Another Tommorow
その話を、父の口から聞くのは初めてだった。病院に連れて行かれたことは漠然と覚えているし、もてあまされていた記憶も、父の親戚たちの視線も、思い出したくないけれど思い出すことができる。どうしてそんなことになっていたのか、その意味も小学校の後半に上がる頃に自然と理解していたし、祖母にそのことを確認すると、飛鳥の考えた通りであることを認めた。
だけど、両親とその頃の話をしたことはなかった。祖父母の家で過ごしたあの数ヶ月のことさえ、話題に上ることはなかった。なのに、今更どうして。
「実家の奴らはああだこうだといろいろ喧しくて、清海も散々ひどいことを言われた。俺は清海と、飛鳥と、大和を守ってやらなきゃいけなかったのに、どうしていいかわからなくて、いらいらして、それで清海とも散々喧嘩した。正直、どうしてこんな目に遭うんだって、情けねえことを思ったよ。……そんな顔するなよ、お前はひとつも悪くない。お前も、清海も、大和も何も悪くなかった。それだけ覚えてから続きを聞いてくれ。実家の奴らが、飛鳥じゃ跡取りにならない。清海みたいな身体の弱いのを嫁にもらったせいだとか言い出した。清海と別れて、もっと身体の強い嫁をもらって元気な子どもを作れとさ」
「…………っ」
飛鳥は、唇を噛み締めた。祖父母の会話から、それらしいことは聞いていたが、跡取り云々の話を耳にしたのは初めてだった。父が長男であったらしいことすら、たった今気づいたぐらいだ。考えてみれば、それほどまでに父方とは疎遠になっていた。
「ちょうどその時、仕事も裏金だかなんだかでゴタゴタしてて、どこ行っても怒鳴られたり、嫌味言われたりとか、そんなんばっかで……俺は、逃げようかと思った。全部捨ててどっか逃げて楽になろうと思った」
なんとなく知ってはいたことだった。あの時見た予知の意味がわかったときに。
それでも、直接父からそれを聞かされるのは、きつかった。その内容が辛かったんじゃない。それを父が語っているという事実が、そしてその父の、苦しそうな顔を見るのが、辛かった。
こんなこと、言いたくなかったんだろうに。
(どうして、今更)
けれど、止めることもできず、ただただ、飛鳥はその言葉を聞き続けた。
「そんなことを考えてたら、突然お前がいなくなった。俺のせいだと思ったよ。俺が、お前たちと離れれば楽になれるとか思ったから、お前がいなくなったんだと思って、警察にも連絡して必死で探した。車に撥ねられたんじゃないかとか、誘拐とか、山のほうに迷い込んだんじゃないかとか、凄く怖かったよ。清海が真っ青になって倒れて、大和が大泣きしてて……。どうしようと思ってたら、じいちゃんとばあちゃんがお前を連れてうちに来て、心底ほっとした。お前をばあちゃんから受け取ろうと思ったら、ばあちゃんが凄い顔して、『離婚したいっていうのは本当かい?』って聞いてきて。俺は、心の中が全部見透かされたと思って、血の気が引いた。心を入れ替えて、もうどんなことがあってもお前たちを絶対に守ろうと思ってた。絶対手放さないって思ったよ。だけど、俺たちが落ち着くまで、飛鳥を預かるって言われた時に、俺は断れなかった。ばあちゃんたちがお前を連れてったんじゃなくて、お前が家を飛び出してったってことは、お前は俺の気持ちに、どっかで気づいてたってことだろ」
「…………」
父の告白は続いた。知っていることと知らなかったことが、父の言葉でひとつになって、飛鳥の胸に落ちてきた。
飛鳥が知っていたのは、行動に出ていた部分と、父の実家から圧力があったらしいということ。父がどんな思いでいたのかは、推測の域を出ていなかったけれど。
「お前が覚えているかどうかは知らなかったけど、いつか謝らなきゃとは思ってた。でもさ、お前が忘れてて、思い出したせいでしんどくなったらとか考えたら、言いそびれてた。でも多分、本当は俺が言いたくなかっただけだ。こんな情けない親父だってのを、言いたくなかったんだよ。……ごめんな、飛鳥。親なのに、お前にあんな思いさせて」
「あんな思い、って」
「お前、ばあちゃんに自分のせいで俺が出てっちまうって言ったんだろ」
「!」
「親は絶対に、子どもに『自分のせいで親に迷惑かけてる』なんて考えさせちゃいけないんだよ。それだけは絶対に駄目なんだ。だから、本当に悪かった。もしお前がそれ気にして、うちに帰ってきてからずっと良い子らしくしてなきゃとか思ってたんだったりしたら、……俺はお前にどれだけ謝っても謝り足りない」
「……気にして、なんかない」
搾り出した声が、僅かに裏返った。気づいてしまった。小学校に上がる頃、祖父母の家に迎えに来た父の顔が、どこか晴れ晴れとしていたことを、唐突に思い出した。あれほどうるさかった親戚連中の影も形もなくなっていた。それから、父の帰りが少し遅くなっていた。
今更気づいた。帰りが遅くなったのは、残業が増やしたか、或いはより仕事の多い部署に移ったから。そうする必要があったのは、どうもそれなりに裕福であったらしい実家からの援助がなくなったから。当時は飛鳥も大和も小さく、母も一応勤めてはいたけれど休みがちであったし、なにかと治療費がかかっていて、金が入用であったはずだ。
「……ひょっとして、お父さん、あの時実家と」
「縁切った」
疎遠どころじゃない。絶縁だったのか。飛鳥は呆然と、父を見た。
「なにがなんでも、お前たちを守れる状況にしたかったんだ。じいちゃんたちのところにいなくても、お前が安心して暮らせるようにできないなら、お前を迎えに行けないと思った。それでも、お前に嫌われてたらどうしようかと思ったから……迎えにいった日、お前が笑ってついてきてくれて、俺は本当に嬉しかったんだよ」
葬式にすら出た記憶がなかった。向こうの祖父母が生きているのかどうかすら、知らなかった。飛鳥はそれでいい。大和は存在すら知らないだろう。だけど、父からしてみれば実の両親のはずだ。
父と目が合う。明らかにいらついた表情をひとつして、テーブルに両手をつけてがたりと立ち上がった。
「そんな顔するな! お前は悪くないって言ってんだ!! 実家の連中より、お前と大和と清海のほうが、俺には大切なんだよ。俺がそうしたくてやったんだ。だからお前はなにも悪くない。気にするな。好きなようにやれ。俺はお前たちが元気で楽しそうにしてれば、それでいいんだよ」
父は急須を乱暴に引き寄せ、お茶を湯飲みに注ぐと一気に呷った。飛鳥は呆然と、父を見ていることしかできなかった。
時に子どものような印象を与えるほど裏表のない父が、感情をあらわにすることは別に珍しくはない。むしろ、ここまでこれだけの思いを抱えてこんでいたのだということが、飛鳥にとってはショックだった。
それだけ、父にとっては重い事柄だったのだろう。家族を守るために実の親とも縁を切れるだけの決断力を持つ父が、息子にするのを躊躇うぐらいには。
「……なんで急にそんな話したの?」
そしてそれを急に言い出したきっかけが掴めなくて、飛鳥はゆっくりひとつ呼吸をした後、それを問うた。
「お前が、事故になんか遭うから」
「は」
作品名:Another Tommorow 作家名:なつきすい