Another Tommorow
他人から自分に対する賛辞をここまではっきり聞かされるのがこんなにも恥ずかしいことだとは思わなかった。声がどんどんはっきりと自分でそうとわかるだけトーンダウンしていく。
「ま、最後に決めるのは飛鳥の意思だけど、お前ならどこでも選び放題だよ。どこ行きたいんだ?」
問われて、まだ小さくなった声のまま、しかしはっきりと答えた。
「救命」
「ほう」
少し意外そうな声に聞こえて、飛鳥は顔を上げた。
「なんですかその反応」
「いや、別に似合わないとか思ったわけじゃないぞ。ただお前子どもとかお年寄りに人気あるから、その辺希望なのかと思ったんだよ」
「適性と自分の希望って合致しないってことなのかなぁ」
思わず呟くと、また車椅子が少しがしがしと揺れた。
「いや、救命もお前向きだと思うよ。お前小さいときから妙に勘が良いだろ。救命みたいないつ何が起こるかわからないようなとこは、お前みたいなのがひとりいると随分助かりそうな気がするな」
まさにそれだ。自分が救命を志した理由を、予知のことは知らないはずの岩本に見事に言い当てられて、飛鳥は車椅子を押してくれるその顔を見上げた。予想した以上に真面目な顔で、岩本は飛鳥を見ていた。
「例の点滴のときも、しっかり観察してるだけじゃ、当たり前すぎて気づかないようなミスだし、なんとなくピンと来たんだろ?」
「……岩本先生って、実は人間観察とか好きでしょ」
「実はってなんだよ。お前に俺はどういう風に見えてるんだ言ってみろ」
「ちょ、脳外科医の大事な手でそんなことしないでくださいっ」
「気にするな。これは掌じゃなくて腕力でやってるから」
「いや怖い怖い怖い、やめてくださいっ」
車椅子ごと十センチほど上に持ち上げられ、飛鳥は両手を持ち上げて降参の意を示した。一瞬わき腹がずきんと痛んですぐに手を下ろす。
「悪い悪い。痛かったか」
わき腹を片手で押さえる飛鳥を見て、岩本は慌てて車椅子を床に降ろした。
「年甲斐のないことはやめてくださいよ」
母より少し上のはずだから、もう五十歳ぐらいにはなるはずなのだが、とてもそんな年齢とは思えない。
「ははは、悪かったな。だけど実際お前がやたら勘がいいってのは、ウチの古株連中はだいたい知ってるよ。清海ちゃんが急変したときのこと、覚えてるか?」
本当に勘が良いのは、先生のほうじゃないのか。飛鳥はそう言い掛けてやめた。
ここのところ会っても母の話題なんか出なかったのに、どうしてあんな夢を見た日に限って。
そんなことを思ったのが顔に出たのか、それをどう解釈したのだろう、一瞬岩本は顔を曇らせて「ごめん」と言った。それから、CT室に入るまでは、ただただ馬鹿馬鹿しい話だけが延々と続けられた。
今のところ、脳の画像診断の結果は特に問題はなさそうだった。予定通り二泊で退院できそうではあったが、打ちつけた全身がなんとなく痛いこともあり、痛みが引くまでは自宅で安静を命じられた。当然、実習も休みだ。
「飛鳥が私たちの後輩になるなんてね……」
「誰が留年するか」
入院二日目は平日だったこともあり、実習の合間に同期が次々と見舞いに来てくれた。
「いやいや、実際循環実習半分ぐらいは欠席になるからね。そっかー飛鳥ちゃんが後輩かー」
ニヤニヤとチェシャ猫のように笑う植村は、なにかまた意地の悪いことを考えているのだろうなと思い、飛鳥はため息をついた。植村のほかに今は佐藤と村田という同じく同期のふたりも来ている。
佐藤は植村とは対照的な、中肉中背の地味な見た目の女子だけれど、性格や言動の質の悪さは植村と並ぶ。見るからに穏やかそうな表情でひどいことを平気で口にしたり、植村の毒舌にそれなりに癒し系の笑顔で乗っかってきたりするあたりで、顔つきからしてからかう気満々の植村よりも更に悪質だ。
村田は看護科では数少ない男子学生のひとりで、実家は開業医で姉が継いでいるそうだ。両親から「看護師か薬剤師か」の選択を迫られた結果、化学が嫌いという極めて消極的な理由により看護師を選んだらしい。元々好きで選んだ道ではなかったためか、初対面の頃は刺々しいを通り越して最早殺気に近い空気を全身から放っていて、近寄っていけたのは怖いもの知らずの植村ぐらいのものだった。それは親切心とかそういったものではなく、看護系にまったく似つかわしくない、半ばグレかけの空気を放つ男子学生の存在を面白がっていたのではないかと飛鳥は推測している。しかし学んでいくうちに手術室ナースへの憧れに目覚めたそうで、現在では入学当初とは別人のように熱心な学生となった。元々物覚えと反射神経が良いこともあって、実技、筆記共に成績はかなり上位に位置している。しかし実家は精神科でほとんど手術を行っておらず、夢を取るか家族の期待を取るかでまた彼は揺れているという。父方はともかく父本人と母方の親戚は見事に給与生活者ばかりで、継がなきゃいけないようなあれやこれやといったしがらみがなにひとつない飛鳥には想像もできない話だ。裏返せば自分の力で仕事を見つけなければ、コネやらなんやらで就職できるようなあてはないということでもあるのだが。
「まぁ大丈夫じゃねえ? お前この間のアレで森本師長の覚えもめでたいし」
「この間のとかアレとか、もうボケちゃったの、村さん。いくら見た目がおっさんくさいからってちょっと早いよ」
にこにこと佐藤が言うが、この程度はジャブですらないので笑って聞き流して、村田は続けた。
「いざとなったら代返しとくし」
「いやいやいや、実習で代返とか無理だし」
「飛鳥の振りして適当に返事してりゃー大丈夫だろ」
「お前のその面構えで俺の振りとか無理だから、絶対無理だから」
「まーまー。とりあえず飛鳥ちゃんが無事進級できるようにお星様にでもお願いしておこう」
にやにやと植村がやりとりを遮った。超が付くほどの現実思考の植村らしくないロマンチックな発言に、どういうわけか背筋が一瞬冷たくなった。
(あー、不気味だと思ったのか)
そんな失礼なことを考えていると、顔に出てしまっていたのか、植村が不服そうにこちらを見下ろした。
「あれ、意外と情報弱者だねえ飛鳥ちゃん。今日明日は流星群だよ?」
「流星群?」
「多ければ一分間に一個ぐらい流れるみたいだし、片っ端から願えば一個ぐらいは叶うかもよ」
植村が言うと、佐藤が相変わらずにこにこと笑いながら、しかし何故か植村の白衣の襟をぐっと掴んだ。笑っているわけではなく、基本的に佐藤にはこれ以外の表情がないのかもしれないと飛鳥はふと思った。ある意味大和とタイプが近いのかもしれない。
「私も情報弱者?」
「い、いや……」
「…………」
どうやら佐藤も知らなかったらしい。村田をちらりと見ると、首を横に振った。知っていたのは植村だけか。意外にもロマンチストなのか、それとも単に新聞などをきちんと読んでいるだけなのか、はたまた天体好きなのかはわからない。
「…………どういう状況?」
がちゃりとドアが開いて、大和が入ってくるなり第一声がそれだった。飛鳥のベッドサイドで女二人が争っている構図、に見えないこともない。身内にしか適切に読み取ることのできないその表情は、困惑だった。
作品名:Another Tommorow 作家名:なつきすい