
海老と蟹を食べたいだけ食べて、そろそろ蕎麦を茹でようかと思って立ち上がると、「手伝うよ」と言って大和も台所へついてきた。利き腕ではないとはいえ、片腕にギプスをしているので素直に助かる。大鍋に水を入れてコンロに置いてもらい、ついでに洗い物を頼んだ。
「予知は、変わった?」
ぽつりと、弟が尋ねてくる。飛鳥は頷いた。
「ああ」
「今年のお年玉の総額は?」
キッチンタイマーをセットして、飛鳥は少し、意識を集中する。そして、首を振って笑った。
「何時にもらうかわからないのに、そんなピンポイントなことわかるかよ」
「今、何を見てた?」
「んー、なんか若手芸人が褌一丁で落とし穴に落ちる様子が8方向のカメラから次々と」
「……くだらない番組見てるな、明日の俺達」
「元日ってだいたいそうじゃん? 彼女もいないのに初詣も行かないしさー」
「初詣って、そういう趣旨のものだったっけ」
「いいんじゃないか? 何もこの寒いのにわざわざ風邪菌やらウイルスやらもらいにいくこともないだろ。四日からは血液内科だから間違っても菌持ち込めないし」
そんな会話をしながら、4人分のたれを手際よく用意し、蕎麦が茹で上がるのを待つ。
「神社なんて、もっと空いてからでも行けるさ。少なくとも来週は、俺死ぬ予定はなさそうだし。大和のおかげだ」
そして、満面の笑みを浮かべた。ひとりだったら、ひとつでも条件が違っていたら、今、飛鳥はここにいなかったのだろう。あの完全な虚無へと落ちて。
「ありがとう」
そう告げると、大和は少し照れくさそうに、視線を洗っている皿へと移した。
「俺は助けを呼んできただけだよ。火事じゃないかって考えたのだって、あの洞窟見つけたのだって兄さんだろ」
「でも最後、俺は助けてって頼んだだけじゃん。閉じ込められて助けを待つだけなのが様になるのは今時どこぞのピーチ姫ぐらいだろ」
本当に、助けられてばかりだ。もしあの事故に遭ったとき、あの子の親が在宅でなかったなら。もし、ひとりであの山へ行っていたら。
「結局、俺ひとりにできることなんて、ほとんどないんだよ」
言うと、大和は少し考えたように言葉を止めて、それから、ゆっくりと口にした。
「それを知ってるから、兄さんはいろいろすごいことができるのかも」
「買いかぶり過ぎだって」
「本当だって。自分のできることとできないことがわかってて、それをできる人を巻き込める。お母さんに最期に会えたときだってそうだよ。兄さんが本当に凄いのは、予知とかじゃなくて、一番必要な時に、助けてって言えることなのかもしれないな。……やっぱり兄さんは凄い」
凄い凄いと繰り返され、素直に誉められすぎなほどに誉められて、飛鳥は頬がかあっと熱くなるのを感じた。嬉しいけれど、恥ずかしい、というよりも、照れくさい。何と言っていいかわからず、あー、とかうう、とか意味のない音声が唇から零れた。
それから暫く、鍋の湯が徐々に沸騰し始める音と、皿を洗う水の音ばかりが台所に響いた。飛鳥は全力で照れているし、大和はもとより沈黙がなんら苦ではない。
作品名:Another Tommorow 作家名:なつきすい