Another Tommorow
「じゃあ、火事じゃないんじゃないのか」
至極当然のことを、大和は言う。飛鳥は小さく唸った。
「論理的に考えればそうなんだよ。でも、なんとなくこれな気がするんだよな……」
ただの勘でしかない。
「それに日本沈没か急性心不全かまさかのストーカー殺人でもない限り、だいたいのことはおじいちゃんちに逃げたり大学に泊り込めば避けられる気がするんだよ。火事でも交通事故でも」
だけど急性心不全はともかくとして、さすがにストーカー殺人の心当たりはまるでない。取り立てて誰かの恨みを買った覚えもないし、通り魔や金目当ての犯行とかならばまだしも、個人的に付け狙われて殺されることはさすがにない、と一応飛鳥は思っている。
「そうすると、結局どのパターンでも同じところで詰まるんだ。だから、とりあえず火事で考えようかと思ってるけど」
「じゃあ、明日にも動くか」
大和が言った。「動く?」「早いほうがいいだろ。明日にもお父さんとおじいちゃんに、おじいちゃんちで年末年始過ごそうって言おう」
大和はそう言って、持って行く貴重品などをリストアップし始める。思ったより展開が早い。飛鳥は少しの間、保険証はいるな、通帳はどこだっけ、などと呟く弟をぽかんと見詰めていた。
「……どうしたの、兄さん」
「や、別に、いや、早いなと思って」
言うと、大和は整った硬質の目を怪訝そうに細めた。
「いつ起きるかわからないんだろ。早いほうがいい」
「ま、そりゃそうだけど」
「せっかく明日と明後日も休みなんだし」
「あ、うん」
どうしてだろう。
確かにそれで回避できるはずなのに、どうして気が進まないのか。だけど、それをうまく説明する言葉を持たなくて、飛鳥はただ頷いた。
その意味がわかったのは、翌朝だった。
年末で仕事が立て込んでいるからお前たちだけで先に行ってこい、と父が言ったのだ。仕事納めが終わったら行くから、と。
いつもは口数の多くない弟が必死で言葉を尽くして父を説得しようとする姿を見ながら、飛鳥は昨日の自分の思いが形を成していくのを感じた。
結局、弟は父を翻意させることはできず、間に合いそうもない仕事があるから、と休日だというのに父は役場へと向かっていった。いつもよりは少し出勤は遅めだったけれど。
「なぁ、大和」
呆然と父の出て行った玄関を見ていた大和に、飛鳥は声を掛けた。
「ちょっと、例の洞窟に行ってみないか」
大和がゆっくりと振り返った。「何しに?」
「中身を確かめて、ホントに弾薬庫だったら、不発弾があるとか言って警察に通報しよう。少しはましになるかもしれない。もし人がいる間に火事が起きたら、消火も早いだろうし」
「何言ってんだよ」
途端、大和の表情が固くなる。「危ないだろ。そんなことして、そのタイミングで火事が起きたらどうするんだ」
けれど、飛鳥は首を振った。
「一応消火器を持っては行くよ。焼け石に水かもしれないけどさ」
「でも」
言い募ろうとする大和を手で制して、飛鳥はにっと笑った。
「死ぬつもりはないよ。だけど、このまま普通に火事が起きたら、俺らは助かっても……きっとたくさんの人が死ぬよ。もしかしたら、お父さんもかも。それで生き残っても、俺は一生後悔する。それは嫌だな」
そう言うと、大和は黙り込んでしまった。それでも、まだ納得していないと顔にははっきりと書いてある。
わかっている。本当に一番確実なのは、祖父の家に移ることだろう。これでだいたいの今までに予想した可能性は回避できる。だけど、もしそれで助かったとして、仮に大災害が起きて大きな被害が出たら、悔やんでも悔やみきれないし、そんな重たいものを抱えて生きていけるほど、強靭にはできていない。それは大和だって同じのはずだ。ただ、まだそれに気づけていないだけで。
「でもさ、お前を危ない目にあわせるのは俺だって嫌だ。だから、来たくなければ来なくてもいい。そのときは俺から一時間おきに連絡がなくなったら、警察と消防を呼んでよ。でも正直、お前がいてくれたら、もし本当に火事になりそうな可能性があったときとかに、やれることは増える。……うーん、来て欲しいような来て欲しくないような微妙な感じだな……」
それは、本当のことだ。言っていてだんだん迷い始める。
自分は決めた。そんな後悔を抱えて生きていきたくなんかない。勿論死ぬつもりもない。
正直手伝って欲しい思いはある。ひとりでできることはたかが知れている。それがふたりになったところで、こんな子どもだけでは大したことはできない。それでも、いてくれるだけで違う。
だけど、巻き込みたくないという思いもまた事実だ。もし万一このことのせいで大和を死なせるようなことがあれば、死んでも死に切れない。
「一応ついてきてもらって、危なそうになったらすぐ逃げて、ついでに通報してもらうってのがベストかな」
そう言って、飛鳥は笑った。調子の良いことこの上ない。
「危なそうな気配がしたら、すぐ通報して逃げるから。なっ?」
そしてこんな風に言ったらきっと、弟が取りそうな選択肢はふたつきり。諦めてついてくるか、全力で飛鳥を押し留めるか。ここで飛鳥を一人で行かせて帰ってこなかったら、きっと弟は後悔すると思う。この状況をほったらかして逃げて、結局火事が起きたあとの自分と同じぐらいには。もしも、弟がそれなりに自分を慕ってくれているというのが、自惚れでなければ、という条件付ではあるけれど。
(まあそれなくても、あの堅物で真面目なあいつが、俺を見捨てて平気ではいない……と、思う)
そんなことを思いつつ、笑いながら飛鳥は大和を見た。目はそらさない。
笑ったのは、心配させたくないから。
暫く、眼球が右へ左へと動いていたのは思考を巡らせていたからか。やがてため息をついて、「わかったよ」と言った。
「兄さん、見てないほうが何仕出かすかわからないし」
そういえば弟の信用をそれなりに失ったのは、例の洞窟での遭難騒ぎの時だったな、とふと思い出して、飛鳥は先ほどとは違う種類の笑いが顔に浮かんでくるのを感じた。
やや風は強いが、今のところ雨の気配はない。天気予報は晴れだった。
件の洞窟は、飛鳥たちの住む集落からそう遠くないところにある。なにしろ未就学児も含めた小さな子どもをぞろぞろ引き連れて登山できてしまうような山の中だ。それでも、さすがにもう子どもを連れて登ろうとは思わないが。どんな小さな山でもちょっとしたことで迷子や事故、遭難の可能性があるのだと、数時間に渡って警察のお説教を受けたし、嫌というほど身に沁みた。すぐに助けが来るのは予知でわかっていたから怖くはなかったが、それなら初めから迷子になることを予知できていればよかったのに、と思わなかったこともない。今回はルートはきちんと把握しているので地図や携行食糧の類は持ってきていないが、念のため消火器と、ポリタンクに入れた水を担いできた。消火器は、現在修理工場にいる飛鳥たちの車のトランクに積んであったものを、朝一番に受け取ってきた。
作品名:Another Tommorow 作家名:なつきすい