カトレアクラブ
シャワールームは完全個室となっており、左右併せて50本ものシャワーが一列に並んでいる。夜中は閉まってしまう大浴場にたいして、ここは二十四時間好きな時に使えるので、利用者は案外多い。脱衣所も個室の中にあるため、理由があって大浴場で他の生徒と一緒に入れない生徒や、裸体を他の生徒に見られたくないような生徒は、専らこちらを利用する。
恵理香は普段は大浴場を利用するが、今日のように汗をかいた時や、気分が優れない時はここで体を流す。
とりあえず早急に汗でベタベタな身体を洗い流してすっきりしたいので、手前から四番目の個室を選び、扉に設置してある機械にカードキーを挿した。ピピ、という電子音と共に、カードは刺さったまま固定された。あやめはその隣の部屋を選び、同じようにカードを挿して中に入っていった。
パジャマのボタンを外している最中に、着替えの制服を持ってくればよかったと、今更になって後悔した。シャワーを浴びてすっきりしても、パジャマが汗で湿っているのだから、また部屋に戻るまでの間、不快な気分が続きそうだった。
脱いだ服をかごに入れ、上履きを脱ぎ、窮屈な更衣室から、空間に多少ゆとりのあるシャワールームへ移動した。まずはシャワーヘッドを手に取り、蛇口を捻って温度を調整する。壁に水滴が僅かに残っていることから、少し前にこの部屋は使われていたようだ。それならすぐにお湯が出るはずだが、中学生の頃、確認せずに蛇口を捻ったら、ヤケドするぐらいの熱湯が頭に降りかかったトラウマがあるので、それ以来、ちゃんと確認してほどよい温度にしてからいつも浴びるようにしている。案の定、温度は恵理香が思っていたよりも高かった。
温度が整ったシャワーを壁に掛け、体温と同じくらいの暖かさのお湯を頭上から浴びる。複雑に絡まった糸が一瞬にして解かれたように、全身に開放感が行き渡った。
「きゃっ! 熱っつぅ〜。なによこれ、もうっ!」
あやめの悲鳴が隣から飛び出してきた。恵理香は思わずふき出しそうになったが、彼女に恥をかかせないために必死にこらえた。
あやめと同じ部屋になって、既に一ヶ月以上経つが、思えば中学の頃にあやめと同じ部屋になったときは、僅か二週間足らずで部屋を変えてしまったのだった。原因はというと、今となってははっきりと覚えていないが、どうでもいいことで口論になり、挙げ句の果てに大喧嘩となって絶交してしまったからだ。
恵理香はここ聖白百合学園に、中学から入学した。
この学校は私立であり全寮制でもあるにも関わらず、学費はほとんど公立の学校と変わらない。その代わり中高共に、一般入試でも筆記試験の他に面接があり、どんなに成績が良くても、面接で落とされる学生も沢山いるらしい。面接では、「いかに個性的で、自分のポリシーを持っているか」を求められる。そのため、楽器が特技な子は楽器を演奏し、バレエやダンスが得意ならばその場で踊り、スポーツが得意なら体育館やグラウンドで実際に試合をさせられたりと、面接というよりは、オーディションのような方式で行われる。
そう考えると、恵理香は何故合格できたのか未だに自分でも分からない。
「森園恵理香です。出身地は、この山の麓の半月村ということろです」
恵理香は面接室に入ると最初にそう言った。その後は特に何もせず、面接官の質問に答えただけである。個性的な生徒が多い分、何もしなかった恵理香は逆に目立っていたかもしれないが、どう考えても学校のポリシーとはかけ離れていたはずだ。
もしかしたら、容姿だけで選ばれたのかもしれない。面接官の三人の教師は恵理香が中に入ってくると、三人とも女性にも関わらず、恵理香の顔に一瞬だが見取れた。勘違いではない。間違いなく三人は恵理香の顔を見た瞬間に目の色を変えた。
面接がどうであれ、結果的に受かったのだから今更考えるようなことでもないのだが、それでも時々思い出したように、頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。
何か――もっと大切なことを忘れている。
理由もなくそんなことを思ってしまうのだ。
恵理香はしっとりと濡れた頭を横に振り、思考を元に戻した。
今述べたように入学するのは困難だが、入ってしまえば自分のペースに合わせて自由に学園生活を送ることが出来るのが、この学校の大きな特徴だ。
特に変わっているのが授業方法で、中学一年から授業は映像とレポートの記入による個人授業となっており、教室で複数の生徒が一人の教師から指導を受けるような授業がほとんどない。生徒達は教材のDVDをレンタルし、自分の部屋や図書室や視聴覚室等で映像を見ながらレポートを解くのである。そのため教師の人数は一般的な学校よりもかなり少ない。ただ例外として、まだ自己管理が上手く出来ない生徒や集団の方が勉強しやすい生徒のために、広い教室で集団で受けられるような工夫もされている。授業が毎日決められているので、科目の選択の幅は狭まってしまうが、きちんと単位が取れる時間割になっている上、何人かの教師がついているため、分からない箇所があればすぐ聞けるというメリットもある。
とはいえ、このような自己管理前提の授業方式だと、怠けて授業を受けない生徒や、不正行為をする生徒も中にはいるのでは――と思うかもしれないが、さすがにそういう問題はしっかりと管理されている。
その管理の一つでもあるのが、生徒一人一人のICカードだ。
学生証としての役割だけでなく、磁気やクレジット機能も備わっているこのカードは、部屋の登録並びに鍵、ベッドの登録とロック、シャワールームやロッカーの鍵、食事や購買での支払い等、様々なことに必要不可欠なのである。
授業に使う教材もこのカードを使って自販機から受け取る。自販機にカードを通し、自分の受けたい授業を選ぶと、その映像が入ったDVDとその授業に合ったレポート用紙が一枚出てくる。そして見終わったDVDと記入したレポート用紙は視聴覚室に返す、という仕組みだ。
そのためレポートは一回の授業につき一人一枚であり、その一枚を紛失したりすると、手続きが面倒な上に満点をもらえなくなってしまう。また、DVDを再度見たくなった時は、視聴覚室に行って教師に直接借りに行かなければならないし、そこで借りたDVDは視聴覚室でしか見ることが出来ない。
DVDさえあれば、複数人分のレポートを一人で仕上げることも出来るが、教科によっては選択肢より記述式の問題も多かったり、定期試験の問題も、レポートの応用問題がほとんどで、難易度も高いため、まずサボることは不可能である。毎回学年上位の一人であった恵理香は、もちろん中学校三年間一度もずるをしたことはない。
他にも、この学校での食事は給食ではなく、全てバイキングのようなかたちになっている。
『バランスの良い食事を用意しても、それを生徒がきちんと食べなければ意味がない。だからと言って、無理矢理食べさせるようなことは生徒にとって苦痛であり、逆効果だ。学校生活においての食事は、食べさせることが目的ではない。おいしく食べられるようになることが最も好ましい』というのが、校長の教育方針らしく、生徒は自分の好きなものだけを食べることが出来る。